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[セウォル号特集]イ・ミョンス、チョン・ヘシン夫妻の「安山治癒日記」

登録:2015-01-07 20:01 修正:2015-01-10 16:23
…のんびり編み物? いや、それは神秘的な鎮痛剤
安山市で最も古い町であり檀園高校が隣接している檀園区瓦洞。そこに位置する治癒空間「隣人」は50坪余りの坐式空間だ。12月23日午後、治癒空間「隣人」のイ・ミョンス代表(左)とチョン・ヘシン治癒者が絵「春の遠足」の前に立った。//ハンギョレ新聞社

チョン・ヘシン、イ・ミョンス夫妻は心理治癒専門企業「マインドプリズム」で有名です。当然、今でも兼職しているものと思っていました。でも違いました。セウォル号事件以降、完全にたたんでしまったそうです。もう安山での治癒活動にすべてをかけたそうです。京畿道楊平(ヤンピョン)にある自宅には、週末にだけ帰ります。9月から安山市檀園区瓦洞に開いた治癒空間 「隣人」は、ボランティア100人余りと遺族たちでごったがえしています。二人が一緒に、これまでの活動を記録した治癒日記を送ってきました。

イ・ミョンス:安山に移住して6か月が過ぎた。住所地まで移したわけではないが、週のうち5日を安山で生活しているので移住というのが当たっているだろう。彼女と私の安山での生活は単純だ。朝、宿所から10分の距離にある「治癒空間 隣人」(以下、「隣人」)まで歩いて行く。一日中そこにいて、夜遅く宿所に戻って一日を振り返る。毎日同じだ。昨日は今日と同じようだったし、明日も今日と同じようだろう。「隣人」での動線も特別なことはない。彼女は主に心理相談を行ない、私は(良く言えば)「隣人」のマルチプレイヤーだと独り自負している。精米所から配達されたばかりの餅を冷凍保管しやすいように一本一本引き離しておきもするし、お母さんたちが編み物をする時は窓を開けて換気にも気を使い、床に座り込んでお母さんたちと長話をしたり、夜遅く掃除機をかけたり、「隣人」のボランティアたちにちょっとしらけた冗談を言ったり、また、「隣人」を訪れる後援者に会って感謝の意を伝えたりもする。誰にでもできそうなことであり、反復的な日常だ。いろいろな理由から、「隣人」で私がやっている事の意味を1日に10回以上問うことになる。彼女と私の結論はいつも同じだ。今、安山におけるセウォル号のトラウマに対する治癒的アプローチは、最も日常的なものが最も本質的であるということだ。

 私たちを知っている人たちは、安山に移住したという話を聞くと必ず聞いてくる。なぜ(或いはどうして) そこまでやるのかと。セウォル号惨事の直後、彭木(ペンモク)港に行ってきた後、楊平(ヤンピョン)の自宅と安山を行き来していた彼女は、夜にはひどくうなされ苦しんだ。この10年余り、あらゆるトラウマの現場に誰よりも近くにいた街頭の医師だったにも拘らず、そんなだった。私は、眠りながら腕を振り上げて空を掻いたり、眠りから覚めて泣いている彼女を、その度になだめたり慰めたりした。ある日の真夜中、泣きながら彼女は言った。 「彭木港で見た子どもたちが、しきりに私に言葉をかけるの。おばさん、うちの母さん、父さん、それから弟や妹を、よろしくお願いします…って」 その話をする彼女も、聞く私も、直感的に悟った。「ああ、安山に行くことになるんだな」。後に確認したことだが、多くの人たちが似たような苦痛を経験していた。移住できるように会社を含めすべてを整理した。私たちは他の人たちより、苦痛に反応するのが少し速く、少し果敢だった。大人として罪の償いをしなければならないという義務感も一役買った。それで、安山にやってきて、「美しい財団」の後援を受けて「隣人」を開いた。だから始まりは彭木港だった。

イ・ミョンス
早く立ち直れというのは
治癒ではなく愚かな助言だ
チョン・ヘシンは主に心理相談を行ない
私は、冷凍する餅を引き離す作業をしたり
夜遅く掃除機をかけたり…

チョン・ヘシン
4月23日、彭木港に行きました
行き着いたところは身元確認所
遊び疲れて眠ってしまったような子どもたち
私よりもっと生き生きとしたそのたくさんの生命が
私に声をかけているようでした

