「韓国が多くのアジア大陸の国家に比べてより民主的」と主張するには2つの問題がある。まず、表面的に一党政治を標ぼうする国家の実質的な政治的多様性や躍動性を過小評価するという問題だ。二番目は、韓国の形式的民主主義が実際に有権者に提供する政治的選択の“幅”の問題だ。
私たち韓国人は民主化に誇りを持つが、民主化された韓国で現実的な政治的選択の幅は超強硬保守からせいぜい穏健保守までだ。もっぱらごく少数の大企業の私益だけを準備する財閥共和国の基本構造を本質的に変えようとする政治家は、主流政治の舞台に進出できないように設定されているこのシステムは、果たして民主主義と言えるのか?
韓国国内の人々と話す時、しばしば聞く主張が一つある。民主化を成し遂げた大韓民国は、多くのアジア大陸の国々とは違うということだ。中国、ベトナム、北朝鮮などが事実上の一党独裁を維持している反面、韓国では多党制議会政治と平和的政権交替、公正選挙などが可能だということが韓国人にとって大きな自負心の根拠になっているようだ。
もちろん根拠のない自負心ではない。中国やベトナムの以党治国、すなわち実力主義的方式で選抜、配置された指導政党の官僚らが制度的に統治する“大衆独裁”に比べて、はるかにマフィア支配に近い軍部政治を清算したことは、当然に韓国現代史の誇りだ。ただ、この誇りを出発点として「韓国が多数のアジア大陸国家に比べてより民主的」と主張するには2つの問題がある。
まず、表面的に一党政治を標ぼうする国家の実質的な政治的多様性や躍動性を過小評価するという問題だ。事実、一党体制の唯一指導政党内で表出される派閥間政治的見解の相違は、場合によっては韓国における与野党間の差異以上でありうる。ただ、この派閥間の軋轢は、財閥の政治資金を基盤とする遊説期間の“票集結戦争”ではなく、官僚社会内部での勢力拡大方式などで進行されるという点が違う。同じ党でも、政派間の攻防がどれくらい激しいかは、中国の薄煕来(ポー・シーライ)や北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)の運命を見れば簡単にうなずけるはずだ。もちろん粛清に帰結される政治競争方式は全く理想的なものではない。しかし、それでも金持ちからの政治資金支援を離れては存在できない韓国の金権政治も、民主主義の理想に近接するものと見ることはできない。
もう一つは、韓国の形式的民主主義が実際に有権者に提供する政治的選択の“幅”の問題だ。表面的には非民主的な“大陸国家”でも、内部では官僚政派間の意見の相違が非常に大きいこともある。例えば一部の専門家の推測によれば、張成沢は首領主義的唯一指導体制より集団指導体制を好んだ人物だ。1人指導が数十年間続いてきた社会において、これは十分に革命的発想と言える。数十年間にわたり財閥本位の経済体制を維持してきた韓国でいえば、財閥解体程度になる。ところで、果たして韓国で選挙制民主主義の枠組みの中で政治競争の権利を保証された野党がどこまで革命的発想を持ち出すことができるだろうか?
3年前に憲法裁判所は統合進歩党を解散させ政党登録を取り消すという暴挙を敢行した。その時、保守マスコミは統合進歩党をあたかも革命政党程度に描写した。ところが実際に統合進歩党の綱領を見れば、革命どころか欧米や日本の穏健(右派)社民主義政党と大差なかった。“社会主義”のような禁則語(?)は、統合進歩党の綱領前文のどこにも見られなかった。最も核心的な問題である生産手段の所有問題において、統合進歩党は輸出型財閥本位の経済体制の解体、内需型中小企業中心の経済体制の樹立を要求し、「水道、電力、ガス、教育、通信、金融など国家基幹産業および社会サービスの民営化推進を中断し、国公有化など社会的介入を強化して生産手段の所有構造を多元化(…)する」という言葉を付け加えたのみだ。財閥企業を公有化しようという話でもなく、せいぜいが開発主義時期に国有だった国家基幹産業の民営化中止を要求するにとどまった。西欧社会で言えば、この程度なら“中道左派”になるかどうかという程度だ。ところが大韓民国では、この程度の穏健左派でも政治競争に参加する権利を剥奪される。
現時点で韓国の議会で最も左に立っている少数党派(6議席)は正義党だ。強制解散にあった統合進歩党が穏健中道左派に該当するならば、それでも議会政治に参加することを許された正義党は、それより若干さらに保守的な容貌を表わす。その綱領を見れば「必須の食糧・エネルギー・文化・教育・福祉・医療・安全はもちろん、電波と情報通信網など公共財貨とサービスを市場だけに任せない。国家と社会はこうした公共財を効率的に管理して、公正に分配する」という部分は統合進歩党と大同小異だが、財閥本位の経済モデルに本格的に手を加えるという話まではない(ただ、財閥世襲を防止して、その構造を改革すると言っている)。非正社員の使用を厳格に制限するという言葉までは統合進歩党の綱領と同じように出てくるが、統合進歩党の「無償医療」とは異なり、正義党は「無償医療に近い」医療システムだけを約束する。正義党の現実的モデル格であるドイツなどの西欧福祉国家では、すでに広く実行されている労働者の企業経営参加にはまったく言及がない。極めて保守的性格の社民主義に分類される程度の綱領を持つ政党が、大韓民国の議会政治では「急進左派」に近い扱いを受ける。それほどに現実政治の舞台で許される選択の幅が非常に狭いのだ。
総選挙で7%程度の得票率を誇った正義党は、たとえ議会政党とはいえ、議会では非主流に属する。韓国で今まで主流として優遇されうる政治家は、二つの部類、すなわち強硬(ないし超強硬)保守と自由主義色の穏健保守だ。朴槿恵(パク・クネ)極右政権の破産に伴って、政治的競争の中心には各種穏健保守指向の自由主義政治家たちが立つことになった。彼らは正当にも私益集団に過ぎなかった朴槿恵政権の失政と暴政を批判しているが、果たして政策という核心的側面で彼らと強硬保守の間の差異はそれほど大きいだろうか?
最も執権可能性が高く見える共に民主党の文在寅(ムン・ジェイン)元代表のような場合は、4大財閥改革や福祉拡大を口では言う。ところで、彼が代表的経済公約として掲げる部分(電子投票制、多重代表訴訟制、労働理事制など)の多くは、すでに法律改正案として発議されているもので、かつて党論として採択されたものだ。基礎年金を月額30万ウォン(約3万円)に引き上げるという話や、児童・青年手当てを導入するという話も出てくるが、この程度では産業化された国家中で最悪の高齢者貧困問題やすでに南ヨーロッパ水準まで深刻化した青年失業、ないしは不完全雇用問題を解決できないということは明白だ。文在寅は一種の「社会的自由主義」を前面に掲げて「福祉」をしばしば口にするが、果たしてその財政をどのように用意しようとしているのか、正確に理解することは難しい。それは、彼が例えば法人税率の引き上げに極めて否定的であるためだ。韓国の法人税率(22%)は米国(40%)や日本(30%)よりはるかに低いにもかかわらずだ。文在寅は、常時雇用については正社員雇用を原則にしようとは言うものの、企業に許可する非正社員雇用の範囲を法で制限しなければならないという話は、既にユ・スンミンのようにより保守的な潜在的大統領選挙走者でも言っている。
文在寅を見れば、果たして韓国で現実的な政治的選択の幅となっている穏健自由主義者と強硬保守の間の差異がどれほどあるのかを疑うことになる。もちろん文在寅より若干大胆な(?)話をする自由主義者もいる。イ・ジェミョン城南(ソンナム)市長の場合には、法人税を日本水準まで引き上げて、基本所得制を導入すると主張する。それ自体としてはもちろん望ましい方向ではあるが、もっぱら大株主の短期利益を目標にして、雇用全体の5%も担当できない10大財閥が大韓民国の国内総生産の何と80%以上を独占している現在のような状況を、この程度の改革で果たして本質的に変えられるだろうか?
私たち韓国人は民主化に誇りを持つが、民主化された韓国で現実的な政治的選択の幅は超強硬保守からせいぜい穏健保守までだ。もっぱらごく少数の大企業の私益だけを準備する財閥共和国の基本構造を本質的に変えようとする政治家が、主流政治の舞台に進出できないように設定されているこのシステムは、果たして民主主義と言えるだろうか? いくつかの大企業が民主主義を装って事実上永久的に一国を統治するモデルが、なぜよりによって一党統治より民主的だと言えるのか、私には理解できない。
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学