北朝鮮が送りかえした55柱の米軍斃死のものと推定される遺骨の相当数は、米軍の歴史で悪夢と呼ばれる長津湖(チャンジンホ)の戦闘の犠牲者と見られる。
米国防総省傘下の「戦争捕虜・失踪者確認局」の首席科学者であるジョン・バード氏は2日、記者会見で「私が元山で見たところ、多くの(遺骨)箱が長津湖近隣の新興里(シンフンリ)から来た」と明らかにした。彼は「遺骨は1950年の有名な長津湖の戦闘と関連がある」と話した。
バード氏は停戦協定65周年記念日の先月27日、米軍の軍用機に乗り元山に到着し、北朝鮮が渡した遺骨を一次的に鑑識した。彼は「遺骨の状態から判断する時、朝鮮戦争の死亡者と見られる。一緒に発見された物品も、朝鮮戦争当時に米軍が支給したものと一致する」とし、戦没米軍兵士の遺骨であることはほとんど確実だと説明した。
バード氏は「過去に北朝鮮が一方的に送りかえしてきた遺骨も同じ村で発掘されたもの」とし、今回送還された遺骨も長津湖の戦闘の犠牲者だろうと話した。北朝鮮が元山で遺骨を引き渡したのは、発掘地に近いためと見られる。長津湖は、咸鏡南道の北側の蓋馬(ケマ)高原にある。長津湖の東側にある新興里は、1996~2005年に北朝鮮と米国が共同で遺骨の発掘をした所でもある。
長津湖の戦闘は、米軍史で屈指の悪戦苦闘として記憶されているのみならず、朝鮮戦争の行方を変えた戦闘だ。仁川上陸作戦を経て進撃を繰り返していた米軍第10軍団は、1950年11月末に朝鮮半島北東部全域の占領を予想していたが、長津湖で中国軍とぶつかった。あっという間に中国軍の兵力は数倍に膨れあがり、米軍は夜には零下30度を下回る酷寒の中で包囲攻撃に耐えなければならなかった。米軍は1万人を超える死傷・失踪者が発生した中で、かろうじて包囲網を抜け出し興南(フンナム)で1・4後退をしなければならなかった。
送還遺骨の主な発掘地として知らされた新興里は、長津湖の戦闘の地域の中でも米軍の被害が大きかった所だ。新興里に配置された米軍第7歩兵師団所属の「フェイス・タスクフォース」部隊は、数倍に及ぶ中国軍と戦い、2500人余りのうち1050人だけが退却に成功した。このうち負傷しなかった兵士は385人に過ぎなかった。部隊を率いたドン・カルロス・フェイス中佐も戦死した。「ファイス・タスクフォース」部隊には韓国人がKATUSA(Korean Augmentation To the United States Army)として配属されたという記録もあり、遺骨の中に韓国人兵士のものが混じっている可能性も排除できないと見られる。
一方、米国防総省は、北朝鮮が引き渡した唯一の認識票に名前の書かれた将兵の遺族と連絡がついたと明らかにした。認識票の主人の遺族は、来週ワシントンで開かれる失踪者遺族対象説明会に参加する予定だ。認識票の名前ははっきりと調査可能な状態だが、彼の遺骨も共に送還されたかは確認されていない。米国防総省は、朝鮮戦争やベトナム戦争の失踪者家族を相手に周期的に遺骨発掘の進展状況を説明している。