3月に私は高校3年生になった。始業式のあった3月4日から今日まで最も多く言われたことといえば、断然「今年1年間、死んだと思って勉強しろ」だろう。周囲の大人たちが、学校の先生が、オンライン講義の講師が、友達までもが口をそろえてそう言う。高校3年生の1年間は勉強が何よりも優先され、勉強のためには人間関係、趣味、休息、睡眠、食事、あらゆることを捨てる準備をしなければならないと。
実際に「死ぬほど」勉強する子たちはとても多い。ゴミ箱はカフェイン飲料の缶でいっぱいで、試験が終われば誰が1等級で、前回の試験に比べて等級が落ちたかどうかが知らぬ間にうわさになっている。単に勉強ができるだけではだめで、様々な特別活動や学生自治行事に参加し、進路についても考えなければならない。学校が終わったら予備校へ。5~6時ごろ、大峙洞(テチドン)の予備校街は受験生たちで足の踏み場もないほどごった返す。大半の予備校は基本的に3、4棟の建物を所有している。建物から建物へと移動しながら、まるで予備校に住んでいるかのような生活を送る。本を入れるにはかばんが足りず、スーツケースを引いて歩いたりも。受験生たちが休息をとれるのは、大学の移動講義を思わせるわずかな「空き時間」のみだ。
予備校の外に出られるならまだましだ。長期休みになると、多くの友人が寄宿型の管理読書室や予備校に入所する。彼らは自律性を失い、予備校に決められた時間割り通りに暮らす。私はその予備校に通う友人のスケジュールを見たことがある。彼らは毎晩11時からの30分の間に必要な連絡をし、それ以外の時間は携帯電話が没収される。学校のように昼食と夕食もすべて予備校から提供される。読書室なのか監獄なのかわからないほど体系的なシステムが整備された予備校は、「効率的な学習環境の造成」を標榜する。そこに入ってこそきちんとした学習をし、目標を達成できる、というわけだ。
社会が青少年を極限に追い込んでいることは、統計にも表れている。統計庁が発表した「児童・青少年の生活の質2022」と題する報告書によると、韓国の0~17歳の児童・青少年の自殺率は2021年で10万人当たり2.7人にのぼる。また、教育部以外の2つの機関が行う青少年の健康行動調査では、2020年の大韓民国の青少年の10%以上が、直近の1年間に真剣に自殺を考えたことがあると回答している。市民団体「私教育の心配のない世界」によると、2022年の一般高校の3年生の63.0%、英才・特殊目的・自立型私立高校の3年生の72.4%が、学業や成績によるストレスを訴えている。勉強の末に実際に命を絶つ生徒がいる世の中では、「死ぬほど勉強しろ」は許されてはならない言葉ではないのか。生きて毎日学校に行き、無事に帰ってくること。それだけで人生のつとめを果たしているのだ。
大韓民国における入試対策でストレスを抱えないことは不可能だろう。私教育(塾や習い事)に足を踏み入れた瞬間から、さらに状況はひどくなる。その環境を耐え抜く子たちはいるが、そうでない子も存在する。高校入学からこれまで数学、英語の家庭教師以外の私教育を受けたことのない私がその例だ。両親は十分に援助してくれるし、学校の近くには様々な塾があるが、どこにも行かなかった。車いすに乗っているためエレベーターのないところには行けず、通うのが難しいというのもある。しかし、それより私自身が通いたくないのだ。3年間、長期戦を迫られながら続けていく自信がなかったのだ。人が予備校で過ごす時間に友達と会ったり、公演を見たり、旅行したりした。むしろ、それらの時間が充電や動機付けとなり、途中であきらめずにいられた。
何かを得るために他の何かを諦めること。人生でよく語られる理屈だ。しかし、人には誰しもそれぞれの根幹を成す要素と価値がある。いかなる状況においても、私たちはそれを守り抜かなければならない。健康、幸せ、休息、権利を放棄してまで得なければならないものは存在しない。自分にも他人にも鋭い物差しを当てるのではなく、寛大な包容の態度で接してはどうだろうか。
ユ・ジミン|文井高校3年 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )