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[寄稿]清算されていない過去は必ず帰ってくる

登録:2015-09-20 22:22 修正:2015-09-21 07:56

 「日本は戻って来た」。2年前、安倍晋三首相が確言したように、日本はついに「戦争できる国」となって帰って来た。先週土曜日の未明、安倍政権は参議院の会議で集団的自衛権の行使を骨子とした「安全保障法案」を電撃的に通過させた。 2015年9月19日、未来の歴史はこの日を日本の軍国主義が復活した日と記録するかもしれない。

 米国のメディアが日本の安全保障法案の通過について全体的に友好的な反応を見せる中、ドイツのメディアは「日本、平和と決別した」(シュピーゲル)、「平和主義からの逸脱なのか」(フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング)、「日本の議会、軍部の役割強化する」(ディ・ツァイト)などのタイトルが示すように、概ね懸念する雰囲気だ。

 ドイツのメディアのこのような論調は、同じ過去を持ったが、異なる道を歩んできたドイツと日本の現代史に起因する。ドイツと日本は第2次世界大戦当時の同盟国だったが、終戦後、ドイツが徹底した過去の清算を通じてナチズムの過去を克服したのに対し、日本は過去との真剣な対面を回避することで、軍国主義の過去から抜け出せずにいる。

 今回の安保法案の通過は軍国主義の亡霊の復活を知らせる前兆だ。清算されていない過去は必ず帰ってくるということに改めて気づかされる。

 日本と違って、ドイツの場合は、成功した過去の清算が国家発展の土台であり、原動力だったことを示す歴史的な事例だ。 7年間のドイツ留学中、ドイツの徹底した過去の清算に深い感銘を受けた。私には、彼らの過去の清算が「過剰な清算」のように見えて、彼らの歴史観が「自虐史観」のように感じられるほどだった。ドイツの数千年の歴史の中でヒトラーの執権期間は12年に過ぎないが、ドイツの学校ではこの期間を最も重要に取り上げており、教育目標も「第三帝国の歴史は繰り返されてはならない」ことに焦点が当てられている。半権威主義の教育、抵抗権の教育、扇動家の判別教育など、一連の「政治教育」を重視するのもナチス清算の一環だ。「ドイツ人であるというのは、ナチスの過去と対決することを意味する」(クレメンス・アルブレヒト)という言葉が学校で実践されている。ドイツの学校はまるでナチスの過去と戦う戦場のようだ。

 ナチスの最大の被害者であるユダヤ人に対する態度からも、ドイツの過去の清算に込められた誠意が窺える。ベルリンのフンボルト大学前の広場の真ん中には、「本を燃やした者は、いつか人間を燃やす」という“ユダヤ人詩人”であるハインリッヒ・ハイネの警告が刻まれており、フンボルト大学本館の中央には、“ユダヤ人哲学者”であるカール・マルクスのフォイエルバッハに関するテーゼが書かれている。ドイツ文化の象徴であるゲーテの銅像が市民公園の片隅に立っているのに対し、ベルリンの中心であるブランデンブルク門の最も近くに位置しているのは、大規模なユダヤ人追悼公園だ。ベルリンは象徴物の空間的な構造からして、“ユダヤ人の都市”を彷彿とさせており、都市全体がナチスの過去に対する“巨大な反省文”だ。

 日本はドイツとは正反対の道を歩んできた。これまで植民地支配の過去についての真の反省も謝罪もなく、歴史を歪曲しており、戦犯を追悼する常識以下の行動を続けている。清算されていない過去が日本の現在と未来に暗雲を落としている。

キム・ヌリ中央大学教授//ハンギョレ新聞社

 これは他人事ではない。私たちにも清算されていない過去が毎日帰って来ている。映画『暗殺』の驚くべき興行からも、逆説的に、私たちの過去がまだ清算されていないことを確認させられる。A級戦犯の岸信介の孫である安倍晋三首相の過去が「安保法案」として帰って来たように、先代が日本に協力した前歴から自由ではない朴槿恵(パク・クネ)大統領と金武星(キム・ムソン)代表の過去は「歴史教育の縮小と歪曲」として帰って来ている。

キム・ヌリ中央大学教授、独文学(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-09-20 18:34

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/709619.html訳H.J

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