登録 : 2017.03.27 23:07 修正 : 2017.03.28 07:44

農業者の故ペク・ナムギ氏の長女、ペク・トラジ氏寄稿

ペク・ナムギ氏が警察の放水銃に撃たれて倒れてから500日目の27日午前、ソウル鍾路区の光化門広場でペク・ナムギ闘争本部会員たちが記者会見を行い、ペク・ナムギ氏死亡の真相究明と責任者処罰、再発防止対策などを要求している=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社
 もう500日。時間は本当に空しく流れる。父親が倒れたという電話を受けてタクシーに乗ったが、その時も光化門(クァンファムン)からソウル大病院へ向かう栗谷路(ユルゴンノ)は車両通行ができず、光化門広場近隣の地下鉄駅にも地下鉄が無停車通過していたので、しかたなく安国(アングク)駅から走ったり歩いたりしながらソウル大病院に到着した。ソウル大病院の看板が見え始めると足がフラフラした。応急治療室で医者は見込みがないとして「お父様はもう帰ってこられません」と話したが、私が見た父の姿はあたかも寝ているかのようだった。何時間かがすぎて夜中にペク・ソンハ教授が登山服姿で現れ、精いっぱいのことはしてみようと言われ手術同意書に署名した。集中治療室にいる間、一度も目を覚ますことはなく残念だったが、苦痛がなかったことがむしろ幸いだとも思った。そんな風にして317日、父は一度も目覚めることはなく、そのまま永眠した。

 亡くなったこともとても悲しいけれど、悲しんでいる余暇はなかった。警察が父の遺体を奪取するかもしれないという話が聞こえてきたし、亡くなるやいなや警察官3600人が病院を取り囲んだ。これはいったい何のためなのか?病院に次から次へと市民が集まって下さり、集中治療室から葬儀場まで人々が救急車を囲んで守り、そんな風に遺体を移した。亡くなったその日、検察官と法医官が来て検案・検視がされ、家族の同意がない解剖検査はしないだろうと言って行かれたが、解剖検査令状が発給された。国家の禄を食む方々が、このように嘘をつく。そういえば国家の禄を食む方々が父を死なせたのだった。

 死亡診断書もめちゃくちゃで、葬儀を行うこともできなかった。ややもすれば父の遺体を奪われるかと思い、市民が交代で葬儀場を守ってくださり、支援物品も山のように送ってくださった。葬儀場に宅配の車が列をつくって入ってきた程だ。そのような気持が集まって父を守り、葬儀も無事に行うことができた。

 しかし、父を見送っただけで、まだ解決されたことは何もない。カン・シンミョンとク・ウンスは公職生活に何の傷も負わずに名誉退任し、残りの殺人警察一党も懲戒どころか何と昇進までした。民主主義国家で殺人をしておいて、何の処罰も受けないとは、いくら犯罪者親和的な国家だとしても開いた口が塞がらない。

 国家暴力の責任者処罰とともに、殺人武器の高圧放水銃も追放しなければならず、市民の正当な意志表示を遮る集示法も改正しなければならない。公権力乱用の根拠になる警察官職務執行法も改正しなければならない。じわじわとやるしかない。これと関連してペク・ナムギ闘争本部で立法請願活動も展開している。

 朴槿恵(パク・クネ)も弾劾されたし、拘束令状が請求されるというニュースも聞こえる。その下で殺人を犯したカン・シンミョンの逮捕状も請求される日は遠くないと期待する。長い時間を待ってセウォル号が水面上に上がってきたように、私や私の家族もいつまででも待つだろう。

 父の事件と関連して、国家と警察を相手に刑事告発、国家損害賠償請求が進行していて、ソウル大病院に対しても損害賠償請求と死亡診断書訂正請求訴訟を進めている。これが500日かかっても解決できないことなのかとため息が出るけれど、疲れることなく着実に責任者処罰と国家暴力再発防止のための努力をしていくだろう。それが父を見送って残った家族がしなければならないことだ。

ペク・トラジ 故ペク・ナムギ氏の長女//ハンギョレ新聞社

 500日という時間、私たち家族が疲れず屈せず持ちこたえられたのは、多くの方々がいつも関心を寄せて祈り、色々な面で心を集めてくださったおかげだ。おかげで私たちも崩れずに戦い続けることができた。父の事件を体験して、連帯の力、ろうそくの力をはっきり体感した。連帯されたすべての方に手を合わせて感謝申し上げます。国家暴力が消えるその日まで、共にして下さることをお願いします。

ペク・トラジ 農業者の故ペク・ナムギ氏の長女

韓国語原文入力:2017-03-27 20:30
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/788207.html 訳J.S(1736字)

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