東京に赴任する前、特派員生活を通じてそれなりの答えを探してみようと決心した質問の一つは、韓日両国の“国力差”はどれほどかという問いだった。 そしてこの2年間、日本人に会うたびにこの質問を投げかけて答えを探った。
反応は大きく二つに分かれた。一つは「韓国も今は先進国」という返事。 日本に住み始めると、2012年8月の李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(ドクト)訪問で本格化した日本国内の“嫌韓ブーム”の主な原因の一つは、すぐそこまで追いついた韓国に対する警戒心ではないかと感じることがしばしばあった。 日本が1980年代末の“バブル崩壊”後の20年間の停滞期を経る間、韓国は目覚ましい発展を続け、一部の分野では日本に追いつく成果をあげている。1876年の江華島(カンファド)条約以後、一度も向き合って見たことのない対等な韓国が突然登場した感じで、日本人が「えっ」と感じるのもある程度納得はいく。
もう一つは、日本には長い時間をかけて積み上げてきた蓄積があり「韓国がすぐ日本に追いつくのはちょっと難しいのではないか」という見解だ。 サムスンがいくら世界の一流企業だとしても、ギャラクシーフォンに入っている主要部品の相当数は日本製という事実からも明らかなように、日本が永らく蓄積してきた多様な知的・物理的資産には韓国人の予想を超越した“深み”がある。
そんな現実を考えながら韓国と日本を比較する時、最も目につく両国の差は他でもない“規模”と“底力”だ。韓日野球が激しく争った2009年の世界ベースボールクラシック(WBC)で、韓国と日本は5回も戦った。 結果は韓国が2勝3敗で惜敗。 1990年代までは日本野球の足元にも及ばない韓国が、今は日本と激しく勝負できる段階まで成長した。
しかし、これが両国の本当の実力差であるわけがない。 2015年現在、日本の高校には4021のチームに16万8898人の選手が所属している。 この数字は韓国の高校野球チーム(96チーム)と引き分けどころではない。 韓国のベストは日本のベストと同等の、あるいは上回る実力を備えたとしても、そんなチームをようやく一つ作り出せる韓国とは違い、日本は同等の水準のチームを3~4個は構成できる。
日本で何らかの問題を取材しようとすれば、必ずその問題について永らく悩み戦ってきた人々がいる。 個人的関心事である日本の安保政策の変化を取材するため沖縄に行くと、「沖縄テント」が辺野古海岸を睨んでいるし、日本で2番目に「エックスバンドレーダー」が設置された京都府の京丹後市に行けば、今までに500回以上基地の変化を写真に撮って記録してきた市民に出会える。 今月1日、横須賀に行ったところ、米第7艦隊の変化を28年間観察してきた地域団体がいて、自分たちが熱心に蓄積してきた資料を快く渡してくれた。
個人的な感想をもう少し言えば、日本に暮らして最も大きな敗北感を味わった事例は、日本社会が昨年初め、小保方春子・理化学研究所研究主任を巡るSTAP細胞論文ねつ造問題を解決してゆく過程を見た時だった。 疑惑が発覚し、それを調査できる委員会が構成され、皆が調査結果を待ちねつ造という結論が出された。 2005年のファン・ウソク事態とは異なり、生半可な“愛国心”をかき立て真実糾明を妨害するマスコミはなかった。
常識を持つ誰もが反対する国定化教科書を押しつけ、未だにセウォル号事態を解決できない韓国を振り返ってみよう。誰もが24人のノーベル賞受賞者を輩出した日本科学界の成果を驚嘆の視線で見つめるものの、その底力の真の原因には目を向けようとしない。 韓国で科学分野のノーベル賞受賞者はいつ出て来るのだろうか、いや出てくることはあるのだろうか。