日常的アプローチの治癒効果を確認する

チョン・ヘシン:4月23日、彭木港に行きました。子どもたちの生死さえ確認できない阿鼻叫喚の場で精神科医が直ぐにできることは多くないだろうけれども、そこで起きていることの本質が何なのかは、はっきり知らなければならないという気持ちから、何の準備もなくとにかく行きました。そうして行き着いたところが、 彭木港の隅にある身元確認所でした。海から上がってくる遺体を収拾するところでした。私が行った日は一日中、檀園高校の生徒たちの遺体が上がってきました。 夜通し遊んで遊び疲れて寝入ってしまった子どもたちのようでした。愛らしいと言うほかないような子どもたちでした。葬儀指導者のボランティアたちは一日中、子供を沐浴させるように子どもたちを拭き清め、顔の傷を目立たないようにして、髪もとかしてきれいにします。自分の子かどうか確認しに入ってくる親たちが受ける衝撃を少しでも減らすためです。身元確認所で会う自分の子どもの最期の姿というのは、親にとって死ぬまで絶対に忘れられない姿でしょう。私が彭木港でできる唯一のことは、そこに一緒にいてあげることだけでした。珍島(チンド)では遺体を拭いてあげて、ご飯を炊いて洗濯してくれて、トイレの掃除をしてくれた方々が、究極の治癒者でした。

 身元確認所での数日間は、セウォル号犠牲者の生徒たちと私が、後戻りのできない関係を結んだ時間でした。その日以後、そこで会った子供たちの声が聞こえるような気がしました。子どもたちが私に声をかけてくる感じでした。そこで私が確認したセウォル号事件の本質は、「大人たちが救出しなかったその子たちは、大人の私よりもっと生き生きとした生命だった」ということでした。その生き生きとしたたくさんの生命を海に沈めたまま、食べて寝ていた私たち大人は、死ぬまでその罪の償いをすることになりそうです。

イ・ミョンス:治癒空間「隣人」は50坪余りの坐式の空間で、檀園高校の遺族である父母たちのための民間主導の心理治癒センターだ。スペースの3分の1は台所で、二重ドアの設置された相談室があって、残りは何の仕切りもない開かれた空間だ。そこで食事をして、編み物をして、マッサージを受けて、漢方診療をして、懇談会をして、個別相談をして、星になった子どもたちの誕生会を開く。「隣人治癒者」と呼ばれる「隣人」のボランティアたちが、この全ての仕事を手助けする。「隣人」ではチョン・ヘシンも相談を主にする「隣人治癒者」と規定される。それでも、薬物治療や個別相談などだけを治癒と規定する専門家集団は、「隣人」の治癒活動について半信半疑であり得る。また別の理由から、セウォル号の一部の遺族たちも首をかしげている。真相究明のような激しい闘争の現場にいなければならない人たちが、編み物をし、集まって座り込んで話をしている姿が、のんびりして見えるからだ。彼らの意見を理解することはできるけれども、同意はし難い。彼女と私は、我々の日常的接近方法がこのようなトラウマの現場において強力な治癒的効果をもつという事実を、長い時間にわたってこの目で確認してきたからだ。

 治癒は簡単に定義すれば、壊れた日常の復元だ。例えば、ひどいやけどの腕を治療する目的は600万ドルの男の鉄腕を作ろうということではない。もともと本人が使っていた腕くらいに回復させることだ。それがそんなにも難しいのだ。死ぬほどの力を尽くしても、元通り復元されるかどうかというところだ。傷跡はそのまま残る。心理治癒の過程もそうだ。

 編み物をする瞬間の母は、死のような苦痛をしばし忘れる。安らかな状態ではないが、第3者の目にはのんびりした風景のように見える。たった一人の子を目の前で失って、何故さらに生きなければならないのか苦悩する母は、表面的には何もしていない状態だ。ただただ静かで無気力に見えるだけだ。しかし、その内面では真相究明の現場よりももっと熾烈な生と死の闘いが進められているのだ。

 人間は24時間泣いたり24時間怒ったりはできない。「隣人」を初めて訪問する人たちが感じるという穏やかさは表面的な風景に過ぎない。ご飯を食べていてもマッサージを受けていても子どもの話をしていても、突然吐くように泣き出して気絶したように無気力になるのが遺族たちの内面風景だ。「隣人」で治癒の食膳に使われる食材の次に多く使われるのがティッシュだ。相談室では二日に一箱の割でティッシュを交換する。 あちこちにゴミ箱が置かれているのも同様の理由からだ。

 心理治癒作業は目に見えない。時間もたくさんかかる。「隣人」の内部方針が「ゆっくりと、長く」なのはそのためだ。

チョン・ヘシン、イ・ミョンス夫妻は治癒空間「隣人」のために、安山に移り住んだ。カン・ジェフン先任記者 // ハンギョレ新聞社

宅配で受け取った息子の制服で叶えられた願い

チョン・ヘシン:息子の遺品が宅配で送られてくるという連絡を受けた母親は、宅配運転手と出くわすかと思って家にいることもできず、どうしていいか分からないでいます。遺品を受け取ったら、その時はもう本当に息子を送り出さなければいけないと思うけれども、まだ準備ができていないのです。二日間逃げてまわった後、母は遺品を受け取りました。海水に浸かっていた息子の制服が腐ってボロボロになってしまうのではと、すぐ洗濯しようとしましたが、今度は妹が遺品箱を開けさせてくれません。箱を開ければ海のにおいになった兄さんが家中いっぱいになる、そうなったら自分は家に入れないと思うと言うのです。困惑した父親は息子の制服が入った遺品箱を車の助手席に乗せて仕事に出かけます。息子と二人だけでいたいと言って。

 「隣人」でボランティアをしているシスターにお願いして、安山のある聖堂の施設に、遺品箱を持ったお母さんと一緒に行きました。洗濯やアイロンがけが可能なところでした。子供の制服と名札を取り出して祭壇に上げて切々と礼拝を行なった後、洗濯室に行ってお母さんは息子の制服を取り出し、息子の名前を呼びながら、大雨のように涙を流しました。倒れそうになりながら、息子の服を隅々までなでながら洗濯をするその手は、幼い息子のお尻をなでる母の手のように思われました。息子の制服がまるで息子であるかのように、あちこち手で探りながら息子に言葉をかけました。3時間余り息子と長い対話を交わした母は、最後に心をこめて丹念にアイロンをかけました。制服を韓紙にきれいに包んで素朴な祭壇に再び上げて、お母さんとシスターと私は、再びそれぞれの神に祈りを捧げました。

 お母さんが最後に言います。息子の遺品を受け取ることが一番恐れていた宿題だったけれども、考えてみたら、子どもが贈ってくれたプレゼントだったと。真相究明の座り込み場に通うために泣く時間もなくて、24時間息子のことだけ思って泣くことが願いだったが、息子の制服のおかげで願いが叶ったと。息子のために始めた座り込みなのに、気が付いてみたら息子よりも、他の人たちともっとたくさん会い、その人たちを配慮し、その人たちに神経を使ってきたようだ。そうするうちに、自分の息子の手を放してしまっていた。再び息子の手を握ることができて、とても心が軽くなった。毎朝目を覚ますと同時に始まっていた頭痛も、その日以来、消えたそうです。

 この儀式を行なったのが金曜日の午後3時だったのですが、シスターの話によると、十字架にはりつけになって死んだイエスをマリアが下ろして抱きしめた時刻だそうです。その時刻に安山で聖母マリアのようなお母さんがイエスのような息子を抱きしめて最後のあいさつを交わしたわけです。そのためか、その日以来、安山に来てから生じた私の肩と腕の変な痛みも消えました。子どもの制服が、その日その場にいたみんなを癒したのだと思います。その子に本当にお礼を言いたい。ありがとう。

イ・ミョンス:一か月ほど前、「隣人」に檀園高校2年生の先生たちがやってきた。もしや遺族たちを辛い気持ちにさせてはと思い、人がほどんど来ない夜遅い時間に約束した。先生たちは「春の遠足」の絵を見て声を殺して泣き、「隣人」にやって来る母親たちの話に、もっとたくさん泣いた。胸が詰まってつられるように私も泣いた。全部話すことはできないが、セウォル号のトラウマの裏側には何層もの悲しみと苦しみが混在している。行方不明者や遺族、生存者、檀園高の先生、安山の住民たち、セウォル号に連帯しているボランティアたち。時間が経てば経つほど、その痛みはもっとはっきりしてくるだろう。

