文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長が署名した「9月平壌共同宣言」に対する自由韓国党のユン・ヨンソク首席代弁人の公式論評は辛口だった。「空虚な宣言に過ぎない。1・2回目の会談から一歩も出て行けなかった」。党指導部はさらに歯を剥いた。「北朝鮮が守ってきたサラミ戦術を受け入れた宣言に過ぎない」(キム・ソンテ院内代表)。 「国防の目を抜いてしまう合意だ」(キム・ビョンジュン非常対策委員長)。北朝鮮の非核化の実質的進展はなく、軍事分野合意書で軍事力を弱めただけという批判だ。
本当に空虚なのは自由韓国党だ。2007年10月の平壌首脳会談も今のように熱かった。だが、すべてが真っ暗闇だった。当時、南側の随行団は金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領を直接出迎えるのか、いつ首脳会談ができるのかさえ心配した。2018年9月の平壌は違った。金正恩国務委員長は夫人の李雪主(リ・ソルジュ)女史とともに文在寅大統領夫妻を出迎えた。平壌市内を共にカーパレードをし、昼食・晩餐と白頭山(ペクトゥサン)登頂日程もあらかじめ知らせた。19日夜、5・1競技場で文大統領は15万人の平壌市民の前で金委員長の核兵器がない朝鮮半島確約、70年続いた敵対行為の中断約束を力説した。平壌市民は歓呼した。変化した平壌、変わった北朝鮮を象徴する歴史が繰り広げられたが、自由韓国党はこうした変化には目を閉ざしている。
一歩も前に踏み出せていないのも自由韓国党だ。2007年の盧大統領と金国防委員長の首脳会談は生みの苦しみを繰り返した。盧大統領が「これでは昼を食べて荷物をまとめて(ソウルに)行くしかないか」と言うほどだった。2018年の金正恩国務委員長は「粗末で」と謙遜する。「朝鮮半島を核兵器も核脅威もない平和の地にするために積極的に努力していくことを確約した」と公言した。関係国の検証のもとで東倉里(トンチャンリ)試験場の永久廃棄、米国が相応の措置を取れば寧辺(ヨンビョン)の核施設の永久廃棄のような追加措置を続ける意志も平壌宣言に明示した。何歩も前に出たのに「北朝鮮は甘い汁を吸いながら、非核化の実質的措置については何も受け入れていない」と批判する。皆が非核化を望んでいる。だが、敗戦国を相手に降参を要求するのではない以上、北朝鮮が渡しただけ米国も譲歩して取引しなければならない。「非核化を先にして米国の恩恵授与を待っていろ」という要求は、局面を壊すだけだ。
実際、失敗したのは自由韓国党だ。2007年の10・4宣言当時、ハンナラ党は「北朝鮮の核は見ずにNLL(北方限界線)放棄宣言」と攻撃した。南北が一切の敵対行為を中断することにした今回の軍事分野合意書に対して、自由韓国党は「一方的武装解除」と非難する。だが、北朝鮮の核が高度化されたのは、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政府の9年間のことだ。安保が堅固で外交に有能だったわけでもない。延坪島(ヨンピョンド)砲撃、「ノック亡命事件」が発生した。金剛山(クムガンサン)観光中断、開城(ケソン)工業団地閉鎖で対応したが、北朝鮮を抑制する主体的力量も、朝米関係を仲裁するテコも持っていなかった。
すべてが変わっているのに、自由韓国党だけが孤立した島のように11年前の認識に留まっているようだ。文大統領に向かって「平壌で昼食に何を召し上がったのか知らないが、深刻な誤りにはまった」として、平壌宣言の無力化を公言している。政府が交渉をうまくできるように批判しなければならない。しかし反対のための反対や足払いでは、朝鮮半島の平和を担保することはできない。守旧政党のイメージが鮮明になるだけだ。自由韓国党が真の保守ならば、今度は米国も誠意を見せろと叫ばなければならない。光化門(クァンファムン)広場で金正恩委員長がカーパレードを行い、国会で演説するように煽らなければならない。日常的に南北の首脳が行き来するならば、非核化も平和も日常になるという想像力を発揮しなければならない。