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[キル・ユンヒョンの新冷戦韓日戦7]北朝鮮、安倍首相のアプローチを蹴飛ばす

登録:2020-10-10 10:11 修正:2021-01-28 08:50
金正恩委員長の立場から考えるなら、すでに韓・米両国と首脳会談を行い、中国・ロシアなど友好国の全面的な支持をバックにした状況で、ややこしい日本との“答えの出ない”拉致問題で攻防を繰り広げる理由はなかった。日本の独自の北朝鮮への接近は虚しく失敗してしまった。 
「朝米シンガポール会談」に先立ち、2018年5月23日に米国ワシントンを訪問し、マイク・ポンペオ米国務長官と会談した河野太郎日本外相=ワシントン/EPA・聯合ニュース  
2018年8月4日、シンガポールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムのフォトセッションで、マイク・ポンペオ米国務長官(左)が北朝鮮のリ・ヨンホ外相に握手を求めて会話を交わした=シンガポール/聯合ニュース

 「日本が蚊帳の外に置かれているという懸念の声があります」(日本記者)

 2018年1月、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の新年の辞をきっかけに、東アジアの旧冷戦構造を崩す南北会談と史上初の朝米首脳会談が相次いで実現すると、日本国内ではこの「激変の流れ」の中で日本だけが疎外されるのではないかという懸念が噴出し始めた。「ジャパンパッシング」論議だった。安倍晋三首相(当時)は、南北首脳が「板門店宣言」を通じて朝鮮半島の完全な非核化を約束した4月27日、自国の立場を説明する簡易記者会見に臨んだ。安倍首相はこの場で、相次ぐ「ジャパンパッシング」関連のストレートな質問に、「絶対、そうではない」という激しい言葉でこれを否定した。「訪米時もトランプ大統領と11時間以上十分に話し合い、基本的な方針について意見を共にしている。文在寅(ムン・ジェイン)大統領とも基本的方向について意見を共にしている」

 しかし、「強い否定」は時に「強い不安」を内包するのかもしれない。日本でジャパンパッシング論議に最も敏感にならざるを得ないのは安倍首相自身だった。南北首脳が板門店で相次いで会い、朝米首脳が史上初の「世紀の会談」を終えた後も、朝日間の意味ある接触は行われていなかったためだ。

 安倍首相には政治家として必ず実現しなければならない「夢」があった。2000年代初め、まだ右翼の若手のホープに過ぎなかった安倍首相が、2006年9月の第1次政権当時、初の戦後生まれの首相の座に就いたのは、前任の小泉政権当時に見せた拉致問題に対する「強硬な態度」のためだった。そうした意味で拉致問題の解決は、安倍首相がよく「畢生の課業」と言ってきた改憲とともに、自身が荒々しい政治の世界を突破できた「目的」そのものといえる。

 当初、朝米接触に対する安倍首相の立場は「対話のための対話は意味がない」というものだった。もちろんそれだけの理由はあった。日本は2014年5月、韓国、米国に横目で見られながら、北朝鮮と「日本人拉致被害者に対する全面的な調査を進め、日本人に対するすべての問題を解決する」という内容の「ストックホルム合意」に署名した。しかし北朝鮮は特別調査委員会まで設置し、大々的な再調査を行った後も、「生存している拉致被害者はいない」という立場を変えなかった。それに対して日本が反発し、北朝鮮の調査報告書の受け取りを拒否して一部緩和した独自制裁を復活させると、北朝鮮も2016年2月、激しい罵倒を浴びせてストックホルム合意の破棄を宣言した。対話の失敗を通じて、朝日間の相互不信の溝は深まっていった。

 しかし、朝鮮半島をめぐる情勢が急変する状況で、いつまでも「棚からぼたもち」を望むわけにはいかなかった。安倍首相は5月14日、衆院予算委員会で「拉致問題を解決するためには最終的に日朝首脳会談を行うべき。首脳会談は拉致問題の解決につながらなければならない」と述べた。その後の6月7日の米日首脳会談後の記者会見では、この問題に対する本人の感情を率直に吐露した。「新潟という、日本海に面した美しい港町に住むわずか13歳の少女(当時中学校1年生だった横田めぐみさん)が北朝鮮によって拉致された。それから41年、家族はただひたすらにその帰りを願い、待ち続けてきた。ご両親も高齢となり、残された時間が少なくなる(父親の横田滋氏は今年6月5日に死亡した)。元気なうちに(両親が)めぐみさんを再びその手で抱き締めることができるよう、全ての拉致被害者が帰ってくる日が訪れることを日本国民は切に願っている。拉致問題を早期に解決するため、北朝鮮と直接向き合い、話し合いたい」。安倍首相が自ら朝日首脳会談を行いたいと初めて言及した瞬間だった。

 安倍首相はこの日の記者会見で、ドナルド・トランプ米大統領が5日後に開かれるシンガポール会談で金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長に対し「拉致問題を提起すると強く約束した」という事実を数回強調した。しかし、この「世紀の会談」を自分のための巨大広報イベントと考えていたトランプが、どれほど真摯な姿勢で拉致問題を取り上げたかは分からない。結局、6・12シンガポール共同合意文に期待されていた拉致問題に対する言及は含まれなかった。

