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[寄稿]巣鴨プリズンの戦犯とトマト

登録:2020-09-21 03:26 修正:2020-09-21 08:33

皇軍として、軍属として戦争に動員されたために戦犯となったのに、今度は戦犯として再び戦争に動員されたのだ。「今度は我々を別の鉄格子に閉じ込めるのか」。戦争が終わったからこそ、二度と戦争はしないという誓いとして戦犯を処刑したのではなかったのか。それでも再び戦争をすると言うのなら、いったい何を戦争の経験から学んだのか。

 トマトは混乱の主人公だ。トマトは果物か野菜か。果物のようにも見えるし、日常においては果物のように食べたりもする。しかし、生物学的には野菜だ。厳然としてナスと同じ科に属している。果物か野菜かという論争は法廷に持ち込まれてもいる。米国では最高裁判所まで行った。その結果、法的にも公認された野菜となった。しかし「正解」を記憶していない人にとっては依然として混乱する存在だ。もちろんトマトの責任ではない。人が作り出した混乱だ。トマトよ、すまない。

 このトマトは1950年の真夏、東京周辺で災難に遭った。水耕栽培で美しく育ち、美味そうに実っていた。箱にきちんと収まって韓国へと配送されるところだった。このトマトに大釘が刺さっていたのだ。トマトを包装していたムン・テボクのしわざだった。いったい彼は、どんな思いからトマトに釘を刺したのだろうか。

 ムン・テボクは「巣鴨プリズン」に収監された囚人だった。1895年に日本の警視庁が設置した巣鴨刑務所は、第二次大戦中に拘置所となり、思想犯や反戦活動家が収監された。戦後、米軍政に接収され、「プリズン」となった。このプリズンには戦犯たちが収監された。ムン・テボクも戦犯だった。日帝強占期に、タイとミャンマーを結ぶ「死の鉄道」の工事現場で連合軍の捕虜を監視する役割を担っていたからだ。当時、食料不足と虐待で多くの捕虜が死亡した責任を問われ、死刑を言い渡された。東条英機らA級戦犯7人は巣鴨プリズンで死刑が執行されたが、BC級戦犯のムン・テボクは減刑され、命をとりとめることはできた。

 巣鴨プリズンに収監された戦犯たちに、朝鮮戦争は多くの問いを投げかけた。戦争は誰がするものなのか。戦争において一人の個人は自由たりうるのか。各個人の責任はどこまでなのか。醸造場を営んでいた父のところに郡守と警察署長がやってきて「志願」を強要されたムン・テボクの場合、どこまでが彼の責任だったのか。抽象的な問いではなかった。日本帝国が行った戦争で「皇軍」として、またその軍属として任務を遂行して戦犯となった者たちだったため、これらの問いはまさに彼らの胸に刺さった刃だった。この問いは監獄の鉄格子となって返ってきたではないか。

 朝鮮戦争が勃発すると、巣鴨プリズンの戦犯たちは再び戦争に動員された。軍需品輸送に使われるパレットを作った。朝鮮半島戦線の軍人に送る野菜を育てたりもした。皇軍として、軍属として戦争に動員されたために戦犯となったのに、今度は戦犯として再び戦争に動員されたのだ。「今度は我々を別の鉄格子に閉じ込めるのか」。戦争が終わったからこそ、二度と戦争はしないという誓いとして戦犯を処刑したのではなかったのか。それでも再び戦争をすると言うのなら、いったい何を戦争の経験から学んだのか。戦犯の間に自省が広がり、戦争に反対する行動が始まった。前線に送る野菜を箱に詰める作業をしていたムン・テボクは、最低限の抵抗としてトマトに釘を刺した。自らの胸に身の上を嘆く釘を刺していたのかもしれない。世に打ち込もうとした恨みの釘ではなかったか。わけも分からないまま釘を刺されたトマトから流れ出たのは、彼の血の涙ではなかっただろうか。

 だから、チュ・ミエ長官の息子をめぐる論争は心配だ。その核心が平等にあるからだ。「母親チャンス」のある息子であれ、土のスプーン(庶民)の息子であれ、韓国の男性はみな兵役義務を果たさなければならない、という平等は「損害の平等」だ。私が軍隊に入って若さと人生を犠牲にしたのだから、お前も犠牲になれというのだ。私が損をした分、少なくともそれくらいは、お前も損をしろという要求だ。自分よりほんの何日間かでも休暇を多く取ったのではないか、病気休暇を名分とした特恵を受けたのではないと、目を血走らせるわけだ。

 そうだ。この論争が露わにしているのは、いまだに我々みなが目を血走らせているということだ。70年前、ほんの最近までよく知っていた人を「仇」と言い、その胸に竹やりをさした目の血走りが消えぬまま、お互いを死地へと、殺しの地へと、死ねと押し込んでいる大韓民国の自画像だ。その平等から少しでも外れたと思えば、すぐに目を血走らせる我々だ。戦争を終わらせ、ともに平和を享受する平等は、その血走った目の前では息をつく余地もない。

 だから、朝鮮戦争はまだ終わっていない。戦おうとする、戦えという血走った目ばかりだからだ。もうやめようという、目を血走らせるのはやめようという気持ちが大きくなった時にこそ、戦争は終わらせることができるだろう。わけも分からないまま胸に釘を刺され、70年も血を流し続けているトマトに、もう一言声をかけてみてはどうか。「トマトよ、すまない…」。そして、このようなホームページでものぞいてみてはどうか。endthekoreanwar.net

//ハンギョレ新聞社

ソ・ジェジョン|国際基督教大学政治学・国際関係学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/962894.html韓国語原文入力:2020-09-20 17:21
訳D.K

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