ガザ地区に対するイスラエル軍の無差別攻撃を惨憺たる思いで見つめている。 民間人、女性、子供たちに対する無慈悲な屠殺を凝視しているだけで、何の制止もできない私たちの世界は、文明の仮面をかぶった最悪の野蛮状態ではないかという思いだけが堂々巡りしている。 ガザ地区での虐殺は最悪の国家犯罪なのに、国民国家と国民国家の間の同盟で構成された私たちの世界には、最強の‘ボス’アメリカの同盟国イスラエルの首根っこを押さえる‘国際的警察官’は存在しない。 このような類いの国家犯罪が横行する世界では、国際法はすでに紙切れと化し、残ったものは国際水準の‘我々は仲間じゃないか’型の組織暴力論理だ。 毎日100人近いパレスチナ民間人が屠殺にあっても、ホワイトハウスは「イスラエルの自衛権を支持する」として、イスラエルの蛮行を傍観している。
ところでちょっと想像してみよう。 もし同盟国イスラエルではなく潜在的敵になりうるロシアや中国が、例えばウクライナや新疆地域などでこのような虐殺劇を行ったとすれば、果たしてアメリカの反応はどうだったろうか? ガザに対する攻撃が‘自衛権’の名で合理化される反面、東部ウクライナの分離独立主義者に対するロシア側の支援が経済制裁で対応して当然な‘犯罪’となり、ホワイトハウス スポークスマンによって糾弾される理由は何だろうか? いかなる普遍的な基準ももはや通用せず、列強角逐の現場では、力と‘こっち、あっち’の論理だけが通じる世界は危険千万と言える。 特に米・日・韓ブロックと中・ロ・北朝鮮ブロックに両断されて、両側の軍事力が尖鋭に対立している朝鮮半島では、アメリカが主導してきた国際法の破壊は潜在的に生命と平和に対する威嚇を加重させている。 ガザでの虐殺を見て感じるみじめな心情と共に、我ら自らに対する恐怖感まで感じる一つの理由はまさにここにある。
この他にガザでの惨劇が大韓民国と関係がある理由は、まさにイスラエル社会の内部結束論理にある。 たとえ一部のイスラエル ユダヤ人がガザでの参戦を拒否し、数千名が集まる平和集会を組織したと言っても、平和陣営はイスラエル ユダヤ人社会の極少数に過ぎない。 約80~90%のイスラエル ユダヤ人はガザ虐殺を支持し、「ハマスの徹底した撲滅」を注文している。 虐殺の渦中にイスラエル軍人の死亡の便りが相次いで伝えられても何も変わらない。 イスラエルの全社会が戦争狂気で固く団結したと言っても過言ではないほどにイスラエルでの「戦時国民団結」は絶対的だ。 この狂気の起源はどこにあるのか?
銃で建国され、先住民であるパレスチナの人々との対立の中で生きてきたイスラエルであるだけに、軍の地位は -最近若干弱まっているとはいえ- 相変らず絶対に近い。軍は社会の‘基本組織’であり、徴兵制の軍での服務は‘市民’になる通過儀礼だ。 政府に対する批判は乱舞しても、戦争中の軍隊は神聖不可侵だ。 それに加えて、永年続けられてきた‘ハマス’に対する悪魔化効果も侮れない。 イスラム主義勢力の支援を通じて世俗的民族運動を弱化させる目的でイスラエルの諜報機関が自らハマスの創立に関与したにも関わらず、そしてハマスの力の根源が宗教的狂信より住民に対する福祉サービスの提供にあるにも関わらず、またハマスにはイスラエルを破壊する意図もなく、またそれだけの力量もないにも関わらず、大多数のイスラエル ユダヤ人にとってハマスは撲滅しなければならない‘テロ組織’でしかない。
イスラエルの戦争狂気は、極度に軍事化された社会とオリエンタリズム的アラブ人卑下から始まったものだ。 平和を実現するには社会を脱軍事化しなければならず、軍人ではなく市民を育てなければならず、隣国の人々に対する平等と尊敬の態度を幼い内から教えなければならない。
このような悪魔化が可能になった基本的な理由は、アラブ人に対する全体的な人種主義的排斥ムードのためだ。 世論調査ごとに若干結果は違うが、概略60~70%のイスラエル ユダヤ人はアラブ人が「知能が劣り文化がない」など「劣等」を確信しており、約70~75%はユダヤ人とアラブ人が同じアパートで暮らすのは不可能だと考えている。 ‘狂信的・後進的なアラブ人’という歪曲されたイメージは、自称‘先進国’イスラエルの集団アイデンティティの基盤となっている。 このような談論的暴力が、結局今日の虐殺劇につながっているわけだ。
軍事化の強度では大韓民国がイスラエルを凌駕している。 韓国社会も隣国を劣等視したり悪魔化するなど、平和準備よりは戦争準備に熱中している。 ガザ虐殺の惨劇が私たちに自省の機会を提供することを願ってやまない。
イスラエルの戦争狂気は、窮極的に極度に軍事化された社会でのオリエンタリズム的アラブ人卑下と‘敵’に対する極端な悪魔化ムードにより可能になったのだ。 朝鮮半島では幸いにもまだ砲声が聞こえない。 しかし、砲声が聞こえないのは戦争の不在であって、平和の到来ではない。 平和を成し遂げるには社会を脱軍事化しなければならず、幼い時から軍人ではなく市民を育てなければならず、そして隣国の人々に対する平等で尊重する態度を幼い時から教えなければならない。 このような点で、大韓民国の現住所はどのあたりにあるだろうか?
