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「日帝初期の総督府本部、朝鮮人高官は3人だけ」

登録:2021-09-23 05:02 修正:2021-09-23 09:47
行政学者アン・ヨンシク、パク・ジョンドゥ両名誉教授 
『大韓帝国官吏、日帝植民地の官吏となる』
アン・ヨンシク名誉教授=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 『大韓帝国官吏、日帝植民地の官吏となる』(図書出版ポプヒョン)。行政学者の重鎮、アン・ヨンシク延世大学行政学科名誉教授(80)がパク・ジョンドゥ木浦大学行政学科名誉教授と共に出版した本だ。韓末の大韓帝国の官吏が1910年の庚戌国恥(韓国併合)以降、日帝の植民地の官吏となっていった実態を分析した1本の論文に加え、朝鮮総督府の官吏に変身した大韓帝国の官吏の名簿や昇進・異動状況などの複数の関連資料も載せた。

 アン教授は、自らが1990年代にまとめて発表した韓末と日帝下の韓国人官吏任免に関する資料集をもとに、この論文や名簿などを作成した。

 「日帝は植民地統治の中心機構に朝鮮人が接近することを許しませんでした。『植民地統治はすべて我々が行う』というのが日帝の植民地統治のやり方だったのです」

『大韓帝国官吏、日帝植民地の官吏となる』表紙=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 今月16日に電話取材に応じたアン教授のこのような確信は、アン教授がまとめた統計から確認できる。「韓末の韓国人官吏の43.7%に当たる2928人が強制併合後に日帝の官吏となった。これは総督府のすべての官吏(1913年3月現在)の35.5%にのぼる。しかし、強制併合の初期、植民統治の本山である総督府本部の配属となった韓国人官吏は19人にすぎなかった。1913年まででは計35人で、このうち高位職の高等官は3人にすぎない。一方、総督府本部の日本人は462人にのぼる。総督府本部の高等官は、韓国人3人に対し日本人は90人だった」

 アン教授は「総督府本部の3人の韓国人高等官のうち2人は70代の高齢で、気象観測を担当しており、通訳官を経て高等官になった残る1人は主に会計の仕事をしていました」と述べ、「日帝は、韓国人には会計や庶務などの周辺の仕事だけを任せて、植民統治政策の決定には近づけないようにしていました」と強調した。「韓末の2人の官吏が総督府局長を務めましたが、2人とも学務局長でした。日本が韓国人に配慮した最上位の官職は、学校を担当する教育職だったのです」。アン教授は「大韓帝国の官吏のうち、日帝の植民地時代にずっと官吏と中枢院(総督府の諮問機関)の職を握っていた人は40人いるが、このうち36人は中枢院職だった」と付け加えた。

 アン教授は「今年中に、1961年の5・16クーデターから1967年の朴正煕(パク・チョンヒ)民選第1期政権終了までの間に、官僚の任免にどんな変動があったのかを調べた本を出す計画」だと述べた。「高位職はすべて軍人が握っていました。今も生きている人が多く、本が出版されたらどんな反応を示すか心配でもあります。次は日帝から大韓民国政府に移行した官僚の変動について考察した本も出すつもりです。日帝時代に創氏改名した人が多く、同一人物を割り出すのが大変です」

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/1012378.html韓国語原文入力:2021-09-22 18:31
訳D.K

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