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[寄稿]日本の極右の歴史否定の中で誕生した「反日種族主義」という幽霊

登録:2020-05-16 08:14 修正:2020-05-17 15:45
イ・ヨンフンの主張は歴史学を装った横暴…李承晩・朴正煕を持ち上げる一環 
統計資料の恣意的解析により日帝の組織的な慰安婦動員の事実を否定 
2016年6月、ソウル市民庁ギャラリーで開かれた「重重写真展 消せない痕跡」写真展の開幕に先立ち、写真家のアン・セホン氏がアジア日本軍「慰安婦」被害の女性の写真を点検している=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

寄稿・「反日種族主義との闘争」批判

 「反日種族主義」との言葉が韓国と日本で幽霊のように徘徊している。イ・ヨンフン(元ソウル大学教授・李承晩学堂校長)が作った新造語だ。嘘文化、裸になった物質主義とシャーマニズムが結びついた種族の敵対感情が、隣の日本に向かったことを批判するために作った単語だという。簡単に言えば、歴史と領土問題について韓国の「反日」感情だけを問題にして、韓国の民族主義を「種族主義」に貶めたのだ。イ・ヨンフンなどの韓国の歴史否定論者は、植民と戦争の被害者の位置を捨てて日本帝国主義の加害者の視線に自らを同化した後、自己否定と自己嫌悪をしているわけだ。なぜそうなのか?

 イ・ヨンフンは日本のNHKとのインタビューで「親日派」との攻撃について「それでは、あなたは反日種族主義者」との反撃が可能になったと自負したことがある。中国や北朝鮮より米国や日本と親しいほうがより良いと自ら親日派を自任して、それを愛国の証と考える。その底には「反文(在寅)連帯」の情動が敷かれている。去年9月にリュ・ソクチュン延世大学教授が自身の講義で学生にかなり真剣に言ったことも、単に「妄言」として流すのではなく、そのような脈絡でアプローチしなければならない。リュ・ソクチュンにとって日本軍「慰安婦」は自発的な「売春婦」であり、「従北団体」の挺対協により調整されて被害者である振りをするハルモニ(おばあさん)だ。彼は事実に即した歴史を見ようという、別の見方をすれば常識的な主張をして、突然、『反日種族主義』を読めばそれが全て分かるようになると学生に言った。具体的にリュ・ソクチュンが語る事実というのはどのようなものなのか?イ・ヨンフンの主張どおり、日本軍「慰安婦」は強制連行されなかったし、公娼制の合法的な枠の中で個人営業と自由廃業が可能な稼ぎがいい売春婦であり、性奴隷ではなかったということだ。

『反日種族主義との闘争』//ハンギョレ新聞社

 今年始め、私は『脱真実の時代、歴史否定を問う:「反日種族主義」現象批判』を出版して、イ・ヨンフンの主張がなぜ「基本事実」でないのかを批判的に論証・例証した。そのために、日本の極右(特に教科書右派)の歴史否定論が、イ・ヨンフンの反日種族主義のフレームでどのように脚色されてゆがんだのか、そのようなやつれた主張と歪曲された論理が、どのような背景と脈絡から出現したのかよく調べた。『反日種族主義』は、植民地近代化、李承晩(イ・スンマン)の建国と朴正煕(パク・チョンヒ)の産業化のみを高く評価したニューライト教科書・国定教科書の試みの延長にあった。これは今回新たに出版された『反日種族主義との闘争』の発行日からも確認される。「2020年5月16日初版1刷」。イ・ヨンフンが朴正煕の「5・16軍事クーデター」をどう見ているのか、この本で何を記念するのかを表す。

 このように見れば、イ・ヨンフンが『反日種族主義との闘争』で「歴史家は当代のそのような現実をありのまま忠実に描写するだけ」として歴史家は裁判官ではないとの主張は、本当に欺満的だ。彼が関与した二つの歴史教科書と「反日種族主義」シリーズこそ、彼の話に戻れば、歴史学を装った横暴ではないだろうか。事実が勝利すると語って李承晩精神も同じだとの話は、彼らだけの歴史的評価であることが明らかであるにも関わらず、歴史的事実だと言い張っている。

