ハイデッガーは「言語は存在の家」だと言った。言語は単なる意思疎通の手段ではない。人間そのものだ。人間が言語を支配するのではなく、言語が人間を支配するのだ。身言書判の二番目が言語だ。言語を見ればその人を知ることができる。
テレビなど放送に出る人たちは、私的な場でもできるだけ暴言を吐いたり悪口を言わないようにする。放送中に思わず暴言が飛び出るのを防ぐためだ。政治家も同じだ。私的な場で放言することがたまにあったとしても、公開の場では放言しない。
ユン・ソクヨル候補の暴言が話題だ。ライバルのイ・ジェミョン候補のことを「確定的な重犯罪者」だとし、「見苦しい」と述べた。政府与党のことを「無知な三流のバカども」と言った。高位公職者犯罪捜査処に対して「おかしくなった人たち」と言った。「高捜処長を拘束して捜査すべきだ」とも言った。
これまでユン・ソクヨル候補を後押ししてきた新聞でさえ、社説で「驚くべきは、政治の新人である国民の力のユン・ソクヨル候補が荒っぽい口論の先頭に立っているという事実」だと批判した。言葉の内容も問題だが、表情と態度の方が深刻だ。
たいへん腹を立てた表情で大声をあげるように語る。大統領に当選すれば、イ・ジェミョン候補とキム・ジヌク公捜処長を直ちに拘束するというような勢いだ。
なぜだろうか。支持率の下落を反転させようとして、わざとそうしているという分析がある。選対委の関係者は「我々の支持層の前だから、そのくらいはやるべき」とかばった。大邱(テグ)・慶尚北道だから、意図的に強い姿勢を見せたというのだ。そうだろうか。違うような気がする。
ユン・ソクヨル候補の最近の発言と態度の方が、検事ユン・ソクヨル、人間ユン・ソクヨルの本来の姿によっぽど近いのではないか。ユン・ソクヨル候補の本性がようやく現れたのではないだろうか。ユン・ソクヨル検事を長く取材してきた社会部の記者たちは、以下のように評価している。
「自分が主導する場では言葉数が非常に多く、遠慮がなかった。地元の兄貴風で、サバサバとして話の面白いタイプだった」
「検事にしては読書量が多い方だからか、かなり口達者だった」
ユン・ソクヨル検事のこのようなスタイルは、長きにわたる特捜部検事としての経験と関係があるだろう。検事、その中でも多くの直接捜査を行う特捜部検事たちは、言葉が険しく態度が荒い。
概ね重犯罪者を扱う中で生じた習性だ。映画でも、検事の悪口と暴力は検事の正義感を引き立たせる装置としてよく登場する。
ユン・ソクヨル候補は先日、朴槿恵(パク・クネ)前大統領の国政壟断に対する捜査について「公職者の身分で法を執行した部分」と説明した。ごもっともな話だ。ユン・ソクヨル検事は間違いを犯してはいない。朴槿恵前大統領が無罪だと信じる人々はユン・ソクヨル候補を非難するが、ユン・ソクヨル検事が苛酷な捜査を行わなかったなら、正義は崩壊していただろう。国がひっくり返っていただろう。
ユン・ソクヨル候補は今、非常に悔しい思いをし、混乱していることだろう。彼は心根が真っすぐな人だ。不正義とみられる集団との対決も辞さない人だ。
2013年の国政監査で国情院コメント事件の捜査に対する外圧を暴露し、「人には忠誠を尽くさない」と発言したユン・ソクヨル検事、2017年に積幣清算捜査を指揮したソウル中央地検のユン・ソクヨル地検長、2019年にチョ・グク法務部長官に対する捜査を推し進めたユン・ソクヨル検察総長、略奪政権を終わらせ、必ず政権交代を成し遂げると意気込むユン・ソクヨル候補は同じ人物だ。ユン・ソクヨルは単にユン・ソクヨルであるに過ぎない。
いったいどこで間違ってしまったのだろうか。検事は基本的に白黒論者だ。人を有罪と無罪に分ける。政治は総天然色だ。絶対善もなく、絶対悪もない。政治家とは、考え方の異なる人々と話し合い、妥協する人々だ。検事が直ちに政治をしてはならない理由がここにある。
ユン・ソクヨル候補と同じ「坡平(パピョン)尹氏」であるユン・ヨジュン元長官は2011年に『大統領の資格』という本を出版している。
「真っ先に言及すべきことは人間に対する深い理解だと言える。それは人類が発展させてきた人文学を土台として人間の本性、特に自我に対する深い洞察から出てくるものだと言える。何より重要なのは人間に対する信頼と、これを基礎として自我の完成と社会の発展のために努力するという自己哲学を確立することだ」
ユン・ソクヨル候補には果たして大統領となる資格があるのだろうか。ないとすればどうすべきなのだろうか。選対委の全面改編で解決できる問題ではないように思える。
ソン・ハニョン|先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )