先週の土曜日、集会に参加するために光化門(クァンファムン)に行ったところ、偶然太極旗と星条旗を振っている人たちの間を横切ることになった。以前の「太極旗部隊」より規模と声が大きくなり、まれに若者たちの姿も見えた。極右ポピュリズムの登場が世界を騒がしている時代を迎えている。韓国も例外ではない。大統領弾劾の是非にかかわらず、私たちは長い間、彼らと共に生きていくことになるだろう。
女性学・平和学研究社のチョン・ヒジンは、極右と共に生きていく方法は「断固たる対処」ではなく、「共存」だと主張する。もちろんその共存は彼らに同意するのではなく、「『私』を消すという人々、『私』の死を願うという彼らの意見を尊重し、彼らと共に生きていくという覚悟を持ち合わせた共存」だ。数多くのコメントで賛否が分かれたが、その共存が勝つことを願う。
しかし、共存だけでは足りない。尹錫悦(ユン・ソクヨル)と彼を取り巻く集団が増幅させた極右ポピュリズムの攻勢は過去にもあったし、今後も続くだろうが、その規模と弊害を減らさなければならない。そのためには、まず発生の原因と作動原理を理解しなければならない。
社会心理学者のセラ・ジェイと同僚たちは、近年世界で猛威を振るっている極右ポピュリズムが、不平等という燃料の供給を受けて作動しているという研究結果を発表した。不平等は社会の凝集力と信頼を弱めるが、これは貧しい人々に相対的剥奪感を抱かせるだけでなく、富裕層にも自分が低所得層に墜落するかもしれないという不安を抱かせるという。極右が貧困層だけでなく富裕層を含む多様な所得集団でも現れるのもそのような理由だ。これは不平等な社会を描いたエドワード・ベラミーの小説に登場する馬車と同じだ。人々は馬車に乗るためにもがき、馬車に乗った人たちはその席を子孫に受け継がせることを生涯最高の目標にしながらも、馬車がガタガタと揺れるたびに馬車から落ちるのではないかと不安に思う。
この不安は、北朝鮮だけでなく移住者、中国人、同性愛者のような「外部者」に対する非難とヘイト(嫌悪)へと発展し、「自分が神より上と主張する牧師」のように、カリスマのある集団に合流するよう導く。一方では、自分が道徳的だと信じたいがため、彼らは「愛国者」のように振る舞う。彼らが太極旗を持って行進するのはそのためだ。この「道徳感」は人々を集める役割を果たし、違法行為をも正当化する。また、貧しい人々でさえ、国の財政が厳しくなることを懸念して不平等を減らす福祉政策に反対し、緊縮政策に賛成する。これは再び不平等を強固にする悪循環を生む。
この過程で、大衆の不安と脅威感をむしろ増幅させ、自分たちの政治的利益のため活用する極右政治家の役割は欠かせない。彼らは過去の郷愁を再び呼び起こし、不平等の拡大と政治、経済政策の失敗をむしろ相手の政治集団のせいにし、「敵」に対して過激な措置が必要だと主張する。極右政治家たちは不平等を減らすことにも関心を示さない。それが彼らにとって政治の動力であるからだ。
極右の影響力の拡大は逆説的に、従来の民主政治勢力が市民の不安を静め、希望を作り出すことに失敗したことの裏返しであるとともに、不平等を減らすために施行したこれまでの累進税や相続税のような租税制度、社会保障制度が十分でなかったことを示すものだ。
不平等は金持ちと貧乏人を問わず、全員に破壊的な問題をもたらす。韓国も上位1%が全体の富の22.3%を占める代表的な不平等国家になった。様々な理由があるだろうが、以前は労働でお金を稼いでいたが、今やお金で金を稼ぐ世の中になり、新自由主義は極めて巧妙に不平等を当たり前のものにすることに成功したためだ。この状況を打開するためには、個人の所得と資産を貧しい人の10倍以下に制限するような画期的な政策が必要だ。とんでもない話だと思われるかもしれないが、経済学者のイングリッド・ロベインズも富の制限線を設けることを提案している。具体的には「政治的制限線」として資産基準1千万ドル、「倫理的制限線」として資産基準100万ドルを上限に設定する。極端な富は不正な金であり、貧しい人々を引き続き貧困に縛り付け、民主主義を蚕食し、環境危機の主な原因であるためだ。そのような点で、極右勢力は不平等が作り出した終末論的危機の信号弾であるわけだ。私たちが極右との共存だけを語ることができない理由だ。
「人類が将来生き残れるかどうかは、私たちがどれだけ互いに平等に関係を結ぶことができるかにかかっている」。黒人のクィア人権活動家であり、詩人、図書館司書、教授、戦士、2人の子どもの母親だったオードリー・ロードの言葉だ。私は彼女の言うことが真実だと信じている。