数日前「『帝国の慰安婦』訴訟支援会」(支援会)が発足した。彼らは『帝国の慰安婦』の著者に罰金1000万ウォン(約10万円)を宣告した名誉毀損の訴訟ニ審判決を批判すると共に、これからの訴訟に対する支援を呼びかけた。100人近い人が参加した同会の発足文を見ているうちに、既視感のようなものを覚えた。彼らは「このような二審裁判所の判決を前にし、軍事独裁政権と共に消えたと思われていた思想的統制が再び復活したかのような感覚を覚え、画一的な歴史解釈が再び強制されているかのように感じる人は少なくないだろう」と主張したが、国家機関が歴史を解釈することに対するこの類の批判は約10年前にもあった。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代、「親日反民族行為真相究明委員会」をはじめ、様々な過去事関連委員会が設置され、国家レベルの「過去事清算」作業が行われた。ところが、このような国家事業に“危機意識”を覚え、批判に乗り出した知識人らがいた。内部的な偏差はあるが、大概が民族主義を批判する点では一致した彼らが「ニューライト」と呼ばれる流れを形成することになるが、彼らは国家が「親日賦役派」を規定し、歴史を判断することを強く批判した。このような批判作業の産物の一つが『解放前後史の再認識』(2006)という本で、その編者の1人がこれまで『帝国の慰安婦』を擁護するのに先頭に立ってきたキム・チョル延世大学名誉教授という事実は、ここにある一連の流れをよく表している。
また、今回の支援会には、2015年12月に発表された「有識者声明」とは異なり、ソウル大学のアン・ビョンジク名誉教授やソウル大学のイ・ヨンフン元教授、成均館大学のイ・デグン名誉教授が名を連ねている。彼らはニューライト知識人グループの一軸をなしていた落星垈(ナクソンデ)経済研究所の主要メンバーである。文在寅(ムン・ジェイン)政府が発足し、このような変化が生じたという事実は意味深長である。
ここでまずはっきりしておきたいのは、私が「ニューライト=親日賦役派」という単純な図式で支援会に参加した彼らを罵倒しようとしているわけではないということだ。もちろん、ニューライト系列の知識人たちは、おおむね「親日派」に分類される人物たちに対して友好的で、彼らを理解する必要があると力説してきた。ところが、私たちが注目すべきなのは、植民地権力に協力していた人たちに対する理解が、現在の国家権力に抵抗できない“自分”を受け入れる効果があるということにある。
ニューライト知識人たちが近現代史教育に介入し、主張しようとしたのは「抵抗しても無駄だ」いうことだった。無駄な抵抗をやめて権力と「賢明に妥協しよう」という彼らの立場こそが、その先駆者として「親日派」に目を向けさせたのだ。『帝国の慰安婦』で大きな問題になった日本軍との「同志的関係」という叙述もやはり慰安婦らの抵抗に目を瞑ったことから始まったものだが、彼らが共有したこの無力さが問題の核心だ。
このような視点からみると、支援会が今回の判決と関連して「今後身の安全を確保するためには、国内外の主流集団が“正しい”と認めた歴史認識に従わなければなりません」と言ったことの意味が明らかになる。彼らは国家が決めたら従うべきだと思っているからこそ、国家を“批判”しているのだ。歴史教科書国定化については基本的に支持する立場だったイ・ヨンフン元教授がこのような会に参加するという事実は何を意味しているだろうか。見ためとは異なり、ここには根本的な国家批判は存在しない。
国家批判は国家に対する過大評価から抜け出すことから始めるべきだ。いくら強力な支配の下でも、抵抗自体が途絶えたことはなかった。歴史は私たちが思ったより無力ではないことを教えてくれる。