北朝鮮も米国も“長期戦”を選択した。2月のハノイ朝米首脳会談の合意見送り以後、両側が出した新たな方針だ。両国とも対話の門は開いておくと言ったが、「相手が先に自身の要求を受け入れるならば」という条件が付いている。「関係を先に壊した」との非難を避けるための修辞のように聞こえる。
金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長は12日、最高人民会議14期1次会議の二日目の施政演説で「国のすべての力を経済建設に集中」しようとしつつも「自力更正」をその方法論として提示した。ドナルド・トランプ米大統領は、連日「急がない」として、制裁の効果を期待する態度を見せている。
長期戦が双方の本当の意図なのかは分からない。「相手の方がより急いでいる」という判断に寄り添った圧迫カードなのか、あるいは相手の交渉チップを無力化するために自身の弱点を隠そうとしているのかは明らかでない。ただし、いずれか一方が容易には先に譲歩しないだろうということだけは明らかに見える。意図と関係なく、現在の状況が長期化しかねない。
長期戦になれば、双方は耐えられる体力の勝負に入るほかはない。得よりは失うものが多い。持久戦の末に重い病に罹って致命傷にもなりえる。
まず、北朝鮮の自力更正は1960年代に出された方式だ。日帝が満州攻撃の後背軍需基地として活用した、当時としては最新だった北側地域の産業施設を受け継いだために可能だった。経済規模も小さかったため、水力発電だけで産業を稼動するのに充分だった。政権樹立後の序盤、北朝鮮指導部の自信と“新国家”を建設したという人民の自負心が“大衆動員”を可能にした。労働力の集中投入で短期間に目標生産量を突破した。
だが、時間が過ぎて日帝の産業遺産は老朽化し経済規模が大きくなると、過度に電力に依存した産業構造はますます負担になった。新国家建設の熱気が消えて、大衆動員だけで成果を上げることは難しくなった。北朝鮮の資本蓄積危機は、社会主義圏の崩壊を待たずとも、すでに70年代後半か80年代初期から現れ始めたというのが定説だ。
外部からの資本の輸血なしには、北朝鮮経済が質的跳躍を遂げるのは難しい。北朝鮮が制裁解除にこれほどまでに執着するのはそのためだ。“自力更正”で短期間は持ちこたえられても、長期化すれば蓄積の危機が、回復しつつある人民の生活をいつの間にか脅かすだろう。
米国も長期戦を厭わないと大言壮語できる状態ではない。北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射試験をしないからと言って、安保の脅威がなくなったわけではない。北朝鮮が核物質の生産を継続しているという伝言が絶えない。北朝鮮が善意を無にしたと非難することもできない。核物質の生産を中止できる、拘束力のあるいかなる合意もなかったためだ。それは道徳の問題ではなく、交渉の問題だ。
北朝鮮の核兵器が増えるほど、米国はより厳しい北朝鮮と向き合わなければならない。米国ワシントンのシンクタンク「ウッドロー・ウィルソンセンター」のロバート・リトワク国際安保研究部門長は、2年前のインタビューで「北朝鮮の核兵器が15個から100個になることは、米国にしてみれば(形勢を変えることになる)“ゲームチェンジャー”」であり「中国にしても、それにともなう代価を背負って生きなければならないため“ゲームチェンジャー”」と強調した。
北朝鮮の核物質生産が増えるほど、核兵器の廃棄あるいは放棄の交渉はますます困難になり、核を減らす“軍縮交渉”の様相を帯びることになる。交渉の性格自体が変わることになる。たとえ核兵器放棄交渉をしても、これに伴う費用が急増するだろう。核プログラムの潜在的拡散の可能性も排除できない。
結局、長期戦はトランプ大統領があれほど非難したバラク・オバマ大統領の対北朝鮮政策「戦略的忍耐」と同じ結果を招くだろう。戦略的忍耐とは、北朝鮮が屈服するまで待つ放置であり、放置は結局北朝鮮の核能力を高度化させた。
長期戦は、両首脳の決断により北朝鮮核問題を解く“トップダウン方式”の効果が弱まることも意味する。加えて場外では鋭い攻防戦が続き、これまでようやく積んできた一定の信頼も毀損されている。朝米双方は実務級対話からでも始めなければならない。胸ぐらをつかんででも舞台上でしなければならない。