与党ですら「遺憾」「自然でない人事」と評価
立派な秘書だけが“節義の臣下”ではないと言う新秘書室長
限界の中だけで誠実な彼
どうやって“門番3人組”を抑えるのか
再び「昏君(馬鹿殿)の失敗」を防げぬ“不幸な秘書”が生まれる
どう考えても今回の人事も出鱈目です。公然といちゃもんをつけるつもりはありません。ここ数日間に与党から出た反応だけを紹介します。
ユ・スンミン セヌリ党院内代表は「就任して7カ月にしかならない国家情報院長を秘書室長に任命したことは遺憾」と言いました。 7カ月前にイ・ビョンギ国家情報院長に信任状を授けた時にした話を考えれば、情け無い限りです。「薬も飲んでやめれば耐性を育てるだけで、飲まない方がマシなように…」。その時、なぜイ・ビョンギ駐日大使を国家情報院長に座らせたのか、まさに積弊の耐性だけを育てた格好でした。 国家情報機関の首長を大統領府の秘書室長に座らせたのは、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の時にシン・ジクス元中央情報部長を大統領府法律特別補佐官に任命した例があるだけです。彼は7代大統領選挙を1年後に控え、イ・フラク元秘書室長を中央情報部長に任命し、選挙を総括させましたが、現職の中央情報部長を秘書室長に起用することはありませんでした。
ナ・ギョンウォン議員は今日(2日)、政務特別補佐団についてこう話しました。「政務特別補佐団は円滑でなく自然でない人事…」。大統領府の政務機能が不足しているという批判と指摘があって政務特別補佐団を新設しました。しかし、現役議員3人を大統領特別補佐官に任命したことも異様だけど、彼らの面々が政務的機能とは距離が遠い人々であるためです。ユン・サンヒョン、キム・ジェウォン議員はこの間、大統領のラッパ吹き、ないしは狙撃手と言われた人たちです。野党はもちろん与党とも疎通に障害を起こす可能性が高いのです。そこでユ・スンミン院内代表も同じような評価をしました。「特別補佐団を置くなら、野党や党内の疎外されたグループとよく対話できる方なら良いという話を差し上げたが、反映されなかった」
長官人事も同じことです。 新たに選任された長官候補者3人を含めれば、国務委員18人のうち首相と経済副首相、社会副首相を含めて6人が現役の地方区選出議員です。全員が熱情的な“親朴”議員です。それで金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表は、このように骨のある一言を投じました。「6人も抜擢したことに対して感謝申し上げるが、選挙を控えているので、地方区議員からは連れて行かないで欲しい」。来年は総選挙があります。それ以前に彼らは党にまた戻るでしょう。それなら今後11カ月しか長官職を遂行できなくなります。1年もできないことが明らかな人々が、どうして責任を負って政策を決め執行するでしょうか。低迷した景気と潰れそうな民生を生き返らせるために様子見をせずに先頭に立つでしょうか。特別補佐団が大統領に対する政界の攻勢を防ぐ“防弾特別補佐官”ならば、内閣は大統領府の指示を珍島犬のように執行する“親衛内閣”に過ぎないでしょう。
金代表のこのような忠告は総評であり結論と見なければならないでしょう。「長官という席は、一人の政治家の経歴管理で考えては絶対にならない。 改革を成功できなければ帰って来ようとは思わないことを願う」。それは内閣や大統領府に行った人々にだけ言う言葉ではありませんでした。 大統領に向けて言った言葉でもあるのです。
最も心配な人事は、何といっても国家情報院長の交替です。イ・ビョンギ秘書室長は、大統領選挙工作および南北首脳会談対話録工作で満身瘡痍となった国家情報院を李明博(イ・ミョンバク)政権以前の水準に戻せる唯一の人物として選ばれました。 彼は就任式の時、職員に向かって「頭の中から政治介入という言葉を完全に消しなさい」と指示しました。 そのような彼を交替させたので、世間で言われているとおり、秘書室長交替ではなく国家情報院長の更迭に傍点がつけられたようです。
彼の後任に指名されたイ・ビョンホ元国家安全企画部(現国家情報院)次長を見れば、その性格はさらに明らかになります。 彼は1970年に中佐で予備役に編入した後、中央情報部へ席を移しました。翌年に7代大統領選挙を控えて中央情報部はイ・フラク部長の指揮の下に選挙工作の前面に出ました。選挙が終わって金大中(キム・デジュン)候補は、イ・フラク部長に会った席でこう話しました。「私は朴正煕候補に負けたのでなく、イ部長あなたに負けた」。それほど7代大統領選挙は官権不正選挙で行われました。イ・ビョンホ国家情報院長候補者はそのような時期に中央情報部での通過儀礼を行いました。