 イ・ヨンフンは『反日種族主義』で「貧困階層の女性に強要された売春の長い歴史の中から日本軍慰安婦制だけ取り出して日本国家の責任を追及してはならない」と書いたことがある。彼は「私たちの中の慰安婦」の歴史を論議して、この慰安婦制が解放後も継続し、より劣悪であったとして、その責任は累代にわたる家父長制の歴史と結合した韓国の独特な「種族主義」にあると主張する。しかし「慰安婦」制は、それが米軍・国連軍・韓国軍慰安婦でも何でも、李承晩政権が違法に「黙認管理」して続いたのだ。休戦後、李承晩政権と軍が設立した慰安所は消えたが、伝染病予防法施行令などの関係法制と国家の行政作用の下に、「慰安婦」の用語は主に米軍相手の基地村女性を示す用語として生き延びた。これについても李承晩の信奉者であるイ・ヨンフンは、女性が国家により保護されることができなかったという形で国家責任の所在を曇らせ、その代わりに韓国社会の家父長制と種族主義に責任を擦りつける。さらに、日本軍「慰安婦」の時は、性病、妊娠被害、事業主との関係、所得水準などでより良かったとの転倒した主張を『反日種族主義との闘争』でも繰り返す。

 日本軍「慰安婦」の強制連行と業者の問題に対しても、イ・ヨンフンは同じ手法で歪曲された論理を展開する。さらに、彼は自分を批判する論者の文章を歪曲したり脈絡なしに選別して搾り取り、自分の主張を強化する方法として利用する。例えば、彼はユン・ミョンスクの文章で「日本軍が銃剣で娘たちを連れて行くことはなかった。映画のそのような場面は少し行き過ぎだ」と直接引用したが、元々のユン・ミョンスクの文章は「日本の軍人が銃剣で朝鮮人の娘たちを連れて行く姿が普遍的だったように認識されたのは行き過ぎだった」である。ユン・ミョンスクの議論は「初めからなかったということではなく、そのような事例はあり、ただし普遍的ではなかった」と語っているが、イ・ヨンフンはこれを歪曲した。また、イ・ヨンフンは「官憲による直接的な強制を立証した文書資料はまだ発見されていない」と和田春樹教授の言葉を持ってくるが、元々そんなことはないので(政策も指示もないから)証拠がないという形で恣意的に解析・活用する。しかし、和田春樹の主張は、軍「慰安婦」の動員は国家の組織的統制により成り立っていたもので、民間業者もその統制の一部だったということだが、(日本本土と異なり)植民地朝鮮に対してはこれを明確に立証する公文書がまだ発見されていないという話だ。そのような公文書を作る必要もなしに強制動員が行われたり、そのような公文書があっても組織的に廃棄されたと解釈するのが正しい。

2016年6月ソウル中区の旧総監官邸の場所で開かれたソウル日本軍「慰安婦」記憶の場所起工式の場面=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 統計の解析と活用も同じだ。イ・ヨンフンは不完全な統計や一部の事例を選別して全体を歪曲し、恣意的に分析してこれを「基本事実」だと主張する。日本軍「慰安婦」の強制連行・強制動員の問題が当時発生した略取(本人の意思に反して暴行や脅迫を手段に女性を支配下に置いて動員)と誘拐(甘い言葉でだまして女性を動員)犯罪の問題に反論が争点化され、イ・ヨンフンは「略取・誘拐犯罪の検挙、検察送致および不起訴推移」の統計を提示する。

