「民族も一つ、血も一つ、集まれば一つ…二つを合わせたら、もっと大きな一つ」
6・15共同宣言採択後に北で創作された歌<私たちは一つ>の歌詞だ。北の人々の統一観をよく示している。彼らにとって、統一は算数ではない。一般的な量的概念は適用されない。南北経済共同体に対する観点も同じだ。引いたり足したりする計算に偏らないのだ。
相手の要求をちゃんと把握しなければ、ビジネスパートナーになることはできない。いわゆる“北の急変事態”を前提とした吸収統一論は、南の経済が北に拡張された結果の損益を示すだけだ。「もっと大きな一つ」の観点にそぐわない。
経済共同体形成のための現実的なアプローチは、すでに作られている合意に基づくことだ。南北首脳が切った小切手、6・15共同宣言と10・4宣言は、“民族経済”の概念を提示している。そこでは社会主義経済か資本主義経済かの二者択一を排除している。北と南で互いに異なった思想と理念、制度が存在するが、その差異を越えて、まず一つの民族として大団結を図っていくというのが統一の原則だ。1972年に採択された7・4共同声明の柱の一つだ。
歴史と現実が示しているように、北の人々は首脳合意から外れたり統一原則に反することに反対し、相手を否定したり自分のものを強要してはならないということを肝に銘じている。南の人々が念頭に置くべき部分だ。
6・15共同宣言第4項は、経済協力を通じた「民族経済の均衡的発展」を目標に決めている。10・4宣言の第5項は、その実現に向けて「経済協力事業を、共利共栄と有無相通ずるの原則で積極的に活性化し、持続的に拡大・発展」させていくとしている。
北の人々も民族に基づく経済共同体の完全な表象を持っているとは言えない。統一は“北の人民”と“南の国民”が一緒に作っていく、前人未踏の道を行くことになるわけだ。ドイツの場合を含めて、何かしら既存の慣例にこだわれば成功できない。
“民族経済の均衡的発展”は、北と南が相互に補完しながらも、南北の違いが相乗効果を上げるものにならなければならないのだ。
北の社会主義経済と南の資本主義経済を“失敗”と“成功”の概念で対峙させ、経済協力の推移を“北の市場経済化”に帰着させるのは、偏見と固定観念に基づいた一方的な観点である。北の人々は、他国に依存することなく自分の力を信じて自分の足で歩んできた。深刻な対北封じ込めの中で鍛えられた“自立的民族経済”、先進国に隷属しない最先端突破の実績に対する誇りと自負は大きい。国産ロケットによる人工衛星打ち上げは、その潜在力を証明して見せるための計画だった。
国内総生産(GDP)と所得だけが経済力を示す基準ではない。例えば、北は世界に類例のない集団主義方式で経済を起こしてきており、経済現場には数値化されない莫大な価値がある。
一方、北にないものが南にあり、南にないものが北にある。だから、協力方式においても古い対決観念から脱しなければならない。北のロケットで南の衛星を打ち上げるくらいの発想の転換が必要だ。一つの要素から成る物体より、多様な要素を持った物体の方が丈夫で強い。これが「二つを合わせたら、もっと大きな一つ」の思想であり、民族が共有すべき知恵だ。