 その日の夜、首相官邸関係者は朝日新聞のインタビューで「もう我々が直接乗り出さなければならない」という見解を明らかにした。日本がついに刀を抜いたのだ。安倍首相は2日後の14日、首相官邸に横田めぐみさんの母親である横田早紀江さんら拉致被害者家族会関係者を呼び、「今回の機会を生かして日本が北朝鮮と直接向き合い、問題を解決していくと決意した」と述べた。この日、河野太郎外相はソウルで開かれた記者会見で、北朝鮮が4・27板門店宣言と6・12シンガポール共同宣言を通じて「非核化について明確に誓約」したので、朝日対話をしてもいい「新たな段階に入った」とし、日本の方針の変化の背景を説明した。日本国民もこれに肯定的に反応した。朝日新聞が16~17日に行った世論調査の結果からは、日本国民の67%が朝日首脳会談の早期開催に賛成していることが確認された。

 首脳会談のためには、北朝鮮と高官級接触を試みなければならなかった。この頃、日本は北朝鮮と北京大使館を通じての「北京ルート」、北村滋内閣情報官(当時)の接触ルート(韓国で言えば国家情報院チャンネル)などを持っていた。日本政府は14日、外務省の志水史雄アジア大洋州局参事官がモンゴルのウランバートルで開かれた国際会議に出席したキム・ヨングク北朝鮮外務省軍縮・平和研究所長と接触するなど、素早く動いた。日本外務省は26日、北東アジア課を韓国を担当する第1課と北朝鮮を担当する第2課に分け、今後の朝日首脳会談に備える態勢を整えた。

 本格的な動きが始まったのは7月だった。この頃、北村内閣情報官がキム・ソンヘ朝鮮労働党統一戦線部統一戦線策略室長とベトナムで極秘会合を行ったという事実が、およそ1カ月後の8月28日、ワシントンポストを通じて公開された。日本政府はこれに対して肯定も否定もしない微妙な態度を維持した。

 しかし、北朝鮮の反応は冷ややかだった。これまで日本外務省は北朝鮮当局と接触する際、大連、香港など第3国での「外務省ルート」を活用したが、今回はこれが機能しなかった。その代わりあふれ出たのは北朝鮮特有の「言葉爆弾」だった。安倍首相が朝日首脳会談の開催の可能性に言及し始めた6月から8月まで、北朝鮮は「朝鮮中央通信」を通じて8件の日本に対する論評を出した。「年初から我々の主導的で平和愛好的措置によって和解と緊張緩和の局面に入った地域情勢の流れをもっとも不満に思い、ブレーキをかけようと戯れている日本の醜態は口にすることさえおぞましい」(6月19日)、「日本が古臭い『拉致問題』を執拗に騒いでいるのは、朝鮮人民に犯した特大犯罪を隠して過去の清算を回避しようという無駄な謀略にすぎない」(6月26日)、「日本が対話について騒ぐのは、心から朝日関係の改善を望んでのことではない。激変する朝鮮半島情勢の流れから押し出された苦しい立場を免れ、遅ればせながら割り込んで利益を得ようという邪な打算によるものだ」(7月3日)。

 日本が北朝鮮への接近に乗り出して提案した“ニンジン”は、北朝鮮が本格的に非核化に取り組んだ場合、国際原子力機関(IAEA)の査察に必要な初期費用を負担するというものだった。北朝鮮はこれに対し、7月18日の論評を通じて「ちっぽけで幼稚なラッパ吹き」という冷淡な反応を示した。この連続の談話で北朝鮮が一貫して主張したのは、場違いな拉致問題いじりはやめ、「日本がまず過去の清算をすべきだ」というものだった。

 いよいよ破綻の日が来た。8月3日夕方、シンガポールで開かれたASEAN地域安保フォーラム(ARF)の歓迎晩餐会の席を借りて、河野外相はリ・ヨンホ北朝鮮外相に近づいた。何の事前予告もない「待ち伏せ襲撃」に近い接近だった。これで河野外相は立ったまま、わずか2分の簡単な意見交換ができた。その後、河野外相は日本の記者団と会い、リ外相に「我々の考えと基本的な立場を伝え、これについていろいろな意見交換があった」と述べた。対話のもっと詳しい内容を聞こうと日本の記者たちが9回にわたって質問を浴びせたが、河野外相は「もう申し上げる言葉はない」という言葉ばかりを繰り返した。

 金正恩委員長の立場から考えるなら、すでに韓・米両国と首脳会談を行い、中国・ロシアなど友好国の全面的な支持をバックにした状況で、ややこしい日本との“答えの出ない”拉致問題で攻防を繰り広げる理由はなかった。日本の独自の北朝鮮への接近は虚しく失敗してしまった。

 失意に陥った日本に妙な知らせが伝わり始める。北朝鮮が当初の予想とは違い、非核化に極めて消極的な反応を見せているということだった。日本は再び深い疑念を抱き始める。(続)

//ハンギョレ新聞社

キル・ユンヒョン|統一外交チーム記者。大学で政治外交学を専攻。駆け出し記者時代から強制動員の被害問題と韓日関係に関心を持ち、多くの記事を書いてきた。2013年秋から2017年春までハンギョレ東京特派員を務め、安倍政権が推進してきた様々な政策を間近で探った。韓国語著書に『私は朝鮮人カミカゼだ』、『安倍とは何者か』、『26日間の光復』など、訳書に『真実: 私は「捏造記者」ではない」(植村隆著)、『安倍三代』(青木理著)がある。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/964708.html韓国語原文入力:2020-10-07 09:23
訳C.M

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