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[特派員コラム]朝・日の首脳は会えるだろうか

登録:2019-06-13 21:06 修正:2019-06-18 07:46
1990年9月28日、金日成主席(中央)が訪朝した金丸信自民党副総裁(左)、田辺誠社会党副委員長と労働党、自民・社会党の3党宣言に署名をした後握手している//ハンギョレ新聞社

 1990年9月24日、自民党の金丸信議員と社会党の田辺誠副委員長が北朝鮮を電撃訪問した。1986~87年に副首相を務め、日本政界の実力者として君臨した金丸氏は、9月26日に妙香山(ミョヒャンサン)で金日成(キム・イルソン)主席と会談した。訪朝最終日の9月28日、自民党と社会党、そして北朝鮮の朝鮮労働党は「3党共同宣言」を発表した。共同宣言には「3党は、かつて日本が36年間にわたり朝鮮人民に加えた大きな不幸と災難、戦後45年間に朝鮮人民が負った損失に対して公式的謝罪をし十分に補償しなければならないことを認める」と宣言した。さらに「両国間に存在している非正常的状態を解消し、できるだけはやく国交を樹立しなければならないことを認める」 「在日朝鮮人が差別を受けずに、その人権と民族的なすべての権利、法的地位が尊重されるべきで、日本政府はこれを法的に保証しなければならないことを認める」と宣言した。

 29年前の金丸氏の電撃訪朝の背景には、冷戦の解体という時代の流れがあった。3党共同宣言の二日後の9月30日、韓国はソ連と国交樹立した。一年後の1991年には、ソ連が解体された。しかし、国交樹立は成り立たなかった。3党共同宣言に明示された公式的謝罪と補償に対して、日本国内では「屈辱外交」という非難が起きた。1992年には右翼団体会員が講演会に参加した金丸氏に向かって銃を撃つ事件も起きた。幸い銃弾ははずれたが、衝撃的な政治家襲撃事件として今も記憶される。日本人拉致問題も朝日国交正常化がなされない原因だった。

 北朝鮮と日本は、2002年に再び国交正常化のために大きく動いた。小泉純一郎首相が平壌を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長と会談した。金正日委員長は、日本人拉致問題について認め謝った。2002年に北朝鮮と日本が発表した「朝日平壌宣言」に「(北朝鮮は)両国の異常な関係の中で発生したこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」という表現を入れ、間接的に日本人拉致問題に言及した。2002年の平壌共同宣言の背景には、ジョージ・ブッシュ米国政府の対北朝鮮強硬政策があった。ブッシュ大統領はその年の1月29日、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しした。小泉訪朝と「平壌宣言」を主導した日本総合研究所傘下国際戦略研究所の田中均理事長は「当時、北朝鮮は米国が攻撃しないだろうか恐れていた。北朝鮮が当時日本と交渉した理由には安全保障の問題も関わっていた」と回顧した。

 安倍晋三首相は先月から「条件を付けずに金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長と会いたい」と話している。安倍首相は、以前は北朝鮮に対して「最大限の圧力」だけを叫んだが、ドナルド・トランプ米大統領が2018年3月に韓国の仲裁で朝米首脳会談を決断すると、いちはやく態度を変えた。

チョ・ギウォン東京特派員//ハンギョレ新聞社

 昨年6月の初の朝米首脳会談以後の1年は、そのような意味で国際政治の冷静さを実感できる時間だった。北朝鮮と日本は、時代が大きく変化する度に会ってきたが、国交正常化という実は結べなかった。安倍首相の今回の提案が受け入れられるかも未知数だ。今月7日、東京の日比谷公園野外音楽堂で日本の市民が「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を」というテーマの集会を開いた。集会参席者は、日本政府と北朝鮮の対話を促しながらも「安倍首相は足もとを見なければならない。朝鮮学校の高校無償化教育除外のような在日朝鮮人差別があってはならない」と話した。

チョ・ギウォン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/897811.html韓国語原文入力:2019-06-13 19:20
訳J.S

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