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[クォン・テソン コラム]鳩山の東アジア共同体論

原文入力:2009-09-01午後09:33:51

クォン・テソン記者

←クォン・テソン論説委員

日本民主党政権の登場で東アジア地域で10年以上多様な水準で進行されてきた東アジア共同体論議が一層活発になりそうだ。民主党が東アジア共同体推進を政策目標として提示したためだ。

国家次元での東アジア共同体に対する議論は1997年にアセアン+3体制がスタートし本格化し、2001年には首脳会議で‘平和・繁栄・発展’を追求する‘東アジア共同体’(East Asia Community;EAC)ビジョンが採択され急流に乗った。しかし以後、参加国の範囲などを巡り中国と日本の間の異見が表面化し大きな進展を見られずにいる。

東アジア共同体に対する日本の既存立場は貿易や投資,金融をはじめとしてエネルギー,環境保存および対テロ対策のような分野での機能的協力を軸に機能共同体を指向し、自由市場を中心価値とする価値共同体に進もうというものだった。このために共通の価値を共有するインド,オーストラリア,ニュージーランドを含めようと主張している。中国は当然これを中国の影響力を牽制し、米国の正式加盟通路を開いてあげるための措置と疑ってきた。

こういう既存政策と民主党が追求する東アジア共同体がどれほど違うかは正確には分からない。具体的な内容がまだ明らかに提示されていないためだ。ただし次期総理となる鳩山由紀夫党代表の‘私の政治哲学’や‘日本の新しい道’という文をよく読むと少なくない差異点を発見することができる。

まず鳩山の共同体論は、覇権を維持しようとする米国と覇権国家になろうと考える中国の間で日本はもちろんアジアの他の中小規模国家らも政治的・経済的自立を維持するための悩みを共有しているという前提から出発する。この地域で米国と中国両国の覇権的行為を抑制し経済活動の秩序を樹立しようと考える多くの国の思いが地域統合を加速させる要因になり得るということだ。米国を牽制する装置として共同体を考えるという点で既存の自民党式接近とはだいぶ距離がある発想に違いない。

もう一つ眼に触れる点は、東アジア共同体論の基盤理念として自身の政治哲学である友愛を前面に出している点だ。彼が言う友愛はフランス革命のスローガン中の一つである博愛のような意味で、自由と平等が原理主義に陥り人間の尊厳性を侵害できないようにバランスを取る役割をするものと理解される。こういう友愛に基づく場合にのみ国家内部ではもちろん国境を越えた範囲でも共生社会を作っていくことができるというのが彼の持論だ。

共生社会とは社会経済的格差を減らすために努力する社会だ。社会経済的不平等が避けられなくても、構成員が苦痛を分担し社会的競争過程で遅れをとって落伍した人を排除せず助けて一緒に暮らしていく社会だ。東アジア共同体単位で共生社会を作ろうとするなら、国家内部の格差克服と共に国家間の格差克服努力が必須であり、その過程で特定集団を排除してはいけない。

そのような点で鳩山が東アジア共同体を語りながら北韓に関して全く言及せずにいる点は問題だ。日本の著名な政治学者の坂本義和東京大名誉教授は、東アジア共同体に北韓の参加を先送りすることは現実的に北韓を包囲する体制を構築する機能と目的を持つと見なされ、共同体構成の重要な目標の一つである集団安保を達成しにくくさせかねないと警告している。鳩山が真の共生社会として東アジア共同体建設を望むならば、その過程が北韓問題を解決する過程とならなければならないとの指摘を傾聴することを望む。

クォン・テソン論説委員kwonts@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/374396.html 訳J.S