 遺族内部の葛藤も例外ではない。人が集まる場所では生じざるを得ないことだ。場合によっては遺族たちに傷付けられる連帯者やボランティアも出てくる。そんな人たちをかばい後ろ盾になってくれる勢力が存在して初めて、崩れずに続けて行くことができる。それが癒しだ。それで、治癒は究極的に闘争の最も強力で長持ちする動力となる。

治癒空間 「隣人」の出入り口のガラス戸には「彼らのために私たちのために、1千万の風になってください」という言葉が書かれている。カン・ジェフン先任記者 // ハンギョレ新聞社

死闘を繰り広げている先生たち

チョン・ヘシン:5月の中旬。檀園高2年の担任の先生たちに会いました。修学旅行に一緒に出かけた2年生の担任の先生12人のうち10人が亡くなった状況で、生存生徒たちを引き受ける新しい担任が必要だったのですが、それに志願した先生たちでした。亡くなった教師と親しかった方々、星になった教え子たちに対する罪悪感が人一倍強い先生たちでした。そういう思いから始めたにしても、 それは誰にしても力に余る仕事です。しかもこの先生たちは、250人の教え子と10人の同僚と教頭先生とを失ったトラウマの被害当事者たちなのですから。それで、グループカウンセリングを始めました。小さい子がいる先生たちは、帰宅後、家で自分の子を抱いてやることを無意識のうちに拒否していました。罪の意識のためです。ひどい不眠でほとんど夜を明かしていた先生が、いつからか、夜毎に海の中のセウォル号の中へ歩いて入っていく想像をするようになりました。水の中に沈んだ自分を想像すると、少し眠ることができます。それもまた罪の意識のためです。死地から生還した子どもたちの苦痛にひどく感情移入したため、傷ついた動物が仔を抱くように敏感で必死です。その過程でまたひどい傷を負います。しかし、遺族となった親たちや生存生徒の親たちの目には、檀園高の教師たちは加害者格の存在でもあります。セウォル号事件の決定的な加害者である国家が遺族たちの怒りを平然と撥ね付けている間、先生たちは遺族の怒りを吸収しなければならなかったのです。遺族たちや生存生徒の父母たちにひどく叱責されることも少なくありませんでした。

 振り返ってみれば、檀園高校2年生の担任の先生たちと初めて会って感じた危機感は、私が安山に来て最も危うさを感じた瞬間でした。この人たちが崩れれば、生存生徒たちの治癒も難しくなって、そうなれば 檀園高も崩れてしまうだろうと思いました。死にものぐるいで踏ん張っている先生たちを、何か月か、私も死にものぐるいになって支えようとしました。今日も依然として死闘中の檀園高2年担任の先生たち、罪多き先生たち、愛しています。

イ・ミョンス:ものすごく寒い晩に、安山の露天商で耳カバーを一つ買いかけて、まるで約束でもしたかのように彼女も私もハッとして手を止めた。春の遠足に出かけたまま、いまだに帰ってこない子どもの服と履物を、季節に合わせて買うと言っていた母親の言葉が思い出されてのことであることを二人はすぐに悟った。そして初めからそのつもりだったかのように、私たちは耳カバーをさらに数個買った。またある夜には、宿所の壁に安山地域の「セウォル号事故犠牲者分布現況」を貼りながら、黄色い点でぎっしりと示されている子どもたちの姿が、母親たちの目にはどう見えるだろうと思って、私たちは声を上げて泣いた。

