私を含むほとんどの韓国人にとって、2000年代中後半のある時期まで、世界とはすなわち米国であったし、「グローバルスタンダード」とは疑いの余地なく「アメリカンスタンダード」を意味するものだった。「反米」の荒々しい叫びの中にあっても、米国は屈することなく今の地位を守ってくれるだろうという、漠然とした「甘ったれた」感情が染みついていた。
だが、第2期ドナルド・トランプ政権が登場してわずか100日あまりで、米国に対して私たちが抱いてきた「伝統的信頼」が急激に解体されていっているのを感じる。いや、より正確に言えば、9・11(2001)以降の20年あまりにわたって米国内で静かに進行してきていた「激しい変化」に、韓国を含む全世界が無関心すぎたのかもしれない。ニューヨーク・タイムズなどの米国の主流メディアによって生産される洗練された情報が毎日洪水のようにあふれているが、高卒学歴くらいの私と同年代の「平凡な米国人」が実際にどんなことに悩みながら日々を生きているのかを、真剣に考えたことはほとんどなかった。
それでも、思いっきり記憶を絞り出したら、KATUSA(在韓米陸軍に配属される韓国の軍人)時代の「戦友」だったワイオミング州出身のラディス二等兵(ファーストネームは忘れた)の名を思い出した。当時20歳になったばかりだった彼は、高校を卒業後、生活費のために入隊を選択していた。すでに1度の離婚歴があったため、毎月前妻に子どもの養育費を送っていた。「軍への服務後は大学に行きたい。KATUSAたちは大学生だからうらやましい」との言葉がかすかに記憶に残っている。
すでに20年あまり前に袖すり合った米国人との思い出をたどることになったのは、先月3日に日本の朝日新聞11面に載っていた「アメリカン・コンパス」設立者のオレン・キャス氏のインタビューを読んで受けた衝撃がかなり強かったからだった。同紙は彼のことを「トランプ政権ブレーンの一人」であり「米保守派論客」と説明していた。「私たちの世代以降は、冷戦もレーガン(元大統領)も歴史の本でしか知りません。この世代が大きな問題として直面してきたのは、冷戦ではなく中国のWTO加盟、イラクとアフガニスタンでの戦争、経済の金融化と金融危機、ビッグテック企業の台頭、薬物中毒、絶望死などです」
1983年生まれのキャス氏が代弁する米国の「MZ世代」にとって、冷戦を勝利に導いた「レーガンの米国」はすでに遠い過去の話に過ぎなかった。彼は「2001年の中国のWTO加盟で、米国の産業基盤は(中国の輸出増などにより)加速度的に弱体化し、限界に達して」おり、それに伴って米国社会も弱体化したと語った。2000年代以降、米国は若者を無意味な海外の戦場へと送り出しただけだった。その間に韓国などの「同盟国」はもちろん、中国などの「敵国」にも自動車、半導体、造船などの主要産業がすべて奪われてしまった。代わりに米国が手にしたのは「失業」と「絶望」だけだったと、キャスは繰り返し真剣に語った。
彼の主張の一部は数値で確認できる。米国の低学歴男性が困窮するに従い、社会全体の自殺率が上昇(2000年10万人当たり10.4人→2022年14.2人)するとともに、男性の平均寿命(2014年76.5歳→2021年73.5歳)は大きく縮んだ。国内総生産(GDP)の成長率を見ただけでは分からないこのような「社会の崩壊」を防ぐためにトランプとキャスが見出した解決法は、「米国の製造業をよみがえらせること」であったし、そのために選んだ政策手段こそ、全世界を滅茶苦茶にした「高率関税」だったわけだ。
キャス氏はさらに、トランプの登場は米国社会の「恒久的な変化」を意味するものであるため、自分たちが覇権国として犠牲を甘んじて受け入れてきた「かつての秩序がもはや維持できないことを国際社会は納得しなければならない」と述べた。経済が成長しているのに低所得層が困窮していっているとしたら、社会の「分配構造」に大きな問題があることは明らかだが、米国にはこれらすべての不幸の原因を「他人」に見出そうという一種の「社会的合意」があるようにみえる。
この病理的な動きが本当に米国社会の「恒久的な変化」を反映しているのだとしたら、彼らのリーダーシップを頼って今の繁栄を成し遂げた大韓民国の生存モデルも寿命が尽きたとみなければならない。関税を何ポイント引き下げるか、米国にまたいくら投資するかについての技術的議論にとどまらず、主権者である私たち自身が将来の生存について根本的に考えはじめなければならない。最高裁長官チョ・ヒデが私たちのために何かもっともらしい対策を作ってくれるわけがないではないか。
キル・ユンヒョン|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )