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[コラム] 嘲笑とテロ、パリの二つの野蛮

登録:2015-01-21 01:52 修正:2015-01-21 06:46

 1月9日に起きた時事週刊誌シャルリ・エブドの記者たちに対する衝撃的なテロの直後、フランスと西側の人々は「私はシャルリだ」と共感と支持を鼓舞した。 150万の市民が大規模な反テロデモに参加し、フランスの首相は「テロとの戦争」を宣言した。

 この事件を巡り「表現の自由」の限界や「文明の衝突」として説明する動きもあるが、私はフランス出身のあるロンドン大学の教授が言った「野蛮主義の衝突」という命題の方に共感を覚える。もう一歩進み、これは「無感覚にして傲慢な西欧急進自由主義と第三世界の衝突」ではないかとまで考えている。それは私が表現の自由という人類の共通の資産を否定しているからでも、シャルリ・エブド記者たちの反権威主義の立場を支持しないからでもなく、ましては今回の事件を起こしたイスラム原理主義勢力のテロ戦略を擁護しているからではなおさらない。

 「私はシャルリだ」という西側の連帯前線は、米国での9·11テロ直後ル・モンドが「私達はすべて米国市民である」とイスラム原理主義者のテロに対抗しようという連帯の意思を示したことや、1963年米国大統領のケネディがベルリンを訪問し、「私はベルリン市民である」と東ドイツ共産主義に対抗する西ドイツとの連帯を示して歓迎を受けたことを連想させる。米国を筆頭とした西側諸国は、「自由」という旗の下で過去には共産主義という「悪魔」と対抗したが、今ではテロ勢力という”悪魔”に対抗する連帯を誇示している。この反共から反テロにつながる西側の連帯の前で、宣教師帝国主義や米国による南米独裁政権の支援、中東の石油掌握のための英米の介入、イスラエルのパレスチナ占領後援などの恥部はもちろん、主流白人の人種主義と国内の第3世界移住労働者への蔑視と差別の歴史は完全に埋もれてしまう。

 自由、平等、博愛というフランス革命の精神は、帝国主義と独裁の鎖で喘いでいた世界中のすべての人々に精神的な福音だったことも事実である。しかし、フランスはイギリスが植民地を放棄して久しい1960年代初頭までアルジェリアを諦め切れず、アルジェリアを離れる際も現地の代理者を通じて多数の被抑圧住民に暴力と虐殺を働いた。共産主義という野蛮に対抗しようと言っていたケネディは、キューバに侵攻し、“自由”の名でベトナム戦争に不当に介入した。もちろん、シャルリ・エブドは反戦運動を展開した68運動の主役たちによって運営されていた。しかし、今日フランスに住んでいる500万のイスラム教徒がなぜフランスに渡らざるを得なかったか、彼らが内部の少数者として経験している烙印と差別について、この雑誌がどのぐらい共感しているかは疑わしい。数百年前、絶対王朝に向かって彼らの祖先が叫んだ「表現の自由」は死を覚悟する勇気を必要としたが、今日文化的な既得権層になった彼らが「呪われた」人々と彼らの宗教を侮辱し嘲笑うのもその”勇気”の一種なのか疑わしい。

 今回のテロ以降、フランスとヨーロッパではイスラムのモスクへの暴力が目立ち、極右派が勢力を伸ばしている一方、過去のフランスの植民地だったアフリカの国々やパキスタンでは教会が破壊されたり、反対デモが行われている。傲慢な”自由”は暴力を生み、かえって原理主義を煽る。過去2世紀以上西側が享受した自由と豊かさは、文明という名の野蛮統治の対価として得られたものであることを、反テロ戦争を宣言した西側陣営は忘れてはならない。

キム・ドンチュン聖公会大学社会科学部教授。//ハンギョレ新聞社

 テロ勢力の背後を明らかにしようとする「陰謀論」は、自分がこれまで何をしてきたかを知らない既得権勢力の限界だ。平凡な若者たちをテロリストにさせたのはまさにフランス社会の過去と現在である。かつての植民地の先住民の子供たちが内部の植民地の住民となった今日、サルトルが言ったように「移住民になるより悲惨な先住民となる方がマシだ」ということを彼らが「二等市民」として残酷に体験しなければならないのなら、今後もテロは続くだろう。毒を毒で取り除こうとすると生命体は死ぬ。宗教的な原理主義同様、過激な自由主義も西欧文明の恥部をさらしている。

キム・ドンチュン聖公会大学社会科学部教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015.01.20 18:54

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/674447.html  訳H.J

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