子どもの保護者になれば一度は任される試験監督に出向いたことがある。まだ中学生なのに、教室には緊張が張りつめていた。静けさを破って一人の生徒がさっと手を上げる。「先生!問題が間違ってるみたいなんですが!」。試験用紙を受け取るや否やその場で質問する姿が堅苦しく見えた。試験監督の教師は、よくあることとばかりに、慌てる様子もなくその科目の教師を呼び出す。評価期間ごとに教師のもとを訪れ、声を張り上げる子どもたちがいるという話を後になって聞いた。学校の内申が反映される特殊目的高校や全国単位の自律型私立高を志望する生徒であればあるほど、敏感に反応するというのだ。子どもたち自らが出題ミスにまで気を使いながら成績を管理する姿は、高校に入るともっと殺伐としている。内申で9等級をつけなければならない教師たちが難易度の調節に失敗し、誰も1等級がもらえない状況などが起きれば、その後の騒ぎは並みならぬものとなる。
今夏、医学部定員拡大に反発して集団行動に打って出た専攻医や医学部生を見て、1等級をもらうために孤軍奮闘していた子どもたちが思い浮かんだ。内申と修学能力試験(日本のセンター試験に当たる)の点数を基盤にして学閥ピラミッドの頂点にいる「若い医師」たちと、小学校時代から医学部進学ばかりにかかりきりになってきた「医師予備軍」たちは、同じ軌道の上にいると思うからだ。彼らにとって、医師という職業は何を意味するのだろうか。
大韓医師協会は自らの広報物で「毎年全校1位を逃さないために学生時代に勉強に邁進してきた医師」を実力のある医師として描写した。一方、政府が推進する公共医科大学の医師は、「成績はかなり足りないが、それでも医師になりたくて推薦制で入学した」人々だと見下した。行き過ぎた「成績至上主義」という批判を受け、広報物は多少修正されたものの、医師の等級は成績順という認識を自認したかたちとなった。
こうした認識は2000年代以降に深刻化した「医大選好」現象と無関係ではない。始まりは、通貨危機(1997年のIMF危機)を経て労働市場に不安定雇用が増えた頃と一致する。1年で3000人程が選抜される医学部入試を準備する年齢は、ますます若年化している。医学部に多くの卒業生を送り込む高校が名門となり、予備校は医学部志望クラスの実績によって序列が再編された。最近、ある入試コミュニティでは「ソウル大を卒業して公務員試験にも合格したが、やっぱり医大進学を準備する」という書き込みに「よく考えた」「頑張れ」という応援のメッセージがついている。
しかし、肝心の医師の資質を育むことに、韓国の教育がどれほど力を注いでいるのかは疑問だ。医学部の入試で適性を問わないことは基本であり、進路探求は成績表の学校生活記録簿用のスペックとしてのみ存在する。医学部進学後も事情は同じように思える。人道主義実践医師協議会のイ・ボラ共同代表は先月の京郷新聞とのインタビューで「毎朝9時から午後6時まで医学知識ばかりを覚え、金曜午後の2時間の医療倫理の授業は軽い気持ちで聞くことになる」と述べている。
専攻医の集団行動は、こうして育てられた医師たちの優越意識や補償心理をありのままに示している。「専門家」であり「当事者」である自分たちが政策決定過程から排除されたということに特に怒りを表わしたものの、実際に政府とコミュニケーションを取ったり代案を模索したりする試みは皆無だった。政策推進の中止ではダメで、撤回を明言せよという高圧的な態度は、政府は医療政策から完全に手を引けという話に聞こえた。そうする間にも、必須診療である救急や集中治療室の患者すら放置されるという、未曽有の事態も発生している。
すでに、保健医療の研究者たちの中から、全国で上位の試験成績は不要なばかりでなく、むしろ問題になるという指摘が出て久しい。共感できる内容は、おおよそ次のようなものだ。「成績順で医学部に行くから、全国的な成績をおさめた学生が地域を問わず医学部を選択することになる。地域に縁故のない学生が地方の医学部に多数入学することになるから、医学部を卒業した瞬間から虎視眈々と首都圏や地元に戻ることを期待するようになる。これは地域で働く医師の供給に重大な問題を引き起こす」(『適正医師人材および専門分野別専攻の需給推計研究』、チョン・ヒョンソン、2011)
新型コロナにより、韓国社会は公共医療拡充の必要性をいつにも増して痛感している。いっぽう医療界からは「韓国の医学生は公共医療の定義さえ知らない」という告白がなされている。政府には、医師養成政策を根本的に振り返ることを願う。
ファン・ボヨン|社会政策部長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )