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[クォン・テソン コラム]まだ終わらない野蛮の時代

原文入力:2012/09/17 21:21(1996字)

←クォン・テソン編集人

-キム・ヨンウォン先生の奥様へ

 奥さま、お元気ですかとお聞きすることはできません。 奥さまが再び先生の遺影を持って号泣するその哀しい姿を見て、どうして‘お元気ですか’と口に出せましょうか? 2007年1月人民革命党事件再審で高校の恩師であるキム・ヨンウォン先生の無罪が確定した後、<ハンギョレ>を訪ねられた奥さまは32年ぶりにやっと足を伸ばして寝れるようになったと言われましたね。 土の中にいらっしゃった先生にももうゆっくりと目を瞑ってくださいと言ったとも仰いましたね。 その時、私たちは終身執権のために司法殺人もはばからなかったあの野蛮の時代はようやく歴史の中に永遠に消えたと考えました。

 しかし私たちがあまりに安易に安心したということでしょう。 司法殺人の最終指揮者であった朴正熙前大統領の娘、朴槿恵セヌリ党大統領選候補が人民革命党事件に対してそれぞれ異なる二つの判決があると言って、この問題に対する判断は歴史に任せなければならないとして再び論難が起きました。 再審判決が、軍法会議で脚本に従って下された死刑宣告を確定した欠陥だらけの75年最高裁判決を無効にした司法府の最終判断であるのに、彼女はあたかも2つの判決が同等な価値を持つかのように話しました。 法治の根本を揺るがす発言という批判が相次ぐや彼女は再審判決を尊重するとして一歩退きましたが、再び党スポークスマンの謝罪声明を否認することによって奥さまをはじめとする遺族の胸に大釘を打ち込みました。

 論難が激しくなると朴候補は地方言論などとの会見を通じて事態収拾を試みました。  「過去に被害をこうむられた方々に対して娘として本当に申し訳ないとし、慰労の言葉も差し上げた」として「それを謝罪として受け入れるべきで、度々違うと言えば真の和解の道に進むことはできない」というですね。 相当数の言論は彼女が謝罪という言葉を口にしたという理由だけで、謝罪を既定事実化しようと努めています。

 日本の過去事認識を扱った<謝罪と妄言の間で>の著者、加藤典洋が語ったように「謝罪は口に出さなければならないが、いくら口に出して話してもその行為に達し得ない謝罪」があります。 そうです。 維新を批判したという理由だけで命を奪われた人々とそれによって人生が根こそぎ壊された遺族の痛みを一言二言の言葉でなだめることはできません。 さらには朴候補は司法殺人当時、ファーストレディとして朴正熙前大統領を補佐しました。 彼の犯罪に単純な娘として以上に‘関与’していたということですね。 そのような彼女が被害者たちと和解するには、はるかに真正さを示さなければなりませんでした。

 しかし、彼女からはそのような真正性が感じられません。 謝罪の代わりに陳謝や慰労という言葉を使ったことからしてそうですが、さらに大きな問題は彼女の態度が謝る人の態度とは見えない点です。 被害者に謝罪を受け入れるよう強要するかと思えば 「このように過去指向的な話ばかりが継続的に出てきて、国民が苦しんでいる現実の問題、未来に関する話は失踪することになった」と嘆きます。 過去認識問題が現実や未来と何の関連もないことであるかのようです。

 過去事に対する朴候補の態度は、なぜ韓国は過去事にばかりこだわるかとして謝罪と妄言を繰り返す日本を想起させます。 最近も日本は独島(トクト)を自らの土地だと言い張って、軍隊慰安婦問題について謝った河野談話を否認しようとするふるまいを見せました。 このような日本に対して朴候補は「歴史認識をまっすぐ立てなければならない。 それができないなら経済・安保協力や文化交流、未来世代間の交流が全て支障を受ける」と警告しました。

 韓-日関係の未来のためには日本に対して正しい歴史認識を要求する彼女が国の未来のために指導者の正しい歴史認識が緊要だという考えはなぜできないのか、理解し難いです。 日本が成熟した民主国家になるには侵略戦争と植民支配に対する明らかな反省をしなければならないように、朴候補がこの国の真の指導者になるには人民革命党事件と維新のような父親の負の遺産と絶縁しなければならないと思うのですが。 朴候補が成し遂げるという‘私の夢がかなう国’では、奥様のような野蛮の時代の被害者の夢も成り立つのでしょうか? これ以上、政治的暴圧のために血の涙を流さなくても良い世の中に対する夢ですね。 彼女がそのような夢にも関心を注ぐでしょうか?

クォン・テソン編集者 kwonts@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/552127.html 訳J.S