軍事化の強度では大韓民国がイスラエルを凌駕している。 宗教原理主義者(‘Haredim’)等に兵役特典を与えるイスラエルでは、男性兵役免除率は27%にもなるが、‘例外なき徴兵制’の国 大韓民国では免除率が2.4%に過ぎない。 イスラエルは制限的ながら兵役拒否権を認めているが、大韓民国は絶対に認定しない。 イスラエル教育の中の排他的な軍事的愛国主義イデオロギーは人権団体などの批判を受け入れたが、大韓民国の‘愛国教育’は果たしてどうなのか? 先日、ソウル江東区(カンドング)のある小学校である女子児童が‘愛国教育’の一環で軍の現役少佐が見せた‘北朝鮮での強制堕胎、嬰児殺害’等、鮮血まみれの映像を見て泣きわめき話題になった。 現役軍人によるこのような‘北朝鮮憎悪教育’が多数の学校で堂々と行われても、ほとんど批判の声が聞こえないのがまさに大韓民国だ。 今は砲声が聞こえないとはいえ、この程度まで軍事化され、北朝鮮という他者に対する憎悪が‘常識化’された国が、いつか残酷な戦争にまきこまれるならば、果たしてそれを制止できる勢力がイスラエルの平和勢力以上に影響力を発揮できようか?
常に暴力、暴言、事故が絶えない軍は、銃器乱射事件が起きるたびに言論から袋叩きに遭う。 韓国の軍隊はこのようにもはや聖域ではない。 だが、保守主義的観念のせいで「国民を食べさせている」という財閥の対外進出、すなわち外国での資源略奪への参加は、ほとんど批判の対象に上がらない。 非正規職量産の先頭に立って、路地裏商圏まで侵奪し、零細民の連鎖倒産に決定的役割を果たしている財閥は、実際に多数の韓国人の実益には敵対的であるにも関わらず、彼らのすべての対外的行為は全て‘国益’次元で合理化されるのが韓国社会だ。 例えば最近、大宇インターナショナルのミャンマーガス田開発が多くの人権、環境問題を誘発したのに、韓国のマスコミは一度たりとも批判的検討を試みたことさえなかった。 もしアメリカが再び油田やガス田の多いイラクのような国を攻撃する決心をして韓国軍に派兵を要求したとすれば、果たして‘国益’、すなわち韓国企業等の外国資源略奪を優先視する資本のイデオロギーが派兵反対世論を再び沈静化させるのではないかと思えば心配だ。
イスラエル主流の反アラブ人種主義に対し国際的批判が殺到し、ヨーロッパ国家さえもハマス悪魔化には懐疑的だ。 それでは大韓民国では、自国と他国を差別せずに公平に取り扱うそのような世界観を教えているか? 中国やロシアに韓国財閥の途方もない経済的利益が関わっていて、彼らに対する露骨な非難は韓国言論が慎んでいるが、常に‘市場’あるいは‘投資先’、さもなくば‘天然資源の宝庫’として、すなわち利用対象として扱うだけで、その住民に対する親近感を育てようとは決してしない。 そして、それとなく‘韓国の自由民主主義’が彼らの‘後進的独裁’より優れているという優越感を表わしている。 中国とロシアに対しては自制もするが、上記の‘愛国教育’のケースで見たように、北朝鮮に対する悪魔化はイスラエルのハマス悪魔化より一層徹底している。 すべての北朝鮮人を‘洗脳された金日成教の狂信徒’として描こうとする保守メディアは、結局今後の南北間の流血衝突のための土壌を地道に作っているわけだ。
犯罪国家イスラエルと変わりなく極度に軍事化された韓国社会も、国家の中枢集団(すなわち財閥)の不当な対外行為を‘国益’の名で合理化しようとする傾向が強く、隣国を劣等視したり悪魔化するなど、平和準備より戦争準備に一層熱中している。 我ら自身も隣人を理解し連帯しようとする熱意が、そして‘国益’という名前の国家・資本の利己主義を克服しようとする意志が薄弱だ。 ガザ虐殺の惨劇が私たちに自省の機会を提供することを願うばかりだ。
パク・ノジャ ノルウェー オスロ大教授・韓国学