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日本の大学生たちが「朝鮮人元BC級戦犯」のドキュメンタリーを制作

登録:2018-01-15 23:09 修正:2018-01-16 07:03
法政大学の8人「92歳の李鶴来氏」をインタビュー 
「日帝時代に捕虜監視員として動員」され、獄中生活 
戦後日本政府の支援も受けることができず 
14日、東京で上映会も開く
韓国人BC級戦犯被害者の李鶴来「同進会」会長=資料写真//ハンギョレ新聞社

 日本の大学生たちが、日帝時代に捕虜の監視員に動員され戦犯という重荷を背負った韓国人の人生を取り上げたドキュメンタリーを制作したと朝日新聞が15日伝えた。

 法政大学国際文化学部の鈴木靖教授が指導する3年生8人が14日、「戦後補償に潜む不条理ー韓国人元BC級戦犯の闘い」というタイトルのドキュメンタリー映画を東京の飯田橋で上映したと朝日新聞は伝えた。学生たちは学校のゼミのテーマで韓国人BC級戦犯被害者問題を取り上げることにした後、この問題の解決に向けて「同進会」というグループを作り活動する今年92歳の李鶴来(イ・ハンネ)氏の生涯を中心としたドキュメンタリーを作った。李氏は日本政府に謝罪と補償を要求する活動をしている。

 連合国は第2次大戦後、ドイツと日本の戦争犯罪者を「A・B・C」の三等級に分類したが、このうちA級は侵略戦争を企画し開始または遂行した人々だった。B級とC級は捕虜虐待、略奪などを行った人々や上級者の命令によって拷問や殺人をした人が対象だった。問題は、太平洋戦争当時、多くの朝鮮人たちが日本によって捕虜監視員として動員され、戦後、連合国国際裁判所で死刑や無期懲役のような重刑を言い渡された人々が多かったという点だ。日本軍軍属として動員された朝鮮人捕虜監視員たちは、軍の命令を伝達する位置にいたため、捕虜虐待という罪をかぶる事例が多かった。日本は戦後、軍人と軍属を支援する法律を作ったが、朝鮮人捕虜監視員は戦後はもはや日本国籍でないという理由で支援対象から除外された。

 李氏も17歳で捕虜監視員として泰緬鉄道建設現場に派遣され、戦後は死刑判決を受けた。幸いその後に減刑されたが、同僚の中には刑場の露となって消えた人々も多かった。李氏はドキュメンタリーを撮るために訪ねてきた学生に「死んだ仲間たちの無念を解いて名誉を回復させたい」と話したという。BC級戦犯という単語自体を最近まで知らなかった学生たちは「仲間のためという言葉を繰り返す李さんの言葉が胸に残った」と話したと同紙は伝えた。ある学生は「正直、日本人はいつまで謝罪を続けなければならないのかという気持ちがあったけれど、目をそらしてはならないということに気づいた」と話した。ドキュメンタリーは「(李さんと)一緒に活動を続けてきた仲間ももう3人しか残っていない。早期解決を求められる問題に、私たち若者はどう向き合うべきだろうか」というナレーションで終了する。

東京/チョ・ギウォン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/827853.html韓国語原文入力:2018-01-15 22:05
訳M.C

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