福岡の筑豊炭鉱は過酷な強制動員の現場だった。2011年に「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録された「山本作兵衛コレクション」はここから生まれた。一生をここで鉱夫として過ごした作兵衛が描いた697点の生活記録画は、日本が経済大国へと飛躍した時期の鉱夫たちの生活と労働環境を示す「手で書いて描いた人権宣言」と呼ばれる。世界の人々はこのコレクションを通じて、西洋の産業技術が東洋に及ぼした弊害を理解する。しかし、脱出を試みて捕まり、逆さにぶら下げられて拷問を受ける絵の中の鉱夫が誰なのかは覚えていない。なぜか。記憶の中の本質は隠したまま、表向きの価値だけに集中するようにした日本の高度化した論理のためだ。
日本が今度は「佐渡島の金山」という鉱山(佐渡金山)をユネスコ世界遺産に登録しようとしている。佐渡金山は強制動員の現場だった。どんな巧妙な反転の策を準備しているのか正確には分からない。一つ確かなことは、今回こそは世界遺産の登録を防がなければならないという事実だ。いや、この機会を、19世紀半ば以降100年余り続いた日本のあらゆる侵奪と蛮行、そしてまやかしと歪曲をより具体的に示す契機としなければならない。
2015年、日本の「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録当時、遺産の「歴史全体」を知らしめるべきだとする国際記念物遺跡協議会の指摘は、限られた時期(1850~1910年)のみを選んで強制動員の歴史を避けようとした日本のごまかしを無力化する解決策となった。結局、ユネスコ日本大使が「強制的な労役」があったという事実を認めてもいる。ところが、日本は7年たっても歴史全体を伝えることになっている登録条件かつ約束を履行していないのはもちろん、むしろ強制ではなく自発的な参加だったとして歪曲している。全体の歴史の展示場として造られた産業遺産情報センターは、遺産の現場から千キロ以上も離れた東京の総務省別館に設置された。自国の利益に反することについてなら、どんな手を使ってでも隠したり言い張ったりするのが彼らの特技であることはよく知っているが、ユネスコの、いや全人類の前でした最低限の約束さえ守らずにいる国家が、恥も外聞もなく再び強制動員の現場を世界遺産に登録するとは、到底彼らの本音は理解できない。
世界遺産は人類の和合を最高の価値として明らかにするユネスコ精神のもとに認められるものであるため、国家間の紛争の可能性がある遺産であれば、何よりもまず事実に対する客観的な認定と対立の解消が前提にならなければならない。これだけでなく、世界遺産は真正性と完全性という条件に一点の躊躇もあってはならない。遺産に関するすべてが本物であり、真実でなければならない。
ところが佐渡金山は、明治日本の産業革命遺産が歩んだ道を同じく歩もうとしている。時期を「戦国時代末~江戸時代」に限定して強制動員の時期を外し、強制動員に関連する遺産も除外しようとしている。目の前に広がる鉱山の姿は、19世紀末以降、東アジア全体を戦争に巻き込んでいった侵略時代の結果物なのに、どうやって地中に埋もれている以前の時代のものだけで世界遺産を狙えるというのか。誕生、発展、衰退、消滅に至る鉱山の完全な歴史を説明することができず、幼い頃の姿だけを鉱山の歴史として見てほしいという日本の態度に、怒りとともに痛ましさすら感じる。
このような日本の態度は、過去数十年間、明治と昭和の時代に帝国主義的侵略の野心から犯した蛮行を美化・歪曲し、自国民に教えてきた偽りの歴史が明らかになることに対する強迫的な現実逃避の症状から出るものと思われる。侵略と略奪が植民地史観として正当化され、むしろ日本が被害者と認識されることを、全世界は警戒しなければならない。これは決して佐渡金山に限ったことではない。
カン・ドンジン | 慶星大学都市工学科教授・文化財庁文化財委員(世界遺産分科) (お問い合わせ japan@hani.co.kr)