登録 : 2016.02.23 23:35 修正 : 2016.02.24 07:09

イラスト=キム・デジュン //ハンギョレ新聞社
朴露子(パンノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー オスロ国立大教授・韓国学 //ハンギョレ新聞社

 「親日」とは何か? いかなる牽制も不能でいつでも露骨な暴力に転落できる無法権力に対する附逆行為(反民族行為)だ。 今生と死の境をさまよっているペク・ナムギ農民の場合を見よ。 植民地時代の反逆者がそっくり権力を受け継いだ社会でなければ、自国民に対して植民地民のように接することは果たして可能だろうか?

 親日附逆派に対する断罪は「民族の精気」ではなく私たちの子供のために必要だ。 権力と暴力がほとんど同義語となったこの社会では、子供たちが果たして正常に成長できるか? 韓国社会の暴力化の一主犯である親日附逆派に対する明確な整理が結局は社会全般の脱暴力化の出発点になるだろう。

 親日附逆問題を論じようとすれば、民族主義者であると誤解されやすい。 実際、多くの場合に親日附逆に対する断罪はまさに民族主義的論拠によって成り立つ。 ところが親日を断罪しようとするなら、あえて「民族」というフレームを中心に論理を展開する必要は本当のところない。 日帝強制占領期間の政治的支配関係は「異民族支配」という次元ではもちろん「民族」を窮極的には避けて通れないが、「親日」の「日」は「民族」としての日本を意味するものでは全くない。 日本「民族」の言語や文化に精通し、日本の同志たちと連帯するということは決して政治的意味の「親日」につながる必然性はない。

 金天海(キムチョンヘ 1898~?)を覚えているだろうか? 蔚山(ウルサン)出身の僧侶であり、啓蒙運動家として1921年に東京に渡った彼は、そこで労働運動に飛び込み、さらには朝鮮共産党日本総局の責任者になり、朝鮮の共産主義者たちが日本共産党に吸収されてからは日本共産党の中央委員になった。 日帝時期には都合12年を監獄で過ごし、最後まで転向を拒否した金天海は多くの日本人同志たちに尊敬され、日本語や日本文化にも造詣が深かった。 ところで、多くの日本人たちと永く親しく過ごした彼を、果たして誰が「親日派」と呼ぶだろうか? 日本語で書いた小説で、日帝時期に差別を受けた朝鮮人の二重的アイデンティティや、「同化」に対する社会的圧力の内面化過程を見事に描写した金史良(キムサリャン 1914~1950)は果たして「親日派」か? 「親日」の「日」は結局「日本」というよりは「日帝」を指す。 「親日派」とは正確に言えば、日帝植民当局という正統性のない権力に参加したり「不当な取引」を自発的に行った、特にすでに広義の支配者的位置にあったか、そのような位置を占めようとした被植民社会構成員を指す。 彼らの行為は、「民族的背信」というよりは「不法な権力に対する附逆」という方が正確だろう。

 階級社会の権力は常に内在的に暴力的だ。 例えば階級支配の関係を本質的に変えようとする人々に対しては法の手続きなどは踏まないケースが多い。 最近新たに脚光を浴びた『蟹工船』で有名な日本のプロレタリア文学者の小林多喜二(1903~1933)を覚えているか? 共産党員の彼は、『1928年3月15日』という小説(1928年)で、警察の拷問を極めて写実的に描き、偶然にも本人もまた結局検挙されて筆舌に尽くしがたい拷問にあって死んだ。 共産党員やアナーキストのような体制の積極的反対者に対して体制は、たびたび拷問という露骨な暴力で対応した。 ところが通常の場合には、日本“内地”、すなわち自国内では日帝当局者といえども拷問のような極端な暴力の使用は自制した。 近代的権力はいくら内在的には暴力的だとしても、それでも「国民」多数の同意をベースにしなければならないために、少なくとも自国内では法・手続きを前面に掲げることになっている。 「国民国家」とは当然そんなものだ。

 ところが自国内ではいくら「自制」するとしても、植民地や占領地では近代国民国家の暴力性は確実に表面化してしまう。 植民地の人民は「国民」ではないか、あるいは「2等国民」であったために、自国内では想像もできないことを植民地では躊躇なくできる。 日本「内地」では急進的活動家でなければ、拷問は一般的でなかったが、植民地朝鮮では被疑者の政治的指向とは無関係に暴力的捜査は日常茶飯事であった。 共産主義者どころか熱烈な反共主義者であり大物親日派であった尹致昊(ユンチホ)のいとこ-後に李承晩(イスンマン)の側近になり朴正煕(パクチョンヒ)時期にはソウル市長と共和党議長まで務めた-尹致暎(ユンチヨン 1898~1996)さえも、穏健な有志たちの団体である興業クラブ事件で1938年に投獄され、相当な水準の拷問にあったと伝えられている。 そのような階級に属する人が、もし「内地人」、すなわち日本人ならば拷問にあったはずがない。 ところが植民地でなら、日本人刑事には最も富裕で保守的な朝鮮人名望家も一介の暴力の対象物に過ぎなかった。

