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[コラム]「統一時代」の再構成

登録:2018-01-31 06:19 修正:2018-03-01 18:34
25日、南の女子アイスホッケー選手団が平昌冬季五輪で単一チームとしてともに走る北の選手たちと忠清北道鎮川の国家代表選手村スケート競技場の前で初めて会い、花束を渡して歓迎している=鎭川/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 国家代表女子アイスホッケーチームの奮闘を描いた映画『国家代表2』には、南北の代表として対戦する北朝鮮姉妹の物語が出てくる。父を追って脱北した姉と、一人取り残された妹が氷の上で遭遇する。体をぶつけてせめぎ合う中、「変節者」と叫ぶ妹に、姉は「氷の上では姉も妹もない、人民代表がそれも知らないのか」と涙声で言い返す。

 『国家代表2』には2003年青森冬季アジア大会から始まった女子アイスホッケーチームの哀歓が込められている。映画では2003年に南北が引き分けたことになっているが、実際は韓国が0対10で負けた。ところが、昨年4月には北朝鮮に3対0で勝っており、同年2月にも毎回大敗していた中国を3対2で制した。映画を見ても単一チームが代表チーム(の選手ら)をどれだけ傷つけたのかが推察できる。

 今回の単一チームをめぐる議論は、おそらく南北関係に里程標になるだろう。統一が至上課題であり、誰も逆らえない定言命法だった時代が終わりを迎えている。「我々の願いは統一」を声を張り上げて歌った時代が過去になりつつある。分断から70年の間、南北は、一つの民族、一つの国というより、同じ根から枝分かれした兄弟国のようになっている。

 単一チームの議論で明らかになった20・30代の現実認識は、50代とは大きく異なる。50代が分断の苦痛を深くこだわる世代である一方、今の20・30代は民族よりも韓国国内の階級矛盾と格差にさらに敏感である。

 統一にあまり興味を持たない世代の登場は、「統一大当たり論」と「平和統一論」のいずれにおいても挑戦だ。両論は方法は異なるものの、統一を目指すという点では同じだ。最近の状況からすると、朝鮮半島の運命がどちらか一方のシナリオ通りにいくとは思えない。歴史には反復がないものだから、想像だにしなかった道が私たちの前に現れるだろう。

 単一チームと共同入場をめぐり、南北が太極旗(韓国の国旗)と人共旗(北朝鮮の国旗)をそれぞれ持って入場した方がいいという話を多くした。単一チームを反対するわけではないが、これからは慎重を期してほしい。友誼と親善を深める手段が必ずしも単一チームである必要はない。京平サッカーのように多くの種目で交流戦を行ったり、国際スポーツイベントを分散開催することもできる。もちろん条件が整えば、単一チームを構成することも考えられる。少なくとも、国際社会では単一チームの構成はかなりの効果がある。

 以前は、南北が国際試合で対決すれば、民族の悲しい運命を見るようで、粛然となったりもした。ところが、今は、北朝鮮スポーツがどれほど成長したのかを冷静に見守ることができる。南北が国際舞台で競争するのが自然な時代になった。

 時代の変化を哀れに思う必要はない。強いて言えば、統一はないのではないかと思う。統一のない統一時代、統一のない南北時代に備えるべきではなかろうか。個人的には50代として、民族が一つとなった朝鮮半島を心から願ってやまないが、もうその悲願は蜃気楼となっているようだ。

 南北が早く“クールに”競争する時代に入ってほしい。国際スポーツ舞台で競争するように南北が競争し、協力する好循環体制を作らなければならない。一日でも早く、天文学的な国防費を仕事がなくて苦しむ若者たちのために使うべきだ。北朝鮮人民の暮らしも豊かにしなければならない。

ペク・ギチョル論説委員//ハンギョレ新聞社

 映画『国家代表2』で、南北に分かれた姉妹は試合後、空港で会って嗚咽する。姉が言ったように、氷の上では姉も妹もないが、それでも二人は熱い血を分けた兄弟だった。映画は二人がまた、他の試合で笑顔を浮かべながら対決するシーンで終わる。南北の姉妹たちは、今回は紆余曲折の末に氷の上で一つになった。南北の代表チーム選手らは練習を開始する際、「私たちは一つだ」と叫んだ。時代と状況が変わり、南北が統一することなく共存するとしても、依然として南北は一つだ。

ペク・ギチョル論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/830073.html韓国語原文入力:2018-01-30 18:57
訳H.J

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