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[寄稿]日本の代わりに朝鮮半島が分断された理由

登録:2020-08-14 02:20 修正:2020-08-14 12:05
第二次世界大戦後の連合国による日本分割占領案//ハンギョレ新聞社

 なぜ敗戦国の日本ではなく、朝鮮が分断されたのか。朝鮮民族なら誰もが一度はこのような疑問を抱いたはずだ。8月15日を「解放の日」として記念するには、まさにその日から始まった分断があまりにも無念だからだ。民族の言葉と文字は取り戻したものの、千万の家族が生き別れとなり、国中が世界的な戦場となった歴史が無念で、今日まで続く緊張と対立が無念なのだ。この歴史の皮肉は偶然だったのだろうか。最近の諸研究は、極秘扱いが解除された記録を通じて当時の状況を明らかにしつつある。

 戦争に勝利した連合国は、敗戦国ドイツのように日本を分割占領することにした。1945年6月にドイツの分割統治が始まり、次は日本の番であった。7月のポツダム会談で米英中ソの連合国は日本の分割占領に合意した。米国が関東と関西、ソ連が北海道と東北、英国が九州と中国地方、中国が四国をそれぞれ占領し、東京はベルリンのように4カ国が分割統治する占領計画が話し合われた。米国務省は8月13日、「日本占領のための国別武力構成案」を作成した。

 日本の分割計画はなぜそのまま実行されず、筋違いにも朝鮮が代わりに分断されたのか。その数日の間に一体何が起こったのだろうか。最後の一人まで戦うと言っていた日本はなぜ急に8月15日に降伏したのか。これまでは主に原爆投下のためだと言われてきた。しかし、在米の日本の学者、長谷川毅教授は、原爆投下よりもソ連参戦の方が決定的だったという。ソ連が参加する日本の分割を避け、天皇制を守るためだったというのだ。原爆のせいで降伏したという主張によって、米国の日本列島単独占領は支えられてきた(『終戦の設計者たち』 メディチメディア、日本語版は『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』中央公論新社)。

 一方で小代有希子教授は、日本の軍部が、米国とソ連の衝突地点を日本列島ではなく中国大陸や満州、朝鮮になるように誘導しようとしたという。敗戦後、日本の再起に有利な状況を作るためだった。朝鮮の38度線付近も日本軍が選んだ有力な米ソ対立地点の一つだった。ソ連は8月9日、開戦早々満州と南サハリンに進撃し、たった1日で咸鏡北道雄基(ウンギ)を占領した。翌日の10日、日本は降伏の意思を伝えた。米軍少佐のディーン・ラスクは、一夜にして朝鮮の38度線を分割占領線として提案した。ソ連軍の北海道上陸は時間の問題だった。日本の天皇は8月15日、「終戦(敗戦でも降伏でもない)宣言」を行った。日本が最も恐れたソ連の参加する日本列島の分割占領を避けることができるほど早い降伏だった。

 しかし、逆説的にソ連を東アジアに引き入れ、原爆のような人類的災厄を招いた遅きに失した降伏だった。1945年2月にヤルタで連合国首脳がソ連の対日参戦を議論していた時、日本の近衛文麿元首相は「敗戦不可避論」を主張した。敗戦後の共産主義革命を避け、天皇制を維持するには、速やかに英米側と交渉して戦争終結を進めるべきというものだった。昭和天皇はそれでも、終戦交渉を有利に進めるには、敵に確実な打撃を与えなければならないと述べた。そうして始まったのが4月の沖縄戦だった。

 それは「出血作戦」と呼ばれた。目的は戦闘に勝つことではなく、敵の出血を最大限に引き出し、降伏条件を緩和することだった。「出血」はその敵と戦う日本軍とすべての民間人にも求められた。神風特攻隊も投入された。これらは日本本土を守る「防波堤」、「捨て石」と言われた。沖縄戦は残酷だった。直接戦闘を行った双方の軍人の死傷者も多かったが、46万人の住民のうち12万人が死亡した。緊急動員された1万人にのぼる朝鮮人「軍属」と「慰安婦」も犠牲となった。

 無謀で残酷な「出血作戦」に突き当たった米国は、ソ連に参戦を求めるとともに、原爆の開発を急いだ。原爆が製造されると、戦争を早く終わらせようと人口数十万の都市に二度もそれを投下した。新兵器の威力を誇示し、戦後の覇権を固めるという目的もあった。ソ連は侵攻の日を繰り上げて、日本占領の分け前を確保しようとした。天皇制を守ろうとして降伏を遅らせた日本と、東アジアの秩序を自らに有利にしようとした大国の戦略のせいで、数百万人が犠牲となり、民族の運命が分かれた。

 日本の降伏の知らせを聞いて、独立運動家の金九(キム・グ)はその時期の巧妙さを嘆いた。中国で長年にわたる国共内戦を経験し、国際政治の冷酷さを見守ってきた亡命政府の主席は「解放」を素直には喜べなかった。解放とともにやってきた分断はすでに75年、南北対立と戦争の恐怖はいまだにこの地を押さえ付けている。分断の痛みを乗り越え、我々は金九があれほど願っていた「文化の力」を築き上げた。国際情勢は再びこの地を米中超大国の衝突の最前線へと押し上げている。自主外交の知恵を集めるべき時である。

//ハンギョレ新聞社

チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/957597.html韓国語原文入力:2020-08-13 04:59
訳D.K

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