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映画『ココスニ』監督「極右勢力の『慰安婦』歪曲、論理的に反論したかった」

登録:2022-08-26 10:18 修正:2022-08-27 07:24
映画『ココスニ』のイ・ソクチェ監督インタビュー 
連合軍の48・49番報告書をもとに深層取材 
ミャンマーにいた「慰安婦」被害者スニさんを捜し出す 
被害者を攻撃するラムザイヤー教授なども追及
連合軍が記録した日本軍捕虜尋問報告書の写真に載っていたスニさん=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 「(歪曲された歴史の記録を)論理的に反論する映画を作ってみたかったんです」

 日本軍「慰安婦」被害者問題を扱ったドキュメンタリー映画『ココスニ』(25日公開)を演出したイ・ソクチェ監督は、最近行われたインタビューで、日本の歴史歪曲が現在進行形だという点を指摘しながら、演出意図をこのように明かした。

 これまで多くの「慰安婦」関連素材を扱った映画、ドラマ、放送、著書などが出版されたが、その中でも『ココスニ』は史料に基づき日本の極右勢力の一部の主張がでたらめであることを論理的に反論する。映画は、連合軍戦争情報局(OWI)が作成した日本軍捕虜尋問報告書のうち「慰安婦」問題を叙述しているいわゆる「48・49番報告書」の内容をもとに、ミャンマーのミッチーナーという地に「慰安婦」として連れて行かれ、苦難を強いられたスニさんの人生を辿る。韓国放送(KBS)探査プログラム「時事企画・窓」のチームで記者として働くイ監督は、長い間取材する中で、連合軍報告書に記録されたミャンマーの「慰安婦」20人余りの内、姓はココ、名前はスニと記録されたある女性が慶尚南道咸陽(ハミャン)に住んでいたパク・スニさんであったことを突き止める。そしてスニさんの子や孫たちと、連合軍報告書を作成した当時の連合軍幹部たちの子孫を訪ね、その記録を一つひとつ比較する。

連合軍が記録した日本軍捕虜尋問報告書の写真=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 東北アジア歴史財団が発表した資料によると、日本軍が作った「慰安所」は全世界に559カ所あった。韓国を含め中国、日本、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、ミャンマー、インドネシア、インドにまで設置されたという事実が明らかになっているが、そこにいた多くの被害者の行動はいまだにきちんと分かっていない状況だ。『ココスニ』の主人公と言えるスニさんの存在を知ったのは、長年の資料発掘と比較分析、数多くの機関・団体・放送会社の協業で可能だった。

 『ココスニ』の企画の出発には、国史編纂委員会があった。2018年、国史編纂委員会に「慰安婦」戦争犯罪調査チームが構成され、連合軍の48・49番報告書を詳細に調査し始めた。「時事企画・窓」でこの調査過程を撮り、その年の光復節特集2部作「国家は彼らを捨てた」編を作った。当時「制作過程での数多くの問題と不十分な取材」などを理由に、自ら「企画内容に対する礼儀ではない」と考えたイ監督は、追加取材をしながら内容を補完し、映画化することを決めた。

連合軍が記録した日本軍捕虜尋問報告書の写真=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 『ココスニ』というタイトルの主人公でもあるパク・スニさんは、イ監督と「時事企画・窓」チーム、国史編纂委員会がなければ世に知られなかった人物だ。スニさんは連合軍資料から発見された数枚の写真に登場した「慰安婦」被害者のうちの一人だった。イ監督はスニさんの名前と住所が記録された49番報告書の内容を映画で集中的に取り上げる。取材を通して「49番報告書が『慰安婦』に対して偏向的な立場を取っており、日本や多くの極右保守勢力が『慰安婦』を攻撃する時に根拠として使われることもある」ということを知るようになった。直接ミャンマーのその場所を訪ねてみると、報告書がどれほど歪曲されたものかすぐに分かった。

米国立文書保管庁を訪問したイ・ソクチェ監督=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 日系米国人アレックス・ヨリチが作成した連合軍の捕虜尋問報告書である49番報告書には、「慰安婦」に対して「利己的だ」「狡猾だ」「贅沢をしている」などの表現が出てくる。「該当する場所に行ってみると、いまも立ち遅れている地域でした。そんな場所で贅沢できるわけがないでしょう。しかも戦争の渦中にです」。直接ミャンマー国立記録院の映像資料を探してみたところ、当時「慰安婦」がいた場所は見渡すかぎり田んぼと畑ばかり。まともな病院すらないところだった。イ監督は、当時連合軍報告書を作成したチェン大尉の親戚と友人たちを直接訪ね、彼が書いた著書『語られなかったミャンマーの話(Untold Myanmar Story)』に関する話を聞いた。そこに記録されたスニさんをはじめとする「慰安婦」被害者20人余りの姿は、残酷という言葉でも足りないほどだった。

『ココスニ』のマスコミ試写会に参加したイ・ソクチェ監督=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 『ココスニ』で注目すべきもう一つの点は、世界的に「慰安婦」を積極的に批判し非難する勢力の声もともに暴いたという点だ。「米国で『テキサス親父(Texas Daddy)』という極右ユーチューバーが『慰安婦』を積極的に批判していた。日本と何かつながりがありそうだった」という考えで取材を始めたイ監督は、ハーバード大学ロースクールのジョン・マーク・ラムザイヤー教授もともに注目した。昨年、「慰安婦」被害者を「自発的売春婦」と規定した論文を発表した人物だ。「ラムザイヤー教授に研究費を後援した会社が極右性向の団体を支援しており、その団体が『テキサス親父』を後援するという形式につながる」のを知ることになった。「彼らは公式の教科書から『慰安婦』という章全体をなくそうとし続けている」とイ監督は説明した。『ココスニ』の制作スタッフが直接ラムザイヤー教授を訪ねてインタビューを試みるシーンが映画に盛り込まれた。

ラムザイヤー教授を訪ねた『ココスニ』のスタッフ=コネクトピクチャーズ提供//ハンギョレ新聞社

 『ココスニ』が観客に見せようとするのは、歴史がきちんと記録できなかったスニさんの苦痛の人生だ。慶尚南道咸陽の地から遠いミャンマーまで連れて行かれ、あらゆる侮辱を受けながらも、帰るべき時に故国に帰ることができなかった人生。戦争が終わっても様々な理由で帰国できず、インドを経て中国に渡ったスニさんは、結局、子や孫とともに2004年に韓国に来て4年間滞在し、2008年に死去した。スニさん生きていた頃、彼女がミャンマーから帰ってきたことを誰も知らなかった。スニさんは子どもたちにも伝えることのできなかった話を胸に納めたまま亡くなった。それでも最後の韓国での4年はあたかかったという。「娘さんと孫の話によると、スニさんの人生で一番幸せだった4年だったそうです。韓国の現代史の一番大きな傷跡ではないでしょうか」

キム・ヒョンス|元「シネ21」記者・映画コラムニスト

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1056158.html韓国語原文入力:2022-08-26 02:54
訳C.M

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