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[クォン・テソン コラム] 沖縄から見た韓半島

登録:2013-02-06 20:58 修正:2013-02-08 04:35
クォン・テソン編集人

 沖縄普天間米軍基地の境界に美術館が一つある。 米軍基地への土地提供を拒否した‘反戦地主’佐喜眞道夫氏が作った佐喜真美術館だ。 ここの主展示物は太平洋戦争末期沖縄戦の惨状を描いた連作絵画だ。 日本人夫婦画家が共同作業したこの連作はピカソの<ゲルニカ>に肩を並べるほど戦争の惨状を生々しく告発する。 この連作の中の一つには日本軍に殺害された朝鮮人の実話も含まれている。 徴用で連れてこられ沖縄女性と家庭を作り暮らしたこの男性を、日本軍が米軍のスパイだとして家族の目の前で殺害する場面だ。 銃剣を刺した日本軍と死骸になった朝鮮人、その上で泣き叫ぶ幼い息子、失神した妻、その光景をとても見られずに目を覆った家族たち…。 先月末の沖縄訪問で初めて接した作品中の場面が国家とは何かという疑問と共に脳裏から離れない。

 学界は徴用や軍隊慰安婦として引きずられて行き当時沖縄でこのように悲劇的最期をむかえた朝鮮(韓国)人が1万人を越えると推定している。 だが、沖縄平和祈念公園の中に立てられた沖縄戦犠牲者慰霊碑には300人余りだけの名前が上がっている。 遺骨発掘がまだ済んでいないことが大きいが、遺骨が確認されても家族が名前を残すことを恥辱として記録を拒否したケースも相当あったという。

 私たちの先祖のこういう悲しい歴史がはらんでいる沖縄と韓半島の現代史はかなり類似している。 日本に強制占領されて太平洋戦争に動員され犠牲となり、戦争が終わった後にも日本の代わりに依然として犠牲となっているという点ゆえだ。

 沖縄は明治時代に日本に強制併合された。 太平洋戦争時は日本で唯一大規模地上戦を体験し、日本軍が本土防衛のための時間を稼ぐために住民たちにまで玉砕を強要するなかで民間人数十万人が命を失った。 終戦後には日本本土に代わって1972年まで米軍政の支配を受け、日本に返還された後には本土の米軍基地まで抱え込んで駐日米軍基地全体の74%が日本の国土面積の0.6%である沖縄の地に配置された。 新崎盛暉 沖縄大名誉教授は米-日関係の矛盾を沖縄に押し付けるこのような方式を、沖縄に対する日本の‘構造的差別’と名付けた。 私たちも日帝強制支配と太平洋戦争に動員される犠牲を払った。 2次大戦の終戦後、ドイツが分断という代価を払ったこととは異なり、アジアでは分断は敗戦国日本の代わりに被害者であった私たちの持分になった。 以後、分断は60年を超えて民族の営みの根底を揺さぶる根本的な不安要素に位置した。

 沖縄に対する構造的差別や韓半島の分断は、日本を下位同盟者として中国を牽制しようとする米国の東アジア戦略と密接に連結されていて、非常な努力なしには克服が困難だ。 今年に入って沖縄は非常な努力を本格化した。 先月末、沖縄県内すべての自治団体が一致団結して普天間基地の県外移転と新型垂直離着陸機オスプレイの配置撤回を要求することによって、これ以上構造的差別を容認しない意志を明らかにしたのだ。

 反面、韓半島はどうか? 北韓は住民の暮らしがどうなろうと体制の維持が急務だとしロケットを打ち上げ核実験で脅している。 南側は米国と日本を背に負って北を孤立させることに余念がない。 これを機に日本右派政府は軍備増強に熱を上げ、中国は対北韓制裁決議案に賛成する代価として尖閣(釣魚島)葛藤に対する米国の中立約束を勝ち取ったという話も聞こえてくる。 南北対決で各自が都合の良いことばかりをさせている格好だ。

 新しく始まる朴槿恵(パク・クネ)政府は、このような悪循環を断ち切って、南北問題に対する私たちの主導力量を高めていかなければならない。 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー ドイツ元大統領は回顧録<私たちはこのように統一した>で、冷戦時代列強は東西ドイツ分断を解決する課題ではなく、受け入れなければならない現実と感じたが、ドイツ人が "共同体的認識のひもを放すさなかった" ために統一を成し遂げることができたと語った。 南と北も共同体的認識のひもを放さずにいてこそ列強の利害関係を突き破り一つになる道を開ける。 崖っぷちに追い詰められた北韓に先に手を差しのべ朴当選人が追求する信頼プロセスを稼動すること、それがその開始点だ。

クォン・テソン編集人 kwonts@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/573041.html 韓国語原文入力:2013/02/06 19:48
訳J.S(1903字)

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