 彼の主張の要旨はこうだ。1929~30年に略取・誘拐犯罪がピークに達してその後下落し、慰安所が本格的に設置された1937~38年、戦争が太平洋と東南アジアに拡張された1941~42年以後にも有意な変化なしに下落したということだ。それと共にこの犯罪が「主に下層民の貧困に起因した社会問題」であり、1930年代から植民地近代化と生活水準が改善されて略取・誘拐犯罪が減ったものだと解釈する。イ・ヨンフンが提示したのは、朝鮮総督府統計年譜の「犯罪検挙事件処分」統計でも、刑事犯罪の中の略取・誘拐の項目だけを選び出したのだ。実は統計資料によると、略取・誘拐だけではなく、全体の刑事犯罪統計推移が1930年でピークであり、その後下落した。 それならば、そこから多くの研究質問と仮説が出てくるべきなのに、イ・ヨンフンは直ちに社会経済的要因と変化に結びつける。しかし、植民地刑事司法の専攻者ならば、刑事政策または特定犯罪の検挙および起訴に対する刑事方針の変化など、刑事司法領域の独自性を考慮して分析するはずだ。そして軍「慰安婦」動員に直結している略取・誘拐統計に、1937~1938年にも、1941~42年以後にも有意な変化がないならば、この犯罪に対する植民地刑事当局の捜査・起訴・裁判・行刑の方針と運用実態について関連資料を持って分析を始めなければならない。しかしそれは、イ・ヨンフンが決めておいた答えではないためか、排除された。

 イ・ヨンフンが事例に挙げたハ・ユンミョン夫婦の事件でさらに深く論議してみよう(イ・ヨンフンはハ・ユンミョンを女性としたが、それも間違いだ。「基本事実」は男性だ)。「色魔誘拐魔」のハ・ユンミョンの悪事は当時でも名をとどろかせたが、裁判や入監記録などはなく、どの程度の刑に服したのか確認する方法が今のところはない。ただし、彼がその後もシンガポールで軍慰安所を経営したとの記録がある。これに関連してイ・ヨンフンは、ハ・ユンミョンが女性を独立戸主に書類偽造して「自分の意志で慰安婦になる形式要件」を取り揃えたので、言い換えれば合法(または合法を偽装)であるため、「有罪判決を受けた可能性はあまり高くない」と推定する。歴史叙述というより、ほとんど小説を書いている。

 実はこのような事例がいくつかある。それでこれを交差分析して総合的に判断する必要がある。漢口で慰安所を経営したイ・ドンジェと上海で海軍慰安所を経営した村上富雄の事例がある。特に村上富雄は1937年3月初め、日本の大審院(最高裁判所)の判決まで出て2年6カ月の懲役刑が確定した。ところが興味深いことに、彼は実際にはその刑期を満たさず、1939年以後も相変わらず軍慰安所を経営した。日本軍は彼が誘拐犯罪で有罪判決を受けても意に介せずに慰安所業者として信頼したという話だ。

 既存の研究によれば、1937年末と1938年初めに警察は軍の要請で業者が動いたとのことを公式に確認した。1938年2月と3月に日本の内務省・陸軍省は、略取・誘拐などの方法について厳重に取り締まり、同時に軍の体面を考えて業者の選定を主導適切にして、その実施を憲兵・警察と協調して社会問題にならないようにせよとの指示を下した。関連資料と研究がそうであれば、警察の検挙に比べて検事の起訴が顕著に落ち(不起訴率80~90%)、何より警察の検挙統計値も日本軍「慰安婦」動員が本格化する1937~38年、1941~42年以後も下落するならば、他の仮説を立てるのが当然だ。合法またはその偽装を越えて、日本および植民地の刑事司法当局が軍の要請で業者を庇護したり、お互いに共謀したと見るべきではないだろうか?ハ・ユンミョンのような略取・誘拐・人身売買犯である慰安所業者は日本軍には必須な存在であったから、それが可能だったのだろう。学界にはこれに対する研究(パク・チョンエ、カン・ジョンスクなど)が既にある。ただし「答えだけを言えば」イ・ヨンフンに発見されないだけだ。

 その他に「慰安婦」の高収益の主張と日本軍「慰安婦」問題の教育を眺める彼の「暴力的心性」(愕然とするが彼の言葉を返す)に対しては、紙面の制約で次の機会にすることにする。

//ハンギョレ新聞社

カン・ソンヒョン聖公会大学教授、東アジア研究所冷戦平和センター長

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/945058.html韓国語原文入力:2020-05-15 10:32
訳M.S

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