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[コラム] 韓国型人種主義の特徴

登録:2015-02-17 21:00 修正:2015-02-18 15:26
朴露子の韓国、内と外

韓国の大学が“ひたすら白人”に執着するのには深い文化・世界観的原因がある。韓国で非公式的にほとんど制度化された差別的対外観がそれだ。 世界を一つの大きな位階秩序で把握するこの対外観は、西欧発の人種主義の単純な“翻訳”に限定されない。

 言語(すなわち、英語駆使力)や宗教など他者の象徴資本と特に他者の経済力に対する序列的評価が常に結合して、非常に複雑なピラミッド構造を成し遂げる。他者に適用される序列は内部序列の延長線上にあるとみなければならない。

キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 何日か前に偶然ある日本の大学の英文紹介パンフレットを見た。 その大学で勉強する留学生の大部分は韓国人や中国人、いわゆる隣国から来たアジア人だ。 ところがパンフレットの写真には、日本人の学生以外には“アジア的な”顔は全く見られなかった。 パンフレットのモデルとして呼び出された外国人留学生は全員白人だった。 後から聞いたところ、このような慣行は日本の大学ではありふれている。 実際、日本で勉強する約13万人の外国人のうち、アジア出身が92%で絶対的だ。 多くの学生たちは中国(62%)や韓国(12%)から来る。“白い国”から来た学生たちの比率は約4%に過ぎず、彼らの中でも相当部分はアジア系の学生たちだ。 しかし、それでも日本の大学はそれぞれ“白人学生たちを迎えること”に渾身の力をふりしぼり案内パンフレットにアジア学生たちを“露出”させることを敬遠する。“中国人が集まる学校”という印象が強まればその学校の“地位”を象徴するはずの“白人”が来なさそうだという恐怖感のためという。

 ここまで読んだ読者は、やはり“脱亜入欧”(脱亜入欧-アジアを抜け出てヨーロッパ列強のようになる)を非公式的国是としてきた日本らしいと片付けて、彼らの人種主義の被害者として生きてきた私たち韓国人と果たして何の関係があるのかと思うだろう。 問題は、韓国が植民地時代の親日官僚群を継承したエリートによって支配されてきた国家であるだけに、日本が持つ病理の相当部分を共有しているということだ。 実は、その日本の大学のパンフレットを見た瞬間、私の頭に浮かんだ用語は“白人プロジェクト”だった。 私が訪問した韓国のある大学で、対外交流責任者が私席で使い続けた用語だったが、その意味するところは「学校の地位を向上させるためには破格的に良い条件を提示して白人留学生の誘致に努めよう」ということだった。 外部者である私にこういう“プロジェクト”の概要を何はばかることなく説明する態度から見て、彼らはこのような用語の使用が国際的には犯罪と認識される人種主義に該当するという事実自体をほとんど認識していない。実は、韓国の外国人留学生の現況は日本と概略似ている。全体で約8万6000人の外国人大学生のうち、アジア出身者は7万6000人で大多数を占め、ヨーロッパ出身は約4000人に過ぎないうえに、その多数は短期(主に語学)研修生だ。種々の歴史・文化的理由から日本・韓国で生産される知識を最もよく輸入する国々は中国やベトナムなど漢字文化圏国家やその近隣国家だ。それでは、大学の行政マンが“学校の威信向上”を云々し途方もない金を使ってまで“白人留学生誘致”に没入する理由は何だろうか?

 ここで近因と原因を区別して話さなければならない。近因としては金大中(キム・デジュン)政権以後、歴代政権の変わることのない対外隷属的学術・教育政策を挙げなければならないだろう。 新自由主義を基調とするその政策は、学術・教育を商品と規定することから始まる。 大学の学位も学術論文も、携帯電話と何も違わない商品であるならば、購買力が一番強い潜在的購買者が最もたくさん暮している地域の基準、たとえば言語に合わせて作って売らなければならない。中国の大学さえも英語論文の掲載に報奨金を与えるように、英米圏の学術市場が最も大きいと認識されているので、韓国の大学でもブルドーザー式に英語講義を行って学校と研究所を英語論文製作所にすることが新自由主義者としては当然の決定であろう。 新自由主義者でなければ、教育と特に人文社会学のような学問を商品としてではなく人間の啓発、自己実現の道具と考えるだろうし、その国の教育と人文社会学はその国の住民多数のために存在し、多数の言語で成り立つことが望ましいと判断するだろうが、大部分が米国で受けた学位を主な象徴資本として掲げる韓国の教育・学術政策担当者はこのような批判を聞こうともしない。 学術言語としての韓国語が抹殺されて、学術・教育の英語化が暴力的に成り立っている状況では、英語駆使力に優れる欧米圏留学生に優先順位を置くのが自然だろう。 結局、韓国の支配者である江南(カンナム)族が望む風景は、SKY(ソウル大、高麗大、延世大)大学の講義室で欧米圏出身教授や完璧にアメリカナイズされた韓国系教授が、欧米圏出身と韓国の支配層出身が半々である学生たちに“ネイティブ”発音で英語講義を行い、その過程で韓国の支配階級の次世代たちがあえて留学に行かずとも十分にアメリカナイズされうるということだ。 植民地時代に多くの高等教育が“内地語”(日本語)で行われたことまで念頭に置けば、植民地支配階層と不可分の歴史的関係を持つ今日の韓国支配層のこのような構想の系譜も容易に察しがつく。