そんな彼が月刊朝鮮2013年2月号に載せた寄稿文で、金大中大統領時期の国家情報院についてこう語っています。「太陽政策で国家情報院を無用の長物にした!」。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の国家情報院に対しては一層辛辣に述べました。 国家情報院から政治工作を抹消しようと努力した二つの政府の国家情報院に対してそう語るのですから、彼が考える国家情報院像は容易に描くことができます。李明博政権まで含めて彼は15年を「国家情報院喪失の時代」と主張しました。
李明博政権の国家情報院も非難したのは、その当時に復活した国家情報院の政治工作のためではありません。「門外漢を要職に座らせ、組織を駄目にした」ことがその理由でした。ならば彼が勤務していた当時の中央情報部と安全企画部はどうでしたか。 国内での政治工作はもちろん、北朝鮮と結託して北朝鮮秘密取引などの選挙工作を試みたり試みようとしました。そのような国家情報院の政治工作に対しては何も言いませんでした。 いくら良く見ても、彼は任命権者の命令に珍島犬のように従う人物に過ぎません。 国家情報院の刷新と自分本来の席を見つけることは水泡に帰したと見なければならないようです。
ひょっとしてイ・ビョンギ秘書室長が前任者同様に“王室長”として君臨するならともかく、そのような可能性は全くありません。イ秘書室長自身がそれを願わないでしょう。イ・ビョンギ秘書室長はクォン・ウンヒ セヌリ党スポークスマンにした話のように、自身の限界と分を几帳面にわきまえてきました。一方、国家情報院は大統領の直属機関です。その上、あなた(朴大統領)は執権初年度にすでに国家情報院を政治の前面に立てて野党に仕返しさせました。そのような状況で、どうして国家情報院の刷新を極めることができますか。 正反対の状況ならば分かりませんが。
事実、彼は立派な秘書でした。しかし命を賭けて大統領の過ちを防ぐ“節義の臣下”ではありませんでした。 彼は初期の職業外交官、そして金泳三(キム・ヨンサム)政権時期の安全企画部2次長を除いては、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領を補佐する席に身を置きました。政務的助言もしつつ盧泰愚を誠実に守りました。その結果、彼は「政治家盧泰愚」のイメージを成功裏に創造し、大統領になるのに一助となりました。しかし盧泰愚大統領が崩壊するのを彼は防ぐことができませんでした。
まず「月桂樹会」との関係です。盧泰愚大統領時期に国政全般を勝手気ままにしたのは“皇太子”パク・チョルオンと私組織の月桂樹会でした。イ秘書室長は儀典秘書官として“ドアのノブ”を掴んではいましたが、盧大統領の内室のドアのノブはパク・チョルオン氏が握っていました。党も大統領府もパク氏と月桂樹会の顔色を見なければなりませんでした。“地獄のライオン”というニックネームのイ・チュング民正党事務総長も彼らの横暴をどうにもできませんでした。彼らの横暴は、盧泰愚政権を早期にレイムダックに陥らせました。 ことごとに金泳三代表と衝突したパク・チョルオン氏は金泳三代表に追放され、それと同時に盧大統領の翼の付け根も折れました。一介の秘書官とは言え、寵臣として彼は盧大統領を守ることはできませんでした。
盧泰愚大統領が腐敗することも防げませんでした。 盧大統領が2000億ウォンに及ぶわいろを財閥から得た時、ドアのノブを握っていたのは彼でした。他のドアを通ってかき集めたから分からなかったのかも知れませんが、彼は十分にそのような事に感づける位置にありました。しかし、彼は何もできませんでした。結局、退任後に不正蓄財が露見し、盧氏は囚人になりました。秘書として誠実さと度量の広さは高い評価を受けましたが、主君が滅ぶことを防げなかったのだから節義の官僚だとは言えないでしょう。
期待よりは心配と憂慮が大きい理由はそこにあります。単刀直入に言えば、自分の限界内でのみ誠実な彼が、どうやって“門番3人組”を制御できるでしょうか。国家情報院が再び政治工作と“従北”工作の悪い習慣に戻ることを阻止できるでしょうか。 結局、カギは大統領にあります。 しかし不幸にも大統領が変わる可能性は殆どないというのが専門家たちの展望です。
門番3人組について「仕事ができる人をどうしてチラシのために送り出せるか」と言ったのは大統領です。彼らとの関係を整理しない限り、大統領府秘書室の失敗は続く他ありません。イ室長は再び昏君(馬鹿殿)の失敗を防げなかった不幸な秘書としての経歴を履歴書に書き込むことになるでしょう。