今月8日、日本の最高裁判所が「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)に基づいて被爆者健康手帳の交付を受けた在韓被爆者3人に対し、医療費の全額支給を命じる判決を確定した。被爆者援護法は、原子爆弾の放射能に起因する健康被害の特異性と重大性を考慮し、被爆者を救済することを目的とする法律だ。今回の判決は、同法に基づく一般的な病気の医療費の支給対象について、日本国内に居住していたり、日本国内で医療を受診したことを支給要件としないことを明らかにした。
1945年8月、広島と長崎に原爆が投下された当時、朝鮮人7万人が被爆し、そのうち4万人が死亡したと伝えられる。三菱造船所にいた3千人と三菱兵器にいた4千人の全員が原爆で死亡したという証言もある。ヒトラーが作り上げる前に開発しなければならないという名分で進められた米国の原子爆弾が、人類史上初めて実際の戦争で使用されたことで、日本の植民地政策によって強制連行された無実の朝鮮人たちも犠牲になった。生き残った被爆者たちは白血病や各種ガン、精神疾患や心臓病などを患っており、2013年に慶尚南道在住の原爆被害者を対象に行われた調査では、被害者の20.2%が子どもに先天性奇形または遺伝性疾患があると答えた。
韓国人原爆被害者たちは、様々な病気に苦しめられおり、原爆被害救済と関連して日本で長い間、法的闘争を繰り広げてきた。原爆症の診断を受けたが、国内では適切な治療を受けられず、日本に渡った孫振斗(ソン・ジンドゥ)氏は被爆者支援を受けるために健康手帳の交付を申請したが、適法な居住者ではないという理由で拒否され、訴訟を起こした。1978年、最高裁は、原爆医療法は「戦争を遂行した国の責任」という国家補償の性格もあるので、不法入国者という理由で法の適用を拒否する理由がないと判断した。
この裁判の過程で、日本政府は日本国外の被爆者に原爆医療法などの適用を排除する措置をとってきたが、この措置についてもクァク・グィフン氏が提訴して勝訴するなど、韓国人原爆被害者の法的闘争は続いた。そして、韓国の憲法裁判所は2011年8月、原爆被害者2500人を出した憲法訴願で原爆被害者を放置した政府の不作為は違憲であるとの決定を下した。それでも原爆被害者支援のための特別法はここ10年間、立法化されていない。韓国人原爆被害者たちが日本と韓国で40年以上の法的闘争を繰り広げ、いくつかの裁判で勝訴したにもかかわらず、彼らが被った被害に対する補償は、あまりにも微々たるものだった。せいぜい診療費と若干の手当程度だ。韓国人原爆被害者に対して、これまで受けた被害に見合う賠償と補償が行わなければならない。特に2、3世代の医療費支援と補助金支援が必要である。さらに原子爆弾を投下した米国に対する責任追及も行われるべきだ。
1951年、第二次世界大戦の連合国と日本は、サンフランシスコで終戦条約を締結した。サンフランシスコ講和条約で、日本は米国の攻撃による戦争被害に対する賠償請求権を放棄したが、この条約の当事者ではなかった韓国は、戦争被害に対する賠償請求権を放棄する主体として含まれていなかった。日本の最高裁判所も2007年4月、サンフランシスコ講和条約で戦争被害者個人の請求権は、実体法的に消滅されていないと判決した。戦争には何の責任もない植民地支配下の朝鮮人原爆被害者に対して、米国は今でもその被害を賠償しなければならない。無差別的な核兵器の攻撃により、当時は存在しなかった2、3世代までもが生涯続く苦しみを余儀なくされている。人類の歴史上、唯一である原子爆弾の実戦使用について、これまで米国は責任を取ったことがない。米国は、罪のない韓国人原爆被害者の被害を賠償して、すべての責任を負うべきだ。
韓国語原文入力:2015-09-14 18:37