 「隣人」で話をしていた2人の母親がちょっと出て行って、しばらくしてまた戻ってきた。子どもが勉強していた教室の窓に気泡緩衝材プチプチを貼りにいってきたという。寒くなって子供たちの机に置いた花が凍るかと思ってと。また、ある母親の夢に現れた子供がお腹が空いたと言ったという。その話を聞いて心配していた母親たちが偶然に、あの日一緒にいた子どもたちが朝食を食べたという事実を知って、お腹は空いていないから幸いだと言って久しぶりに笑ったそうだ。8か月以上も経っているのに、母親たちにとってはまだほんの8時間も経っていないのだ。 実際そう思う。そういうとき母親たちが一番しばしば口にする言葉は、「気のふれた女」だ。自分のことを気のふれた女のようだというのだ。時間感覚も他の人たちと異なり、現実を認めることもできず、自分が今何をしているのかもよく分からないのが大半なのだから、正常でないと感じるのだ。そうだ。正常じゃない。彼女たちもみんな知っている。このような状況では異常であってこそ、正常と言えるのだ。そんな人たちに向かって、早く気を引き締めなければいけないと、早く立ち直って残った子供たちの世話をしなければいけないと言うのは、治癒ではなく、愚かな助言に過ぎない。心に染み込んでいかない言葉だ。それなのに、そんな言葉が飛び交っている。 反治癒的だ。親たちが最も苦しむのは、子どもの最期の瞬間だ。どんなに冷たくてどんなに恐かったろうか。それを思うだけで、もはや眠ることも食べることもできなくなる。「隣人」には「春の遠足」というタイトルの大きな絵が一点かかっている。東洋画家キム・ソンドゥ画伯が子供たちのために描いた作品だ。私たちとは別の世界に春の遠足に出かけた子どもたちの、明るく幸せな姿が描かれている。永遠不滅を象徴する9つの岩と無数の星が夜空に浮かんでいるのを見ると、知らぬうちに微笑むようになりホッとした気持ちになる。「隣人」の治癒哲学が盛り込まれたその作品の完成に合わせるために、「隣人」のオープンが10日ほど遅れた。そうしなければならないと考えた。

イ・ミョンス

表面的には平穏に見えるが
突然吐くように泣く人たち
食材の次に多く使われたティッシュ
相談室で二日に一箱の割で交換
目に見えない治癒、ゆっくりと、長く

チョン・ヘシン

子どもの遺品を洗濯できないでいた母親
罪の意識から退勤後も自分の子を抱いてやれないでいた先生
「みんな殺してやる」と言って登校拒否していた兄
それらの痛みと、危い思いで出会いました

その“殺意”は、愛する能力の証拠なのだ

衛星地図に表示した「セウォル号事故犠牲者分布現況」が、事務室の壁に貼ってある。犠牲者の多くは檀園高校の近くに住んでいた。カン・ジェフン先任記者 // ハンギョレ新聞社

チョン・ヘシン:下の息子を失くしたお母さんがやって来ました。事故後、大学生の上の息子が学校にも行かず、資格試験の準備も放り出してしまって、食べることも寝ることもしないで「あいつら、みんな殺してやる」とばかり繰り返し繰り返し言っているというのです。心理相談を受けてみようという母親の言葉に強い拒否感を見せる長男のために、母親はどうしたらいいか分からないでいました。下の子を失った悲しみも耐え難いのに、残った息子まで壊れてしまうように思われ、お母さんはほとんどパニック状態でした。私はお母さんに言いました。上の息子さんのところに行って、必ず伝えてください。ある精神科医がこう言っていたと。それほど無念に弟を失っても、動揺もせずに今までやっていたことをうまくやれたとしたら、それは本当の兄と言えるかと。本当の兄さんだからそんなふうになるんだと。

 数日後にその子が母親と一緒に訪ねて来ました。険しい目つきをしていました。殺したい人は誰かと聞いてみました。 誰でも知っているような、この問題に関連ある3人の名前を一つ一つはっきりと言いました。それで私は心を尽くして言いました。そうしなさい。計画どおり、その人間たちを必ず殺しなさい。あんたは本当に良い兄さんだ。するとその子が突然涙を浮かべて 、自分は絶対にいい兄貴じゃないと言うのです。修学旅行の前の日も、何でもないことで弟を叱ったと。小さい頃に父さんが亡くなってから、6つ違いの弟に自分が父親の役割をしなくちゃいけないように思って、必要以上に弟に厳しくしたと。やさしくしてやれなかった兄はむせび泣くのでした。そうして、唇をかんでこう言います。「僕は絶対幸せになっちゃいけないんです」罪の意識は自己処罰につながっていました。それで資格試験の勉強も中断したのでした。

 それ以後、その子は早くに亡くなった父に対する恨めしい思いや苦労して生きてきたお母さんの話をして泣きもしました。そうするうちに目つきは和らいできて、外出も増えました。数日前には弟の写真を整理して額に入れて立てておきもしたそうです。資格試験の勉強もまた始めました。

 その子の揺れていた目つきが固定され始めたのは、自分の怒りが怪物の証拠ではなく、本当の兄である証拠だったことを認められてからでした。医学では怒りと無気力、死の衝動など、被害者たちが地獄のように経験する感情をトラウマやうつ病の症状と規定しますが、実際、命のように愛していた人を失った人の極めて正常な反応なのです。非正常的な状況では非正常的な反応が正常です。その子が感じた殺意は、その子が精神疾患を持っているのでも準犯罪者なのでもなく、愛する能力を持った人間であるという重要な証拠でした。その子のその能力が、結局自らを癒したのです。

