▲ 北は南北経済協力をどう見て、どう展望しているだろうか?
南北経済協力が南と北の双方にプラスになる場合にのみ成立するという点を考慮する時、南北経済協力に対する北の考えを正しく理解することは非常に重要なことだ。しかし、我々が接するすべての資料は“南の視覚”という濾紙で一度こされたものだ。その濾紙は我々に、しばしば北の行動を“陰謀”や“何かの魂胆”と感じさせる。
その濾紙を通していない北の考えはどのようなものか。北と綿密な関係を持っている日本東京の朝鮮大学校パク・チェフン准教授と在日本朝鮮人総連合会(総連)機関紙『朝鮮新報』のキム・ジヨン副局長を通して、北の見方をのぞいてみよう。パク教授は朝鮮大学校朝鮮問題研究センターの現代朝鮮研究室長で、2000年以降、金日成(キム・イルソン)総合大学経済学部などと定期的な研究交流を進めてきている。また、キム副局長は1992年から平壌の短期特派員として活動してきており、現在『朝鮮新報』平壌支局長を兼ねている。
地方クラスの経済開発区13カ所指定
政府主導から抜け出した地方発展推進
観光産業特区の創設も可能となる
北、今までにない破格措置で
経済活性化の足場作りを図る
「南北、ゼロサムでなくウィン・ウィン関係にならねば」
「この世で最良の我が人民、試練を乗り越え、党に忠実に仕えてきた我が人民が、二度と再び切り詰めた生活をすることのないようにし、社会主義の富貴栄華を思う存分享受できるようにするというのが我が党の断固たる決意であります。」
これは金正恩(キム・ジョンウン)第1秘書が2012年4月就任後、北の人民たちと交わした初めての約束として、今後、北の国家建設の中心がどこにあるかをよく示すものだった。
北の経済学者たちは1995年以降の北の経済を、2012年までとその後という二段階に区分して見ている。つまり2012年までの「強盛大国の門を開く段階」と、2013年からの「強盛大国を全面的に建設する段階」だ。再解釈するならば、2012年まではマイナスから元の水準に回復させてきた段階で、2013年からはプラスに進む跳躍の段階と解釈できるだろう。
北は自らの力で今日の現実を作り上げた自信を基に、新しい経済跳躍の道に入ろうとしている。金正恩時代に入ってから北が取った経済政策はその変化が著しかった。経済発展のための北の当面の主要目標は、対内的には経済の管理運営方式の改善と地方経済の活性化であり、対外的には外資の積極的利用を中心とする多角的な対外経済関係の構築である。
これを実現するための北の政策の中で注目されることの一つが、昨年11月21日に公布された“経済開発区”の創設である。新しい経済開発区は既存の“特区”とは完全に区別される特徴を持つ。
第一に、経済開発区の創設が国内経済の発展と直接連結されているということだ。「経済開発区法」はその第1条で、自らの使命を「国の経済を発展させて人民の生活を高めることに貢献する」と明らかにした。このような文句は他の「特区法」には見られない。これは地方経済の活性化という対内課題と投資の誘致という対外課題を別個に推進する従来の立場から大きく踏み出し、これらを結合させることにより、シナジー効果を創出して成果を最大化しようとしているという点で画期的なものだ。
第二に、従来の国家主導の中央クラスの経済開発区とは区別される地方クラスの経済開発区が設定され、地方行政部がその策定と開発、管理の責任を負う体系が作られたことだ。昨年11月に公表された13ヵ所の地方クラスの経済開発区は、地方の持つ人的物的資源に基づいて地方経済の土台を強化し、地方の潜在力を最大限に発揮させることを目的として設定された。地方行政部に外資誘致のための事業権限と共にその計画と開発、管理に至るまでの全ての権限を委譲したことは、これまでにない大胆で破格的な処置だ。
第三に、観光産業のための特区の創設が可能になったということだ。経済開発区は特定産業に特化して外資誘致ができるというのが特徴だ。南北間の特殊な事情を考慮した「金剛山観光特区」を除いて観光業のみを目的とした特区の創設はできないようにしていた従来の枠をこえて、地方経済と直接つながる地方クラスの開発区でもこれを奨励するようになったのは、実利を追求した結果と言える。これはまた、政治的安定をもとにした自信の表れとも言えるだろう。実際に、今回発表された13ヵ所のうち、観光産業に特化した対象は新坪(黄海北道)、満浦(慈江道)、穏城(咸鏡北道)の3ヵ所で、その他2ヵ所(平安北道、両江道)を含めると5つの道と地域がこれに積極的に乗り出していて、今後の展開が期待されている。
北は「強盛大国の全面的な建設」のために、これまでの枠を大きく外れる大胆な思考転換に基づいて大きく変わっており、このような変化はこれからも一層可視化されることが予想される。
北のこのような変化を所謂“改革・開放”と結び付ける見方について、筆者は懐疑的だ。国家経済が半分になってしまったようなあの困難な時期にも“社会主義”“自力更生”という原則を捨てなかった北が、今になってその原則を捨てるだろうと考えるのは、よく分かっていない人たちの“希望的観測”に過ぎない。北が見せている大きな変化は「変わらないための変化」、「原則を守るための変化」と見るべきだ。植民地解放の空の下で全民族の夢と理想は自主独立国家の建設だったのであり、そこに北と南の別はなかった。北はそれを実現する道として社会主義と自力更生を選んだだけだ。第1秘書は先代らが歩んできた道に沿って、彼らが果たせなかった強盛大国を建設するという'約束'を実現するために、思い切った変化を試みているのだ。
長い年月を互いに違う道を歩んできた北と南の経済は、ゼロサムではなくウィン・ウィンの関係にある。解放直後、皆が夢見た自主独立国家が統一国家だったように、北が展望する強盛大国も“統一強盛大国”だ。北東アジア地域で空白地帯として残っている北の経済の跳躍に南の経済が果敢に力を合わせることで、民族経済共同体を構築し、70年間果たせずにいる統一された自主独立国家建設の夢を現実のものとして作っていく絶好の機会が、今訪れている。
経済開発区は何?
昨年11月21日、北が外資誘致と経済開発を目的として発表した13の特別区域。既存の特別区は中央政府が管掌していたのに対し、開発区は地方政府が管掌する。「経済開発区法」はそれより6ヶ月前の昨年5月に制定された。これと関連して専門家たちは、北が外資誘致などのために法律の準備などをより緻密にした上で、実行案を提示しているものと評価している。