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‘ナチ附逆’ベンツに不買運動が起きない理由は?

登録:2013-09-22 23:16 修正:2013-09-23 06:08
ドイツ メルセデス-ベンツ博物館に行ってみた
ドイツ、シュツットガルトにあるベンツ博物館の‘変化の時間’展示館。 第2次世界大戦当時、東ヨーロッパ労働者の強制労働を証言した契約書と事故日誌などを展示している(上)。アウシュビッツ収容所全景写真. イ・ワン記者

自動車の革新過程展示物の片隅に
"東ヨーロッパ労働者の強制労働を謝罪"
ナチ下の過去の過ち 逐一公開
賠償を通じて不買運動は起きず

中国との領土問題 後遺症に悩む
日本企業‘失われた2年’と対照
‘ナチ協力に反省’鮮明なベンツ博物館

 "第2次大戦が終わった後、ダイムラー-ベンツはナチスドイツに参加したことを認めて、強制労働に動員された人々に謝罪した。"

 色あせた文書の横には一連番号とともに強制労働に連れて来られた多くの東ヨーロッパ労働者の名前が記されていた。 ガラスの内側には第2次世界大戦当時ベンツ工場で発生した事故日誌が展示されている。 日誌の中で労働者はナチ親衛隊(SS)の監視の下で囚人のように収容所で暮らし工場で仕事をして事故に遭ったと文は伝える。 ベンツは事故日誌の横に「ナチ支配下で東ヨーロッパ労働者は最底辺の処遇を受けて不足した医療支援を受けた」と告白している。

 去る14日、ドイツ南部シュツットガルトにあるメルセデス-ベンツ博物館を訪ねた。 8階から1階まで降りてきて160台余りの自動車と1500点余りの記録物を見ることができる所だ。 ディーゼルエンジンとABSブレーキなど自動車技術の革新過程を見ることができる。 だが、さらに印象深いのは企業のイメージを‘栄光’ではなく‘反省’でも作れる可能性があることを確認したことだった。

 ベンツは博物館で過去の歴史を率直に明らかにした。 1930~1940年代の展示物を見れば、現在世界市場をリードするドイツ自動車の歴史が、ナチが繁栄の象徴とするために速度無制限高速道路‘アウトバーン’を建設し、自動車普及を促したことが産業の礎石になったことを確認できる。 また、戦争末期である1944年中盤には、すべてのベンツ工場が強制労働者で満たされて武器も作っていた。

 過去の非倫理的な企業行動は、現在の製品販売に否定的な影響を与えうる。 しかしベンツは強制労働に対して謝罪して犠牲者に賠償したことを明らかにする。 歴史に責任を負う姿を見せ、否定的な認識をひっくり返したということだ。 すでに1988年ベンツはナチスドイツに協力した行為を公式に容認して強制労働の犠牲者および家族に2000万マルクを支給した。 1999年にはベンツをはじめとしてフォルクスワーゲン、アリアンツなどドイツの大企業はドイツ政府の仲裁の下に当時100億マルクに及ぶ強制労働賠償基金を作ることを決めたという。 その結果、ドイツの大企業は歴史などの理由で不買運動に遭っていない。

 反面、日本の自動車メーカーは正反対の状況に陥っている。 2012年8月釣魚島(日本名 尖閣諸島)を巡る中国と日本間の領土紛争は中国消費者の反日感情を呼び起こした。 日本の政治家たちが第2次世界大戦の戦争犯罪に対する反省の代わりに戦犯が合祀された靖国神社を飽くことなく訪れるなど火がついた反日デモの‘燃料’は充分だった。

 その結果、世界最大の自動車市場である中国でトヨタと日産など日本自動車は苦戦をまぬがれなくなっている。 2011年まで毎年販売量が大きく増加した日産は、昨年販売量が4.5%減少した。 常勝疾走してきたトヨタも75万台水準で販売が7.3%減った。 カルロス・ゴーン ルノー-日産会長は、2013年フランクフルトモーターショーで「日産と他のすべての日本自動車企業等が日本と中国の領土問題の後遺症を体験している。 中国市場が急速に成長したにもかかわらず日産の市場占有率は同じ速度では回復していない。 去る2年は私たちにとって失われた時期であった」と吐露した。

 14日、日本は第2次世界大戦当時、朝鮮人徴用者が連れていかれて働いた長崎造船所などの施設を韓国政府の反対にも関わらず世界文化遺産として推薦することを決めた。 日本政府だけでなく三菱重工業と新日鉄住金などの日本企業も現在国内徴用被害者の損害賠償要求を無視している。 ドイツ自動車業者がアジア市場で躍進しているまた別の理由は歴史にある。

シュツットガルト/イ・ワン記者 wani@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/economy/car/604116.html 韓国語原文入力:2013/09/22 21:25
訳J.S(1937字)

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