『にあんちゃん』という映画を見た。今村昌平監督が1959年に撮ったこの映画は、九州北部の小さな炭鉱村で両親を失った在日朝鮮人4人兄弟が貧しい中でも逞しく生きる姿を描いている。炭鉱労働者たちの闘争が激しくなり始めた制作当時の状況を反映してからか、映画は辺境の炭鉱村でのつらい人生に焦点を合わせているが、主人公が在日朝鮮人という事実を全く隠していない。今の状況からすると、このような映画が商業映画として制作され、政府から賞までもらったことが奇妙に思えるかもしれないが、その背景には映画の原作が当時日本でベストセラーだったという事実がある。
この映画の原作は当時小学生だった4兄妹の末っ子、安本未子という少女が書いた日記だ。貧しい中で生きていく自分の日常を淡々と描いたその日記は、出版されてから1年も経たないうちに50万部が売れ、ベストセラー1位にも上った。当時の日本人たちは在日朝鮮人たちの厳しい暮らしを他人事とは思わず、共感する姿を見せたのだ。このような現象は日本の戦後民主主義が持っていたヒューマニズム的な情緒をよく表している。まだ貧困の存在が日常の中で感じられていた高度経済成長以前の日本社会で、人々の感受性は国籍をも簡単に飛び越えていた。
過去日本社会が見せたこのような側面は、日本に対する偏見を破るのに役立つかもしれない。私たちが思い込んでいるほど、日本社会は単純ではない。戦争と敗戦の過程で、日本の大多数の人々が経験した苦しい経験は、確かに彼らの共感能力を育てており、それが戦後の日本で民主化が進む過程で大きな動力となった。しかし、その共感には一つの側面が欠けている。在日朝鮮人たちの苦痛がどこから来たのか、もしかしたら、自分が加害者ではないかと疑ってみる視線がなかったのだ。
日本の戦後民主主義が持つ限界として、その「被害者意識」が指摘されて久しい。日帝の侵略と植民地支配に加担した「国民」を軍国主義の被害者として位置づけたことで、国民が主人である世の中を志向したことが、結局、帝国主義の問題を隠蔽した。戦後民主主義的感受性は国籍を越えたかのように見えたが、それは自分の歴史的位置を無視する範囲内で可能なものだった。
しかし、これは果たして日本だけの問題だろうか。ここで考えて見なければならないのは、日本または帝国主義の問題というよりむしろ民主主義や民主化という見方そのものが持つ限界だ。民主化とは基本的に一国内で起きる現象だ。そのため、通常それは国民主権の実現と見なされる。戦後日本の場合もそうであり、その結果は植民地支配に対する忘却だった。私たちの現実を規定する力が国境線を越えて作用している際に、民主化を中心においた思考はむしろ具体的な現実を覆い隠しかねない。再び民主化を成し遂げた韓国社会にとっても、これは他人事ではない。
民主化の結果によって誕生した大統領が、顕忠日にベトナム戦争を「参戦勇士」立場から評価し、ベトナム政府から抗議を受けたことが思い出される。2016年の統計によると、現在韓国に居住する外国人の中で、朝鮮族が大半を占める中国を除けばベトナムから来た人たちが最も多い。もう15万人もなる彼らにとって、またベトナムに“進出”した韓国企業で働くベトナム人たちにとって、韓国はどのような存在だろうか。
来年の韓国軍によるベトナム民間人虐殺50周年を控え、現在、市民法廷が進められているという。民主化を可能にした私たちの経験と感受性は、国境を越えられるだろうか。