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[朝の陽射し] 植民地近代化論と歴史クーデター/コ・ミョンソプ

登録:2014-07-17 20:52 修正:2014-07-18 00:19
コ・ミョンソプ論説委員

 学術言語はたいてい政治的含意を土台にしている。 数年に亘り韓国社会の論争の中心に立っている植民地近代化論も同じだ。 この経済学談論は、20世紀韓国経済史を中立的な言語で記述しているように見える。 しかし、この談論が単純に経済学的意味だけを抱いているならば、既得権勢力がその内容を幼い生徒たちの頭の中にこれほどまでに注入しようと努めはしないだろう。 植民地近代化論は経済学言語の仮面をかぶった政治言語だ。 韓国の既得権勢力が自分たちの根源を正当化するために使う談論ツールが植民地近代化論だ。

 植民地近代化論の理論的権威は経済学者アン・ビョンジク ソウル大名誉教授だ。 アン・ビョンジク教授は1980年代中盤まで植民地半封建社会論を主張した学者だ。 日帝強制占領期間以来の韓国社会の性格を植民地半封建社会と理解したわけだが、以後に植民地近代化論者に転向した。 植民地半封建社会論は、日帝の支配と収奪のために資本主義の発展が遅滞して、半封建的すなわち前近代的経済体制が温存されたという主張だ。 この植民地半封建社会論を正反対にひっくり返して、日帝強制占領期間に資本主義が発展したというのが植民地近代化論の核心だ。 植民地半封建社会論が理論として貧しく狭いように、そのアンチテーゼである植民地近代化論も同じ盲点を抱いている。 資本主義化イコール近代化と見ているわけだが、そのような主張を学説として出すこと自体は学問の自由があるので止めることはできない。

 問題は植民地近代化論が日帝強制占領期間に資本主義経済が発展したという単純な主張を越えて、植民地を体験しなかったなら資本主義的発展はできなかったという主張に進むところにある。 20世紀始めの韓国社会を石器時代同様に見ない限りは理解できない事実歪曲だ。 このような歪曲を経て、日帝が植民支配をしたおかげで韓国が近代化に成功したという奇怪な主張が登場する。 この主張をさらに押し進めれば、親日派こそが植民地近代化に尽くした人々になる。 日帝の下僕の役割をしながら民族の血を吸った附逆勢力が、現代史発展の礎を築いた誇らしい働き手に変貌するわけだ。 汚物が黄金になる、驚くべき歴史の錬金術だ。 問題はここに止まらない。 植民地近代化論の論理を最後まで押し進めれば、抗日独立闘士は日帝の近代化努力を邪魔した時代錯誤的妨害屋になってしまう。 日帝に抵抗した人々が、一瞬で歴史の障害物、民族の敵にひっくり返るわけだ。 このようにして歴史に対する挑発が頂点に達する。 私たちはこの数年間、ニューライトとか正統保守とか言う知識人と政治屋が企むこの呆れ返る歴史反乱を数えきれない程に見た。

 この歴史クーデターが最後に狙うのは、親日派の胎盤で育ってきた解放後の独裁勢力、換言すれば李承晩・朴正熙とその亜流に、近代化の主役という歴史の月桂冠(勝利の冠)をかぶせることだ。 独裁勢力を擁護するこの論理の卑劣さは、人間らしい世の中を作るために独裁の暴圧に真っ向から戦った民主化勢力を、近代化妨害集団に追い立てる時に倍加される。 植民地近代化論をまき散らす人々の最終目標がまさにこれだ。 日帝と独裁に附逆して既得権を積み上げた連中を歴史的に正当化し、抗日・反独裁勢力を幻影と戦った者として烙印し除去することが植民地近代化論の政治的任務だ。 日帝のおかげで近代化の土台を作り、独裁のおかげで産業化に成功したので、親日が正しかったのであり独裁が間違っていなかったと言うことだ。 学問にも破廉恥があるとするならば、植民地近代化論がまさにそれだ。 学術言語にかこつけたこの政治言語が後押ししてくれるから、親日・独裁の後えいどもがそのように好き放題に歴史の主人公であるかのように振舞えるのだ。 この破廉恥を取り除いてこそ国が正しく立てる。

コ・ミョンソプ論説委員 michael@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/647374.html 韓国語原文入力:2014/07/17 18:24
訳J.S(1737字)

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