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「朝鮮人BC級戦犯被害者」李鶴来さん死去

登録:2021-03-29 03:47 修正:2021-03-29 06:22
最後の日本居住の戦犯被害生存者 
捕虜監視員として働き戦犯とされる 
日本人ではないという理由で戦後補償から除外
2018年に東京千代田区の衆議院会館で開かれたBC級戦犯被害解決の会で発言する李鶴来さん=資料写真//ハンギョレ新聞社

 太平洋戦争の終了後にBC級戦犯とされ苦しんだ韓国人被害者の一人、李鶴来(イ・ハンネ)同進会会長が28日に死去した。享年96歳。

 毎日新聞は28日、李さんが外傷性くも膜下出血で死去したと報じた。同紙によると、李さんは今月24日に自宅で転倒して頭を打ち入院していた。葬儀は家族葬として行われるという。

 李さんは日本の敗戦後、連合軍が開いた裁判で戦犯とされた朝鮮半島出身者のうち、日本に居住する最後の生存者だった。李さんは17歳だった1942年に、大金を稼がせてやるという「捕虜監視員」募集公告に騙され、日本軍の軍属になった。その後、タイの日本軍の鉄道工事現場と日本軍の連合軍兵士捕虜収容所で末端の管理者として働き、日本の敗戦とともにBC級戦犯とされた。捕虜監視員たちは軍属として二等兵よりも地位が低かったものの、連合軍捕虜たちと直接接触したため、恨みを買うことが多かった。このため朝鮮人捕虜監視員は、戦後の戦犯裁判で捕虜虐待、略奪などを犯したり、上級者の命令によって拷問や殺人を犯したなどの容疑が適用された人々であるBC級戦犯となるケースが多かった。連合軍が開いた戦犯裁判で有罪判決を受けた朝鮮半島出身の軍属は148人だが、このうち23人が死刑となっている。李さんも死刑判決を受けたが、その後減刑され、東京の巣鴨刑務所で11年服役し、出所した。処罰を受けた時は日本国籍だったが、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効で日本国籍を喪失したことを理由に、日本人とは違い、日本政府による戦後補償からは除外されるという不条理を経験した。

 李さんは1995年4月に仲間とともに名誉回復と補償を求めて「同進会」という団体を結成し、名誉回復運動を始め、90歳を超えても運動を止めなかった。李さんは、日本政府を相手取って補償を求める訴訟を起こしたが、日本の裁判所は1965年の韓日請求権協定で解決済みとして、原告敗訴の判決を下した。その後、90歳を超してからも日本の国会における名誉回復法の制定を求めて問題解決に努めてきたが、国会の会期ごとに立法は挫折した。そして2018年、東京の衆議院会館で開かれた集会で、「1956年に巣鴨刑務所から釈放されたが、兄弟も誰もいない異国である日本に捨てられたかたちだった。仲間の中には精神病にかかり、自分が日本にいることも分からず、花火を艦砲射撃だと思っている人もいた」と議員たちに訴えた。李さんは昨年も衆院会館で開かれた記者会見に出席し、亡くなった仲間たちの名誉回復のための立法を訴えたが、ついに立法の実現を見ることなく亡くなった。

チョ・ギウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/988560.html韓国語原文入力:2021-03-28 21:36
訳D.K

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