イ・ミョンス:明け方に宿所で目を覚ますと、まだここが見慣れない。ここはどこだろうか。しばし混乱。次いで、私はここで何をしているのだろうか、私のしている事にはどんな意味があるのだろうかと考える。そんな考えは「隣人」にいる間、しょっちゅう浮かんでくる。ご飯を食べている途中でも、後援者からの物品に感激している時でも、さらには一人のお母さんと思いきり泣いている時でも、いきなり浮かんでくる。基本的に「隣人」での全てのことは、0点の仕事だ。いくらうまくやっても、子どもたちが帰ってくるわけではないからだ。死力を尽くして努力しても0点が最高点でしかない仕事をしなければならないというのは、容易なことではない。「隣人」でボランティアをしている隣人治癒者たちとも、認めることはつらいが、そのような前提の上で仕事をしようと話し合っている。隣人治癒者たちが日々最善を尽くすのは、マイナス500に落ちているかも知れない状況をマイナス150あるいは70まで引き上げているという実感を共有できるからだ。ゆっくりと、長いこと続けていれば、0点まで到達するかもしれないという切実な思いからだ。

 いくらうまくやっても0点、という仕事のために、喜んでご飯を炊き掃除をして漢方診療をして編み物を教える“隣人治癒者”たち。私は尊敬せざるを得ない。傷ついた人生の中に染み込んでいる真の治癒者たちだ。

二か月半の間に、毛糸代だけで1千万ウォン

チョン・ヘシン:「隣人」では遺族となったお母さんたちが、編み物をたくさんします。「ワラク」(訳注:双龍自動車解雇労働者やその家族のための心理治癒空間)で3年間、双龍(サンヨン)自動車解雇労働者の妻たちに編み物を教えてくれた60代の二人の姉妹が、「隣人」でも編み物の先生です。しかし、「隣人」の編み物風景は、ゆとりを持って無心に編み物をする女性たちの通常の姿とは大きく違います。まるで戦車部隊の進軍の行列のようです。壁に背を当てて足を伸ばして座り、編み物に激しく没入します。脇で見ている人まで深刻になるぐらいです。このような風景には理由があります。お母さんたちの頭には子どもたちの最期の瞬間のようなことがしきりに浮かびます。そのことを考え始めたらもう、拷問の始まりです。お母さんたちの証言によれば、その痛みとの戦いに編み物以上の武器はありません。編み物をしている間は、子どもと関連した様々な苦痛な考えがあまり浮かばないからです。特に夜になると子どもに対する思いで胸がいっぱいになり眠れないことが多いのですが、そのとき母親たちに編み物は強力な武器となります。

 夜昼なしに編み物をする母親たちが次々作り上げるマフラー、チョッキ、帽子などは、今度は自分の子どもを愛してくれた人、ありがたい人たちへのプレゼントになります。プレゼントを受け取った人たちは当然、子どもを一層深く記憶することになります。その心がまた遺族たちに慰めになるのです。

 病院でくれる鎮痛剤は効果もありますが、副作用も必ずあります。でも編み物は、過剰服用しても副作用はなく効果だけがあるという、神秘な鎮痛剤です。二か月半で毛糸代が1千万ウォンかかったけれども、これは毛糸代ではなく薬代だという気がして喜んで続けています。このような発見は本当にノーベル医学賞ものだと私は考えます。

イ・ミョンス:隣人治癒者たちに彼女と私がよく言う言葉がある。「母親にも母親が必要だという言葉がある。「隣人」では隣人治癒者たちが遺族たちの母親だ。その隣人治癒者たちの母親には、私とチョン・ヘシンがなろうという気持ちで私たちが皆さんの後にいるという事実を知っておいて下さい」。すると必ず返ってくる質問がある。じゃ、お二人のお母さんは誰がなってくれるんですか? ご想像にお任せする。

チョン・ヘシン精神科専門医・隣人治癒者、イ・ミョンス心理企画者・治癒空間「隣人」代表

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/670935.html 韓国語原文入力:2014/12/28 10:17
訳A.K(10826字)

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