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[徐京植の日本通信] 済州島‐想像の共同体

登録:2013-01-17 21:52 修正:2013-01-18 09:46
徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大教授

 済州島に行って来た。私と哲学者・高橋哲哉教授、歴史学者・韓洪九(ハン・ホング)教授の3者は、昨年11月の福島を始発点として、3月は陜川(ハプチョン)とソウル、5月は東京と連続して会合と対話を重ねてきた。この連続対話はいずれ韓日両国で出版される予定である。

 到着してすぐに江汀(カンジョン)に向かった。現地の活動家に案内してもらって、海側の埠頭から基地建設現場を眺めることができた。台風の接近で荒れ模様の空には暗い雲が垂れ込めていた。日が暮れ始め、工事現場を煌煌と照らす明かりが雲に不吉な影を映していた。黙示録のような光景だった。活動家の話を聞くと、当局の弾圧のため多くの人々が拘束され、肉体的に傷ついているという。そう語る彼の顔は日に焼けてたくましいが、長い闘争の疲れが滲んでいた。

 10年以上前、沖縄で知り合ったあるキリスト教牧師を、私は思い出した。彼は普天間基地のすぐそばに住み、文字どおり生涯をかけて基地反対闘争を続けていた。彼の両手は松の木の根のように節くれだち、親指は平たく潰れている。日本ではキリスト教徒はマイノリティーであり、一般的に牧師の収入は乏しく生活は苦しい。だから彼は生活のため、妻と二人で小さな印刷所を営んでいた。紙をしごき、折りたたむ日々の労働のため、その手や指まで変形したのだ。先日、テレビのニュース映像で偶然、基地反対の座り込みをする人々の中に、その彼の姿を見つけた。10年という歳月の分だけ老いていたが、彼はまだ闘争を続けていたのだ。江汀と沖縄で会った人々、国家暴力の最前線で抵抗するこの人々のおかげで、私たちの良心は眠り込むことから辛うじて救われているのだ。

 翌日、キム・チャンフ4・3研究所所長の案内で、私たちは4・3平和公園を訪れた。印象的だったのは行方不明者の墓地である。4・3事件が進行中の済州でアカの容疑で拘束されて陸地の監獄に送られ、6・15戦争が勃発すると各地の監獄で十羽ひとからげに虐殺された人々の墓。遺体も遺品もなく、ただ名簿だけが残った約4,000名の墓である。

 何ということだろうか…。済州島民に加えられた政治暴力の無慈悲さと、朝鮮民族に強いられた分断の運命をこれほど象徴的に表しているモニュメントがあるだろうか。キム・チャンフ所長の話では、ある遺族のハルモニ(祖母)が姿を消したので家族が心配していたところ、数時間後にタクシーで帰ってきたハルモニは、この墓地で行方不明の夫の墓碑の前に坐り、死者と対話を交わしていたと言ったそうだ。

 私たちが訪ねた時刻にも、何組かの家族が墓参りする姿が見られた。そのうちの一人に挨拶すると、父親の墓参りだと答えた。私は6・25戦争が進行中だった1951年、日本で生まれた。 私と同年配のこの男性は、その時、アカの息子としてこの暗鬱な島に生まれた。父のいない家庭でどれほど苦労をして育ったことだろうか。詳しく話を聞いてみたかったが、残念ながらそれはできなかった。

 今回の済州島行は私たち忙しい3者が日程を調整して、なんと3泊4日の日程を組んだのだ。ところが台風サンバに襲われた。飛行機が欠航して島に閉じ込められることを恐れた私たちは、予定を1日早めてソウルに戻ることにした。少しでも早い便に乗るため空港に駆けつけると、そこはウェイティングの人々でごったがえしていた。「難民」という言葉が浮かんだが、もちろん、4・3事件の難民と比べることはできない。軍警の焦土作戦に追い立てられた彼らは、米軍艦船に厳重に包囲された島から命がけの脱出を試みた。多くの者が海に呑まれて命を落としただろう。辛うじて日本に漂着した者たちは密入国者として検束され、韓国に強制送還された。当時、法的には日本国籍保有者であった朝鮮人を「外国人とみなして」検束することを可能にしたのは、昭和天皇の最後の勅令である出入国管理令だ。それは1947年5月1日、つまり4・3事件勃発直後に発令されている。日本国は4・3という政治暴力の直接的な加担者だったのだ。

 4・3平和公園の行方不明者の墓地は遺体のない空虚な墓である。だが、そこにはベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」と指摘した「鬼気迫る国民的想像力」が満ちている。こうした慰霊と追悼を通じて国家は人々を国民へと統合しようとするのだ。だが、高橋教授が大切なことを指摘した。日本の靖国神社とは異なり、この自己分裂的な慰霊の場所は、ひょっとすると現在の国家を超える次の共同体、まさしく次に来るべき「想像の共同体」へのかすかな希望を示唆しているかもしれない、と。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/552452.html 韓国語原文入力:2012/09/19 19:43
(1997字)

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