 しかし、彼らにとって単純に新しい“内地語”(すなわち、英語)が上手い多くの外国人だけが必要ならば、留学生の多数を占める中国人などを差別する理由はない。彼らの英語駆使力は多くの場合、韓国人をはるかに凌駕するためだ。 他にもインドやマレーシア、フィリピンなどアジア国家出身の留学生たちは英語を平均的韓国人に比べて上手に駆使する。 彼らを差別し“ひたすら白人”に執着するのは、より深い文化・世界観的原因がある。 この原因は、韓国で非公式的にほとんど制度化された差別的対外観にある。 全世界を一つの大きな位階秩序で把握するこの対外観は『西遊見聞』(1895)など欧米圏と日本の“文明序列”概念を韓国に導入した開花期の書籍からその系譜を追跡できるが、決して西欧発の人種主義の単純な“翻訳”には限定されない。 そこに言語(すなわち、英語駆使力)や宗教など他者の象徴資本と、特に他者の経済力に対する序列的評価も常に結合して、非常に複雑なピラミッド構造を成し遂げている。 このような序列的対外観の形成に当然ながら作用したのは、韓国の国是とも言える成長第一主義や国内で広まった黄金万能主義、そして英語駆使力が媒介となって決められる韓国での象徴資本の序列などだ。 結局、他者に適用される序列は内部序列の延長線上にあるとみることが正確だ。

 植民地エリートによって建国され統治されてきた国であるだけに、韓国の人種主義は自民族中心でもない。 徹底して白人崇拝主義だ。 この現象を最も痛感する人々は、故国に帰ってきても同じ米国やカナダ国籍の白人に比べて常に冷遇され優先順位で後回しにされる北米居住の韓国人海外同胞たちだ。 驚くべきことは、このような白人崇拝と制度化された血統主義がいくらでも共存共生できるということだ。 外国人関連法律上“海外同胞”と一般外国人とは差別的待遇を受け、前者の場合には滞留延長や永住権申請が比較的容易だ。 大衆の意識においても普通の血縁的関連性がない外国人に比べれば“同胞”に対する親しみははるかに濃厚なことが明らかだ。 いまだに“同胞”は“韓民族大家族”の一員として把握されている。 だがその一方で、非公式的に自他が公認する序列では、この“家族”より白人の方がより高い地位を占めているということがほとんどの韓国人対外観の出発点だ。

 しかし、単純な白人崇拝と非白人蔑視に韓国型人種主義がとどまりはしない。皮膚の色と関係なく、東ヨーロッパの“貧しい国”出身は侮辱を受けなければならなかったり、例えば英国の市民権を持つ裕福なインド出身2世移民者は、その経済力や英語駆使力に見合うだけの“待遇”を受けることになる。 宗教の非公式的序列も一役買って、例えば同じ“非白人であっても裕福な国”であるシンガポール出身でもキリスト教徒である華僑出身はイスラム教徒であるマレー族出身より良い“待遇”を受けることになる。 千差万別の多面的差別構図だ。

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授 //ハンギョレ新聞社

 差別が日常化・体質化されている社会は幸せであるはずがない。私たちが本当に多文化を指向しようとするなら、私たちの心の中の“白人病”や“貧しい国”を韓国の下に見ようとする成長第一主義から先ず治療・克服しなければならない。 そのためには、韓国人を画一的に線引きする経済力・象徴資本の位階秩序を先に打破しなければならないだろう。

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015/02/17 19:15

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/678892.html
訳J.S(3802字)

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