 それでは「親日」とは何か? いかなる牽制も不能でいつでも露骨な暴力に転落できる無法権力に対する附逆行為だ。 「民族」を離れて、このような行為は近代的市民社会を建設しようとする所では容認されえない。 附逆行為をしたことにより、本人も結局は他者に向かってその露骨な暴力を代行することになっているためだ。 親日附逆行為は国内的には土着社会で君臨する暴力組織である植民当局の一員となって、暴力従犯になることを意味するが、国際的にも日帝の加害行為に加担して自らが加害者になることを意味した。 例えば朴正煕(パクチョンヒ)の傀儡満州国歩兵第8師団服務と(おそらく朝鮮人独立活動家を含むと推測される)中国共産党八路軍「討伐」への参加は「民族背信」の次元を越えて、後に東京裁判で有罪判決を受けた戦争犯罪である日帝の中国侵略に加担する行為であった。 事実、相当数の親日附逆派が被侵略国家では「悪質的侵略従犯」の姿を見せた。 例えば、後に韓国文教部長官や複数の大学の総長を務めて朴正煕の「歴史教師」として名を馳せた歴史学者イ・ソングン(1905~1983)は、満州国で日本軍に軍糧米を納入する安家農場を管理した時期、中国人に対する苛酷な態度で中国農民の間で悪名を駆せた。 親日派のこのような中国侵略加担は、結局後に延辺の朝鮮人を見る中国社会の一部の視線に否定的影響を及ぼすなど。長期に亘り多くの罪なき人々に苦痛を抱かせることになった。

 「民族に対する裏切り」というよりは、国内外の権力型暴力への加担こそは「親日派問題」の核心だ。 親日派を断罪するのは「民族の精気を取り戻す」というよりは、暴力社会から正常社会に進むための前提条件だ。 親日派が当初から事実上権力をそっくり継承してきた大韓民国の明白な特徴は、植民地的暴力性がそのまま引き継がれ、むしろ拡大したことだった。 朝鮮人なら誰でも無条件に拷問してもかまわない、という考え方に慣れた親日警察の出身や、中国などで現地人を虐殺することに慣れた日本軍将校出身者は、結局大韓民国という新しい枠内でも自国民に同じ方式で接することを当然視することになった。 光復(解放)70周年が過ぎた今になって、親日派の話を持ち出すのかと言う人々がたまにいるが、その話をおそらく光復100周年になっても続けなければならない理由はまさにここにある。 米国の絶対的保護下で反共の「砦」になって、新生独立国家である大韓民国で権力をそっくり引き継いだ親日派が駆使してきた植民地的対民間統治方式が今もそのままに行われているためだ。

 例えば今生と死の境をさまよっている農民ペク・ナムギ氏の場合を見よ。彼に向けて照準し放水銃を直射した警察の行為は、当然に未必の故意による殺人未遂と規定しなければならない。 正常な社会での警察の業務が「秩序維持」だとするならば、いかなる暴力行為もしなかった農民ペク・ナムギ氏にわざと殺そうとしたように放水銃を撃ったことは「自国民との戦争」に近かった。 それでも、この権力型犯罪行為に対してまともな捜査も責任者の処罰もない。 一部の支配層を除く残りの自国民に対して、言うことをよく聞けば単純な統治対象、言うことを少しでも聞かなければ制圧すべき敵と把握するような統治方式は、果たしてどこから派生したのか? 植民地時代の反逆者がそっくり権力を受け継いだ社会でなければ、自国民に植民地民のように接することは可能だろうか?

 親日派に対する断罪は、その意味が不明で抑圧的感じが強い「民族の精気」のためではなく、私たちの子供のために必要だ。 権力と暴力がほとんど同義語になったこの社会では、子供たちが果たして正常に成長できるか? 大人の社会で蔓延した暴力が学校暴力につながり、子供たちは幼い時からげんこつこそが正義だと習ってしまう。 韓国社会の暴力化の一主犯である親日派に対する明確な整理が結局は社会全般の脱暴力化の一出発点になることを、私は歴史から学び、最も熱望している。

朴露子(パンノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー オスロ国立大教授・韓国学

韓国語原文入力:2016-02-23 19:27
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/731734.html 訳J.S(3856字)

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