イラン現地時間で22日午前2時10分から25分間にわたりなされた米国の「真夜中の鉄槌」(midnight hammer)作戦が遂行されたというニュースを聞いてから、恐怖に襲われた。しばらく忘れていた朝鮮半島の悪夢が蘇ったからだ。
米国は1994年と2017年の少なくとも2度にわたり、北朝鮮の核施設への打撃を真剣に検討した。1994年の状況を証言したのは、ウィリアム・ペリー当時国防長官だった。ペリー元長官は2017年10月に放送されたNHKのインタビューで、「北朝鮮の核開発の危険性を明確に認識したのは、就任2カ月後の1994年4月だった。北朝鮮が核を持てば破滅が訪れると考えた」と述べた。米国は、作戦遂行のために日本に基地を使わせてほしいと要請した。戦争が始まれば日本もやはり北朝鮮攻撃にさらされる危険性があり、「ノー」と言う機会を与えるためだった。ところが、細川護煕内閣が出した答えは意外にも「イエス」だった。
それでも攻撃が実行されなかったのは、予想される「甚大な被害」のためだった。朝鮮半島専門記者だったドン・オーバードーファーの(1931~2015)の『二つのコリア:国際政治の中の朝鮮半島』によると、米国防総省が模擬実験を行ったところ、戦争が勃発すれば3カ月以内に在韓米軍5万2千人、韓国軍49万人、おびただしい北朝鮮軍と民間人の死傷者が出るという結果が出た。結局、ジミー・カーター元大統領が同年6月に北朝鮮を訪問し、金日成(キム・イルソン)主席と会談し、朝鮮半島は戦争の危機から抜け出した。
2度目の危機当時の国防長官は「狂犬」の異名を持つジェームズ・マティス氏だった。米国のベテラン・ジャーナリストのボブ・ウッドワード氏は著書『RAGE 怒り』で、北朝鮮の挑発によって「数百万人を殺すかもしれない戦争の可能性にますます不安を感じた」マティス氏が、ワシントン国立大聖堂で祈る場面を描いている。ハーバート・マクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)は2017年8月5日、初めて北朝鮮に対する「予防戦争」(preventive war)に言及し、ドナルド・トランプ大統領も北朝鮮は「炎と怒りに直面することになるだろう」と警告した。この構想は北朝鮮の核施設を限定的に打撃するという「鼻血作戦」」(bloody-nose attack)に縮小され、2018年初めまで続いた。
この状況を終わらせたのは「誰も大韓民国の同意なしに軍事行動を決めることはできない」(文在寅大統領の光復節記念演説)という韓国の一貫したメッセージだった。イランにはなく、北朝鮮にはあったもの、それは平和を念願した同胞たちの存在だ。金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長はこれに気づいているだろうか。