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[寄稿]慰安婦問題は解決されていない

登録:2016-01-07 23:08 修正:2016-01-08 06:05

 本当に重要なことは客観的情勢や外的要因より国家指導層ないしはエリートの資質なのかもしれない。 心のこもった謝罪と重い責任意識なしにこの問題の“解決”が可能だと考える果てしなく愚劣な者が日本と韓国の政治を支配している、この嘆かわしい歳月はいつまで続くのだろうか。

 2015年6月、中国中央テレビは第2次世界大戦勝利70周年を記念して「真実と否認―ドイツと日本の戦後贖罪」というタイトルのドキュメンタリーを放映した。 このドキュメンタリーは大規模で残酷な戦争犯罪と反倫理的悪行を犯したドイツと日本が、戦争以後に対外的にそれぞれどのような態度を取り、その相異なる態度の背景が何なのかを追跡する内容だ。

 興味深かったのは、この記録映画がドイツのメルケル首相の演説で始まり、また終えられている点だ。 最初の場面は2014年の北京訪問時、「ドイツ人は戦争中に自分たちが何をして何をしなかったかを省察しなければならない」ことを強調した演説で、最後の場面は2015年の東京訪問時に「歴史に正直に対面する」必要性を語ったメルケルの演説だった。 中国人がドキュメンタリーをこのように構成した理由は明白だ。 すなわち、植民地支配と戦争犯罪を否認して、歴史教科書を歪曲し、被害者に謝罪どころか絶えず侮辱と傷を負わせた戦後日本(国家)の態度を浮き彫りにしようとしたのだ。

 誰でも知っている話だが、ドイツと日本は過去に対する基本姿勢で珍しいほど対照的だ。 ドイツは潔く過ちを認めた。 そのような姿勢のためにヨーロッパ連合という共同体の成立が可能であったし、その結果今ドイツはヨーロッパの中枢国家として重要な役割を果している。

 反面、ユダヤ人虐殺に劣らない残酷な犯罪と悪行を犯した日本(国家)は、ただの一度も潔く反省し謝罪したことはなかった。 むしろ日本の支配層と彼らによって飼い慣らされた若い世代の多数は、国際的な圧力の下で政府高位層がやむをえず行った形式的な“謝罪”に対し国内外から非難と批判が加えられれば「いったいいつまで謝罪を繰り返せというのか」と不快感を露わにするのが常だった。

 過去に対する両国のこのような明確な差は、もちろん“民族性”などで説明できるものではない。 それは非常に複合的な要因と背景に由来していると言える。 何より重要なのは、両国の国際政治的環境の違いかも知れない。 すなわち、ドイツは隣国と和解をしなければ新たな世界秩序の中で国家・国民として生存できないと感じたし、日本は自分たちが忠実な対米依存国家であり続ける限り、東アジア諸国との関係は無視しても構わないと考えてきたためだろう。 さらに、戦争が終わるとすぐに中国は共産化されたし、植民地から解放された朝鮮半島は二つに割れて銃を向け合う情けない社会になってしまった。 これら“未開な”民族・国民をそれなりに“近代化”させてあげたのが日本帝国であったのに、なぜ謝罪しなければならないというのか。その上、広島と長崎に投下された原子爆弾のために日本人たちの意識は加害者ではなく被害者のそれに変わってしまった。 その結果、日本は西洋帝国主義の侵略からアジアを保護するために植民地を確保して、戦争をせざるをえなかったという論理がいつのまにか主流になってしまった。

 しかし、本当に重要なことは、客観的情勢や外部的要因より、国家指導層ないしはエリートの資質なのかも知れない。 例えば、戦後ドイツの思想的・精神的風潮を規定した決定的な端緒は、ナチス統治下で教授職を失い沈黙を強要された哲学者カール・ヤスパースが終戦直後の1946年に行った講演(「責罪の問題」)だった。 彼は戦犯が断罪されるのは当然だが、ドイツ国民全体が罪人扱いを受けることは困ると考えた。 まず一括りにドイツ人全体に責任があると接近すれば、罪の軽重を問い詰めて厳しく審判しなければならない者とそうでない者の区分を失う。 のみならず、すべてのドイツ人に責任があるという話は事実上ドイツ人の誰も責任を負う必要がないという話になりやすい。 したがって、本当に必要なことはドイツ人一人ひとりが自身の犯した罪に応じて当然な刑罰を受けるなり責任を負うべきで、あるいは反倫理的な犯罪に目を閉ざしていたという事実や、少なくとも生き残ったという事実自体に良心的呵責を感じて反省する姿勢だ(それゆえに彼は罪の種類を法的な罪、政治的な罪、道徳的な罪、形而上学的罪に分けて説明した)。

 ヤスパースが詳細に分けた罪の範疇から自由なドイツ人は存在しなかった。 たとえ積極的な悪行に加担しなかったとしても、ドイツ人は誰もが内面的には罪の意識を持たざるをえない。 したがって、個々のドイツ人は激しい内面的省察をせざるをえず、そうすることにより世界の市民として再び生まれ変わることができるというのがヤスパースの考えだった。

 これと完全に対照的な考えが1945年の敗戦直後の日本で出た「一億総懺悔論」だと言える。 しかし戦後初の(皇族出身)首相である東久邇宮が「日本再建の第一歩」として唱えた1億人口全体の懺悔というこの論理には“他者”に対する罪の意識は全く入っていなかった。 それはあくまでも敗戦という“嘆かわしい”結果を招いた日本国民自身の怠惰、不誠実を懺悔しなければならないという話だった。 徹底的に内向的論理、自閉的論理であった。

 これは敗戦直後の日本で出たほぼすべての“責任論”の基調であった。 左派、右派を間わなかった。 戦後最高の民主主義思想家と評価される丸山真男も例外ではなかった。 1946年5月号「世界」に発表された論文「超国家主義の論理と心理」はある意味でドイツでヤスパースが行った講演の日本版と見ることもできる。 この論文で丸山は、日本を支配してきた超国家主義は天皇を政治的に利用し国民を統制しようとした為政者の“論理”と、それを受け入れた国民の“心理”が結びついた結果だと論じた。 しかし丸山は、このような超国家主義が日本の外部に及ぼした加害責任については論じない。 超国家主義、あるいはファシズムで壊れた日本の内部状況に視線が集中しているわけだ。

 ドイツと日本の知識人・思想家にあらわれるこの差異は、そのまま政治指導者の態度に連結される。 もちろんドイツにも反動的な思想家や政治家が存在しなかったわけではない。 しかし、ナチスドイツの罪を絶えず記憶しなければならないという立場は、ドイツで確実な主流を形成してきた。 そのような流れが続きえたのは、たとえばワイツゼッカー大統領のように優れて良心的な政治エリートのおかげとも言える。 彼はイスラエルを直接訪問し涙を流して懺悔したし、ドイツ空軍の爆弾洗礼で廃虚となった英国の旧聖堂を訪ねて深く謝った。 彼の論理は明快だった。 「過去に対して目を閉ざす者は現在にも目を閉ざす」。すなわち、現実を正しく見るためには過去を直視しなければならないということだ。

キム・ジョンチョル『緑色評論』発行人=資料写真//ハンギョレ新聞社

 また、1970年にウイリー・ブラント首相がポーランドのユダヤ人犠牲者を賛える追悼碑の前でひざまずいたことは有名な話だが、ドイツの政治指導者のこのような姿勢は政派、政党を超えたことだった。 現在のメルケル首相の“美しい”姿も結局その延長線上にあるといえる。

 政治的良心と勇気、賢さにおいてドイツと日本の政治家たちはなぜここまで違っているのか? 今後も研究しなければならない問題だが、とにかく日本人たちがいつまでも内向的・自閉的な態度に固執するならば、究極的な結末は東アジア全体の共倒れにならざるをえない。 それでも彼らは幾ばくかの金と悪い浅知恵で慰安婦問題を「最終的、不可逆的に解決」したと言い、“外交的勝利”を収めたとして意気揚揚としている。 「日本軍慰安婦」問題は、人間的良心では絶対に容認できない悪行、残酷な人権蹂躪の問題だ。 心のこもった謝罪と重い責任意識抜きでこの問題の“解決”が可能だと考える果てしなく愚劣な者が日本と韓国の政治を支配している、この嘆かわしい歳月はいつまで続くのだろうか?

キム・ジョンチョル『緑色評論』発行人(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/725171.html 韓国語原文入力:2016-01-07 18:36
訳J.S(3454字)

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