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[コラム] 悲しみを止めない権利

登録:2014-12-05 23:47 修正:2014-12-06 05:10

体重が40キロにはなるだろうか。痩せ細った小柄の女性だった。放射線治療のせいで抜け落ちた髪がまばらに生えはじめていた。癌と格闘していた母の人生に、突然、娘の死が先に訪れた。乾いた涙を飲み込みながら、セウォル号惨事とあっけなく見失ってしまった娘のことを話す母の時計は、その日の直後で止まっているようだった。その残酷な春が過ぎ、夏と秋が過ぎ、初冬の風が冷たく吹き荒れる11月終りのことだった。その日は、政府のセウォル号事故対策本部が解体された日でもあった。セウォル号はもう終わったという空気が社会全体に漂っていた。それでも母は娘のいない世界がまだ夢のように感じられる。娘チェウォンが使っていた部屋は、父に買ってもらった大きなクマのぬいぐるみと共に、まるで今すぐにでも彼女が帰って来るかのようにそのまま残されていた。遺影に使われたと思われる大きな額縁の写真だけが彼女の不在を知らせていた。その日以来、母の世界は恐ろしいほどの悲しみと世の中に対する恐怖で埋め尽くされた。母は娘の死亡届をまだ出せずにいる。

まだ死亡届を出せない母

 セウォル号遺族の口述を記録する作家団に合流し、彼らが経験した苦痛をありのまま聴いて一緒に憶えることがいかに重要であるかを痛感させられた。彼らの苦痛は、救うこともできず溺れ死んでいく様子をただ見守らなければならないことだけではなかった。ある人にとってはコンテナに設置された安置室の床にカバーも掛けてもらえず横たわっていた子供の遺体が痛恨となり、ある人は、遺体を取り替えられまたもや子供を見失ったかもしれない、ぞっとする状況に胸を詰まらせた。ある人は、状況を知らせることも、しっかりした説明を行うこともしない、災害対策当局の対応に胸が張り裂けそうになり、ある人は、遺体を見つけてからもどういたらいいのかわからず、あたふた過ごした時間がひどく孤独だった。ある人は「子供の命の値段」という皮肉に、賠償に対する当然の要求も、国には一銭も納めたくないほどの怒りも、慌てて隠さなくてはならなかった。ある人は、今でも残された子供達に何かあるのではないかという、恐怖の中をさまよう。ある人にとっては、もう止めた方がいいというアドバイスも、好奇心に満ちた視線すらも、ナイフとなり胸に突き刺さる。国民の血税を掲げて引き揚げコストの問題を持ち出す政治家達を前に、遺族になりたいと願う行方不明者家族の苦痛は居場所を失ってしまう。セウォル号惨事は、セウォル号にそっくりなこの国がもたらした残酷な結果だったが、この国はやっと陸に揚がってきた遺体にも厳しく、(その前で)ふらつく家族にさえ冷淡だった。

 この止まらない悲しみに、我々はどう応えたらいいのか。遺族の苦痛はただ彼らだけのものだろうか。フランス語で厄祓いを意味する「コンジュラシオン」(conjuration)には、「一緒に(con-)誓う/謀議する(-juration)」という意味が込められているという。厄祓いあるいは社会的哀悼はただ嘆くことではなく、生き残った者と死んだ者、生き残ったもの同士が一緒に集まって死をもたらした社会と根本的な断絶を謀議する行為だ。セウォル号惨事が社会の構造的弊害が凝縮された結果であると繰り返して言うだけでは十分ではない。惨事を生み出した国が生命と安全を保障してくれることを待っているわけにもいかない。惨事がもたらされる過程で忘れられてしまった権利や再び傷つけられた権利を、決して侵されることのない堅固な基準として確立する社会的過程が伴わなければならない。リスクを知って管理する権利、遺体の尊厳を損わずに引き渡される権利、何よりも悲しみを止めない権利など、苦痛の中で汲み上げた権利を具体化する作業が市民の謀議を待っている。

約束であり、権利の再確認

 ちょうど12月10日の世界人権宣言記念日に「尊厳と安全に関する人権宣言」運動が、来年4月16日の採択を目指して発足する。宣言運動は「忘れない」という約束の再確認であり、遺族だけでなく、私達皆の権利を確認する過程でもある。

ペ・ギョンネ 人権教育センター「トゥル」常任活動家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2014/12/05 21:44

http://h21.hani.co.kr/arti/society/society_general/38458.html 訳H.J(1743字)

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