中央選管委主管で4日夜に開かれた18代大統領選挙初の候補テレビ討論会は予想どおり落第点以下であった。 主要政策と争点に対するまともな攻防はなされず、2時間にわたって表面をなめるだけの質問と返答だけが続いた。 一言で言えば候補検証の弁別力を喪失した気の抜けた討論会であった。
3者討論の性格上、このような結果はある程度予見されたことだったが、討論会の進行方式まで最悪だった。 候補間相互討論方式などを採択することはあったが、質問1分、返事1分30秒などと時間を制限した結果、深みのある討論が基本的に不可能だった。 反論と再反論などの機会もなしで決められた短い時間内に聞いて答えるのに終始した。 ある候補が的外れな返事をしたり自分の話だけを並べ立てても他方では何の術もなかった。
セヌリ党と一部保守言論などでは李正姫(イ・ジョンヒ)統合進歩党候補の‘毒舌攻勢’等の批判に出たが、それは問題の本質ではない。 李候補が行った討論方式を仮にしなかったとしても結果に大きな変化はなかっただろう。 国会議員5人以上を持つ政党の候補をテレビ討論に同等に参加させる公職選挙法規定を直さない限りこうしたことは繰り返されざるを得ない。
結局、解決法は法定討論会とは別に朴槿恵(パク・クネ)セヌリ党候補と文在寅(ムン・ジェイン)民主統合党候補の2者討論を用意することだ。 もちろん今後の2回残った討論会の進行方式も大幅に手を入れなくてはならない。 質問と再質問、反論と再反論などが最大限なされるようにしなければならない。 ところが3者討論方式の法定討論会は朴-文2候補の激突討論を見たい有権者の渇望を解くには胎生的限界を持つ。
問題はセヌリ党が表面では李正姫候補の討論会参加と討論態度を批判しながらも、胸の内は全く違うという点だ。 李候補のとった討論方式がむしろ保守層結集の効果を上げたと見て会心の笑みを浮かべているようだ。 朴候補の核心側近であるイ・ジョンヒョン公報団長は 「李候補が出続けるならば文候補の存在感がなくなり、私たちとしては悪いことがない」として「(放送会社が主催する2者討論を)全く考慮していない」と話した。 表面と内面が違っているのだ。
有力大統領候補2人が相手の質問を書くメモ用紙だけを机上に置いて真剣勝負を行う米国大統領選挙討論会を韓国の有権者はいつまで羨んでばかりいなければならないのか。 朴-文2候補の両者討論は選挙と言う祝祭過程で有権者が当然に享受しなければならない権利でありサービスだ。 朴候補側は正々堂々と2者討論に臨むよう願う。