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[コラム]塩野七生、あるいは全体主義の誘惑

登録:2016-05-27 00:54 修正:2016-05-27 07:06

 大学1年の時だったから1995年のことだと思う。先輩の下宿に訪ね、偶然一冊の本を手にした。とてもおもしろかったので帰宅途中に書店に立ち寄った。日本人作家の塩野七生氏が書いた韓国版の『ローマ人の物語』の第1巻だった。

 その後は自然に彼女のファンになった。2巻目で彼女が描写した「カンナエの戦い」についての説明、4~5巻に出てくるカエサルの描写はあまりに魅力的で何度も繰り返し読んだ。後日。『わが友マキアヴェッリ』、『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』など他の著作も読みふけった。彼女の歴史記述の方法について「英雄中心的史観」とか「全体主義的色彩がある」という批判もあったが、20代の私にはどうでも良かった。今でもソウルの自宅の本棚には、彼女の本が20冊以上(『ローマ人の物語』は15巻の大作だ!)置かれている。

 27日、バラク・オバマ大統領の広島訪問を控えて、私の心も忙しなかった。恐れを知らない事件記者だった2005年に、被爆者2世の運動を行ったキム・ヒョンニュルさん(1970~2005)が急死した。皆が驚き、原爆被害の恐ろしさに身を震わせた。安倍政権が広島を前面に出して「被害者コスプレ」をする姿には強い違和感を感じるが、原爆被害の当事者が米国大統領に自身の苦痛を訴え謝罪を要求する気持ちは、人の常として理解できる。90%以上の韓国人がオバマ大統領と安倍首相が韓国・朝鮮人の原爆被害者問題に深い関心を表明するという前提の下に、オバマ大統領の今回の訪問を歓迎していると信じる。人類が体験したこうした苦痛を否定するような人とは、一つ食卓に座りご飯を食べたいとは思わない。

 25日、朝日新聞に載った塩野氏のインタビューを読んだ。インタビューで彼女が注目したのは、被爆者の「低い声」ではなく、日本という「国家の品格」だった。学生時代に小遣いを節約して購入した多くの本に対する記憶と、インタビューのおぞましい主張が同時に私の心に迫り、“文字通り”机の上に吐き出したいと思った。

 「謝罪を求めず、無言で静かに(オバマ大統領を)迎える方が、謝罪を声高に求めるより、断じて品位の高さを強く印象づけることになるのです」、 「(韓国と中国は)ヨーロッパを歴訪して『日本は悪いことをしていながら謝罪もしない』と訴え、効果があると考えたのでしょうか。私には、外交感覚の救いようのない欠如にしか見えませんが」、 「日本が原爆投下への謝罪を求めないとしたことの意味は大きいのです。欧米諸国から見れば、同じアジア人なのに、と。国の品位の差を感じ取るかもしれません」、「デモや集会などはいっさいやめて、静かに大人のやり方で迎えてほしい」。

キル・ユンヒョン東京特派員 //ハンギョレ新聞社

 広島には自身の被爆経験を気楽には話せない微妙な雰囲気が出来上がっている。今までオバマ大統領に謝罪を要求する明確なメッセージを出してきた人は、広島の著名な平和運動家の森滝市郎氏(1901~1994)の娘でもある、「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の森滝春子代表だけだ。自分の被害だけを前面に掲げる被爆者の姿を見るのも多少違和感があるが、被爆者の自然な感情の表現まで封じ込めようとする日本社会の雰囲気には、本当に息苦しさを感じる。朝日新聞はどうしてこうしたインタビューを現在のこの微妙な時期に載せたのだろうか。

 ソウルに戻れば塩野氏の本は残らず片づけるつもりだ。ひとりの切実な呼びかけを国家の品格という名で遮断しようとする社会を、私たちはどう呼ぶべきものなのか。

キル・ユンヒョン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/745634.html 韓国語原文入力:2016-05-26 19:58
訳J.S(1626字)

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