10月3日はドイツ統一30周年となる日だった。韓国の歴代の大統領たちは、重要な朝鮮半島平和構想を明らかにする時、ドイツを舞台として活用した。金大中(キム・デジュン)大統領のベルリン宣言(2000年3月9日)、李明博(イ・ミョンバク)大統領の「金正日(キム・ジョンイル)委員長ソウル核安保首脳会議招請」ベルリン提案(2011年5月9日)、朴槿恵(パク・クネ)大統領のドレスデン構想(2014年3月28日)、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の新ベルリン宣言(2017年7月6日)があった。大統領が統一関連メッセージを投じる時、分断を克服し統一を成し遂げたドイツ以上に象徴的な所はないためだ。
3日、ドイツ・ブランデンブルク州のポツダムで開かれた30周年記念式で、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイアー大統領は、東ドイツの体制を終息させた平和革命家のための新しい記念碑の建設を提案した。シュタインマイアー大統領はこの記念碑が「東ドイツ市民が自ら運命を切り開き自由を得たことを刻印する場所になるだろう」と述べた。東ドイツの市民が統一の主体だったという話だ。彼の提案は、ドイツ統一に対する韓国社会の通念とはかなりかけ離れている。韓国では多くの人が統一の主体を西ドイツと見て、西ドイツが東ドイツを吸収統一したと思っている。
本当に東ドイツは吸収統一されたのだろうか?今までに出てきた国内外のドイツ統一に関連する議論と研究を調べると、大きく分けて三種類の意見がある。
第一は、1989年11月にベルリンの壁が崩れ、翌年の10月3日に西ドイツが東ドイツを吸収統一したという主張だ。韓国国内では多数説だ。李明博・朴槿恵政府時には、ドイツ式の統一を手本として北朝鮮の崩壊を前提に吸収統一を準備しようとの主張が出てきた。「統一税新設」(李明博)や「統一大当たり」(朴槿恵)のような話を大統領がすると、吸収統一の費用・効果に対する研究があふれ出た。
第二は、ドイツの統一を吸収と規定することは誤解であり、東ドイツの住民に対する冒とくだという主張だ。東ドイツの市民が無血革命で東ドイツの独裁政権を倒し、自発的選択により平和統一を成し遂げた。無血平和革命は、1989年5月の東ドイツ・ライプツィヒ不正選挙抗議デモから始まった。当初は2000人が参加したライプツィヒのデモは、その年の秋と冬には東ドイツの各地で旅行の自由、民主化、ドイツ統一を要求する数十万人規模のデモに拡大した。1990年3月、東ドイツの国会議員選挙で「早期統一」を公約に掲げた政党が圧勝し、その年の10月にドイツは統一を成し遂げた。ドイツの統一の過程を調べてみると、東ドイツは吸収統一の対象ではなく統一の主役だった。東ドイツの市民が統一の方向と速度を決めた。2015年のドイツ統一25周年記念演説で、当時ドイツのヨアヒム・ガウク大統領は「統一は平和革命で生まれた。東ドイツの人々は恐れを克服し、強力な民衆運動を通じて抑圧者らに対し勝利をおさめた」と話した。ドイツでは“吸収統一”という言葉自体がなく、ドイツで統一を説明する際には“加入”とか“結合”などの概念を用いるという。実際、ドイツの統一は東ドイツ5州が西ドイツ連邦に加入する形式でなされた。
第三は、「合意型吸収統一」と見る主張だ。東西ドイツが民主的で対等な交渉を通じて成し遂げた平和統一だったが、統一以後の統合過程で深刻な問題が発生したということだ。西ドイツの基準に合わせて東西ドイツの統合がなされ、事実上の吸収統一になった。
専門家によってドイツが吸収統一されたか否かは意見が分かれる。一つ明らかな事実は、ドイツの統一は東ドイツの住民自らが選択した結果という点だ。南北統一をするには、北朝鮮住民の心をつかまなければならない。東ドイツの最後の首相となったデメジエール氏は「朝鮮半島の統一は、北朝鮮の住民が自ら望む時に完全に成し遂げられる」と話したことがある。
私たちもドイツのように北朝鮮住民の心をつかんで統一をすることができるだろうか。私たちは西ドイツに比べて統一の準備が足りず、時間が経つにつれ国民の統一に対する熱意も冷めている。そのうえ、私たちは「韓国が正常であり北朝鮮が正常でないので、統一をするには北朝鮮が先に変わらなければならない」と考えている。もし今の状態で南北が統一されるならば、ドイツ以上にきびしい葛藤に包まれる可能性が大きい。統一を体制統合のような政治的次元だけでなく、社会統合の次元でも見なければならない。南北住民が共存できるよう、雇用・福祉などの社会経済システムを先に整える、現実的で段階的に進むアプローチが必要だ。
クォン・ヒョクチョル論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )