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[寄稿] 韓国の町の自家製パン屋が変わりました

登録:2016-03-01 23:38 修正:2016-03-02 05:58
町の製パン店に並ぶパン//ハンギョレ新聞社

 我が家の前にはいつも買いに行くおいしいパン屋さんがある。 その店が、ある日、店を閉めた。 突然のことで少し胸が痛んだ。 大企業ブランドの製パン店に挟まれ、個人の看板でよく持ちこたえていた店だった。 親切な主人の表情がちらついた。

 幸い、うちの子がうれしい便りを伝えてくれた。 実は新しいパンを作るために必要な装備を設置するための一時休店だというのだ。 だから店はまた開かれる。 よく見ると、工事中のパン屋のガラス窓には数週後に再び店を開けるという案内文が貼られていた。 安堵のため息をついた。

 数週間後、再開したパン屋のインテリアははるかに洗練され格好良かった。 健康に良いという発酵パンもあったし、表面はカリカリで中はモチモチのモカパンも同じ場所に並んでいた。 この店ならソウルの最も裕福な町でも通用しそうだと感心した。

 視線を転じてみると、隣町にも高級パン店ができた。 小豆とバターを入れて新しいパンを開発したパン屋もあったし、バケットがおいしいというパン屋も生まれた。 生活半径内に高級な町内パン屋が3店もあると思っただけで、良い町に住んでいるという自負を感じられた。 ここ数年間で生まれた変化だ。

 一体何がこれらの店を高級にさせたのだろうか?それは投資だ。 それでは何が町内パン店の主人に時間とお金を投資させたのだろうか? もちろん時間とお金がなければできない話だ。 アイディアと技術も欠かせない。 しかし、もっと重要なものがある。 チャンスとビジョンだ。

 2013年2月、同伴成長委員会は町内パン店から半径500メートル以内には大企業ブランドの製パン店が営業できないようにして、店舗数の増加も前年比で2%以内に制限することで合意した。 その後、町内製パン店の数はどんどん増えた。 既にあったパン店にも私のよく行く店のように投資が起きた。 大企業ブランドの製パン店に一方的に押されていた町内パン屋にもチャンスが見えたのだろう。 それでパン屋の主人が投資する気になったのだろう。 パンを美味しく作りさえすれば生き残れ、成長もできるだろうというビジョンが生まれたのだろう。 中央の工場で作った冷凍生地を、そのまま焼く大企業ブランドの製パン店より美味しいパンを作るために、さらに投資して、さらに努力したのだろう。 結果的に町内には多様なパンが登場した。 恩恵は私のような消費者が受けることになった。

 ところで今年、同伴成長委員会は町内製パン店の保護規制を一部緩和した。 一部の新都市という限定付きだが、結果により全国に拡大するのではないか心配だ。 美容室の場合、忠清北道五松地域では大企業など法人も進出できるように緩和した。 冷凍食品を作るCJが製パン店チェーンを始めたように、化粧品を作るLGが美容室チェーンを始めるという。 韓国が配給社会なのか。 この町でもあの町でも私たちはCJが企画したパンを皆同じように食べて、LGが選んだヘアースタイルで通うことになるのか。 このような規制緩和が本当に投資と革新につながると信じているのだろうか。 価格競争で皆が安く似たような商品を消費することになってしまうのではないだろうか。

 時には企業家精神を生かすためにも領域間に垣根を立てなければならない場合もある。 獅子と牛を一つの檻に入れておき、牛に創意性と企業家精神を発揮して生きてゆけと要求するのは土台無理な話だ。 弱者保護だけでなく商品の多様性のためにもそうだという話だ。

イ・ウォンジェ希望製作所所長=資料写真//ハンギョレ新聞社

 私のよく行くパン屋の主人は根っからの起業家だ。 8年前に「自分のパンを自分で焼く」と言ってフランチャイズ製パン店の看板を下ろして個人商店の看板をかけたが、今回また事業を起こした。 このように事業を起こす人々が増えてこそ、町内が多様化し豊かになる。 パンを買って食べるのが日常である私と、パンを焼くのが生計であるパン屋の主人は、そうすることにより共に勝つことができる。 これが大方洞(テバンドン)に住もうが大峙洞(テチドン)に住もうが、皆が同じパンだけを食べなければならないこの異常な都市を少しでも変えてゆく方法だ。

 このパン屋がどこかを明らかにすることはできない。 パリバケットとかトゥレジュールとかダンキンドーナツではない。

イ・ウォンジェ希望製作所所長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/732807.html 韓国語原文入力:2016-03-01 19:15
訳J.S(1915字)

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