私はいまニューヨークでこの原稿を書いている。コスタリカ大学での講演に招請され、飛行機の乗り換えと時差調整をかねてニューヨークに立ち寄ったのである。コスタリカでの日程を終え、去る3月19日、こちらに戻ってきた。
コスタリカでの見聞を詳しく書くのは別の機会に譲るとして、ここでは印象に残った光景を一つだけ書き留めておくことにする。公式の日程が終了した翌朝早く、私たち夫婦は、私を招請してくれた同大学のチェ・ヒョンドク教授、当地に滞在中のイ・シンチョル教授との一行で、首都サンホセ近郊のイラズIrazu火山を見に出かけた。熱帯らしい眩しく晴れ渡った日だったが、標高1200メートル以上の高地なので、暑さはそれほど感じない。運転手がガイドを兼ねて、道中いろいろと説明してくれる。疲れていた私はその説明を聞き流していたのだが、ある一言に引っかかって耳を澄ました。「死の山」という言葉が聞こえたのだ。クルマを道路わきに止めた運転手が、谷の向こうを指して「あれが死の山だ」と言った。パナマに通じる道路建設に動員された労働者が多数死んだためそう呼ばれているのだという。犠牲者は主に、ジャマイカから移入された黒人奴隷だった。カリブ海諸島の気候に慣れていた彼らは、寒冷な高山の気候と重労働のため死んでいったのだという。アフリカ大陸の奥から大西洋を越えて連行され、カリブ海地域からさらにこの山地へと連行されて、息絶えたのである。
光に照らされた美しい村を抱く盆地の彼方に、畳々と連なる山並みが見えた。私にはその山並みがはるかに地球を半周して、日本の九州や北海道にまで続いているように思えた。鉄道や鉱山で重労働を強制されて倒れた朝鮮人たちの遺骸が埋められた死の山々である。地球のいたるところに、植民地主義の暴力によって犠牲にされた人々が無念のうちに埋められた死の山々が連なっている。
コスタリカで1週間を過ごしている間に米国大統領予備選挙が進み、共和党ではドナルド・トランプが最有力候補の地位を固めた。最初は悪い冗談を連発する芸能人並みに見られていたが、実際に共和党候補者に選ばれる可能性、ひょっとすると大統領にまでなる可能性が見えてきた。共和党主流派までも、いまになって慌てているが、今後どういうことになるか楽観はできない。
トランプは移民に対する過激な批判を繰り返しており、とりわけメキシコからの移民については米国に麻薬密売人やレイプ犯を送り込んでいるとして同国を非難している。メキシコのエンリケ・ペニャニエト(Enrique Pena Nieto)大統領は、メキシコ政府やメキシコからの移民をやり玉に挙げるトランプの攻撃的な発言を「耳障りな言い回し」だとして批判し、米国民に対して慎重に投票するよう促した(日刊紙「エクセルシオール」3月7日付)。一国の大統領が、隣国で進行中の大統領選挙について、ここまではっきりと発言するのも異例のことであろう。それだけ、メキシコにとって危機感が強いということだ。
「メキシコ人の大半は犯罪者だからな、だから壁を作って犯罪者が入ってこれないようにする必要があるのさ。彼らは強姦魔と同じなんだよ。」――トランプのこういう発言は、私には即座に、第二次大戦敗戦直後から日本の官民が在日朝鮮人に対して繰り返してきた排外主義を連想させる。日本政府は敗戦後、米政府に対して「在日朝鮮人の大半は犯罪予備軍である」という見解を伝え、在日朝鮮人追放政策を正当化しようとしてきた。そのような排外主義の風潮は抑制されるかに見える一時期もあったが、日本社会の土壌の中で現在まで生き続け、最近数年間むしろ隆盛をきわめている。
一連のトランプの排外主義発言は、米国内で批判を受けるどころか、むしろブームを巻き起こしている。既成保守政治家たちも、そのブームに膝を屈してトランプ支持に転じつつある。ここに住む私の若い友人は深い憂いの表情を浮かべて、万一トランプが大統領になったらこの国を出るつもりだと真顔で語った。ニューヨークの街を歩いていると、あらゆる人種と文化が混在して、都市がダイナミックに機能している。その多様性を無理やり破壊して、単一文化の社会をつくることなど、普通に考えれば不可能なことだ。だが、私はこんなことも思う。そのような不可能なプロジェクトを敢えて実行したのがナチスドイツだった。結果は大災厄だったが、人々はその歴史から学んでいない。同じことが、このアメリカで再現されないと安心してよい理由はないのである。
メキシコとの国境に壁を築いて封鎖するとか、すべてのイスラム教徒の入国を禁止するとか、そんなことが実行可能とは思えない。トランプとその支持者がどこまで本気なのか、わからない。だが、彼らにとって合理性とか実現性など、どうでもよいのだ。すべてはウサ晴らしの娯楽であり、大衆が喜べばそれでよいのだ。だが、その冗談めかした扇動のブレーキが利かなくなって破壊と災厄に転落するのが歴史の教訓である。あとになって、あれは冗談だったなどと言っても手遅れなのだ。
メキシコ大統領は「人間の歴史にはさまざまなエピソードがあるが、残念ながらこうした耳障りな言葉は歴史上、不吉なシナリオをたどるしかない」と指摘。ムッソリーニやヒトラーはこうした手法で台頭し、人間社会が経済危機後に経験していた状況や問題につけこんだと述べ、それが世界的な大惨事につながったとの考えを示した。
1948年の「世界人権宣言」は第二次世界大戦は民主主義とファシズムとの戦いであったとの総括に基づいて、人権を至高の価値として宣言した。以後の国際社会は、実態はどうであれ理念的建前としては、その価値の尊重を前提として共有してきた。メキシコ大統領がどんな人物か私はよく知らないが、彼は第二次大戦後の世界で人類が当たり前に共有している常識を述べたに過ぎない。それを「常識であった」と過去形で述べなければならない時が近づいているようだ。
この原稿を書いている最中にベルギーでまた爆弾テロ事件が起こった(3月22日)。欧米はさらに強硬な態度に出るだろう。出口の見えない悪循環がさらに加速される。
なによりも私を憂慮させるのは、殺戮や残酷さの蔓延に多くの人々が「慣れ」、無感覚になり、シニシズムに陥っている現状である。いまでは、ナチス・ドイツの残虐さ・冷血さを引き合いに出したところで、誰も心から衝撃を受けたり悲しんだりしない。なぜなら、ナチ敗北後にも、それと同等の残虐さ・冷血さが世界のいたるところで続いているからだ。紛争地や戦地の武装集団だけではない。欧米や日本の排外主義者たちが、このシニシズムと冷血さを証明している。
1492年、コロンブスが新大陸に到達した時、イベリア半島最後のイスラム教国グラナダが陥落、キリスト教勢力による「レコンキスタ(国土再征服)」が完成した。ヨーロッパの多元的時代が終焉し、不寛容な一元的支配の時代へと突入した。この年にイベリア半島を追われ各地へ離散したユダヤ教徒たちの苦難は500年後にホロコーストに帰結した。
15世紀から17世紀にいたるヨーロッパ人によるアジア大陸・アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出を経て「近代世界システム」[Immanuel Wallerstein]が成立した。それは地球上の大多数にとっては戦争、飢餓、奴隷労働、出口の見えない低開発と貧困といった災厄を意味する。そのことの起源を私たちに知らせる貴重な報告の一つが、ラス・カサスBartolomé de las Casasが1552年に刊行した『インディアスの破壊についての簡潔な報告』である。私はコスタリカの山々を眺めながら、繰り返しこのことを想った。
ラス・カサスはスペイン王室が主催したヴァリャドリッド論戦(1550年-1551年)において、エンコミエンダ制を事実上の奴隷制であると糾弾し、征服の中止を訴えた。一方、論敵のセプルベダJuan Ginés de Sepúlvedaは「自然法にしたがえば、理性を欠いた人々は彼らよりも人間的で思慮分別を備えた立派な人たちに服従しなければならない」「人間の中には自然本性からして主人であるものと奴隷であるものがいる。あの野蛮人は死に追いやられることがあるとしても、征服されることによって、きわめて大きな進歩を遂げることができるのだ」と主張し、征服と植民地支配を正当化した。
Immanuel Wallersteinは、2004年にBritish Colombia大学で行った特別講義で、このラス・カサス/セプルベダ論争を、イラク戦争以後の世界情勢の文脈の中で詳しく検討している。[European Universalism,2006]
Wallerstein は「先進国」による干渉の正当化は、かつては「宗教」を掲げて行われたが、現代では「人権」や「民主主義」を掲げることにシフトした、とする。彼によると、欧米を中心とする汎ヨーロッパ世界(ここに日本も加えることができるだろう)の指導者、主流派メディア、体制側知識人たちのレトリックには自己の政策の正当化として、普遍主義に訴える言葉が溢れている。彼らが「他者」(相対的に貧しく、「発展途上」の諸国民)に関連する政策について語る際には、とりわけそうである。
これらは決して新しい主題ではなく、少なくとも16世紀以来、近代世界システムの歴史を通じて、権力の基本的なレトリックを構成してきたものだ、「ラス・カサス/セプルベダ論争」は500年後のいまも続いている、そうWallersteinは主張する。彼は、このような、権力によって歪められた普遍主義を「ヨーロッパ的普遍主義」と呼び、それに対して、ほんとうの普遍主義、「普遍的普遍主義」を対置することを呼びかける。「この二つの「普遍主義」の間の選択は避けられない。なんらかの超個別主義的立場(中略)に撤退することはできない。なぜなら超個別主義は、実はヨーロッパ的普遍主義と現在権力を有する者たちの力―彼らは非平等主義的で非民主主義的な世界システムの維持をもくろんでいる―に対する隠れた降伏にほかならないからである。」
東アジアの帝国主義国日本は近代以降、「文明化」(「ヨーロッパ的普遍主義」)を口実としながら、自己中心的な国家主義(超個別主義)による侵略を重ねてきたといえる。このような「日本的普遍主義」を、彼らは「八紘一宇」と称した。中国・朝鮮などアジアの諸民族はこのような普遍主義に従うべきであるとされ、被支配民族の独立を求める願いは「民族主義的偏見」であるとして弾圧された。このようなイデオロギーは1945年の日本敗戦とともに根本的に否定されたはずであったが、現実はそうならなかった。戦後も天皇制が生き残ったように、このような「日本的普遍主義」もまた生き残った。
アメリカではトランプ、日本では安倍、韓国では?…私たちはこの悪夢のなかで、正気を保ち続けることができるだろうか?エティエンヌ・バリバールは言う。「<西洋人>と<東洋人>があえて互いの立場に立って、新たな普遍主義の言語を共同で作り上げなければならない。地域全体にある複数の社会の多文化主義を犠牲にした、国境閉鎖とその強制は、すでに内戦である。」[Etiénne Balibar, “Somme-nous en guerre?”,2015]
いま私たちに求められているのは、まさしくこうした思想的態度、粘り強い対話を通じて「新たな普遍主義」を築こうとする態度であり、そのことを決して放棄しない決意である。そうでなければ、ラス・カサス以来500年に及ぶ思想的苦闘は無に帰し、シニシズムが最後の凱歌を挙げることになるのだ。
韓国語原文入力:2016-03-31 19:40