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[特派員コラム]40年間沖縄で戦死者の遺骨を掘り出している理由

登録:2021-09-10 08:58 修正:2021-09-10 10:07
沖縄県国頭郡宜野座村惣慶で、具志堅隆松代表が沖縄戦の犠牲者と推定される人の頭蓋骨の一部を見せている=宜野座/チョ・ギウォン記者//ハンギョレ新聞社

 菅義偉首相が3日、突然自民党総裁選に出馬しないことを明らかにし、日本列島が騒然となった。東京のあちこちで新聞の号外がまかれた。せわしくニュースを見ていた中、日本の活動家からあるメッセージが届いた。今月14日、衆議院議員会館で日帝の侵略戦争当時の戦死者遺骨問題について話し合うという内容だった。厚生労働省、外務省、防衛省など日本政府との対話も予定されているという。

 遺骨問題は、日本だけでなく韓国でも重要な懸案だ。植民地時代に行われた強制動員で犠牲になった多くの朝鮮人の遺骨は、解放から76年がたった今も、日本、東南アジア、太平洋諸島などに放置されたままだ。この問題に向き合うたびに、深いため息が出る。時間がたつにつれ骨のひとかけらも見つけられない遺族たちの切迫感は高まるのに、作業は遅く、韓日政府の対処は不十分だ。

 社会的関心も高くはなく、韓日の市民活動家と遺族が孤独に戦っている。沖縄で戦死者の遺骨を収集してきたボランティア団体「ガマフヤー」の具志堅隆松代表(67)もその一人だ。具志堅代表は28歳の時から遺骨を収集し、遺族に返す仕事をしてきた。彼がこの仕事を始めたのは、故郷である沖縄の悲劇と関係がある。

 沖縄では1945年4月から6月にかけて激しい戦闘があった。日本は敗北直前に、本土を守るために沖縄を盾にして米軍を相手に無謀な戦いをした。当時20万人以上が亡くなり、朝鮮半島から連行されて犠牲になった朝鮮人の数も1万人にのぼると推定されている。具志堅さんは、幼い頃から家の近くの山に行けば遺骨がたくさんあり、この遺骨が捨てられているということを知った。遺骨の家族を探してあげようという「善良な思い」で始まったことが、40年近く続いてきたのだ。

 遺骨発掘と返還にも難関が多いが、今年、新たな問題まで起こった。日本政府は沖縄南部にある米軍普天間飛行場を、中部の辺野古に移転する作業を進めている。この過程で辺野古沿岸の埋め立てに使う土砂の一部を、沖縄戦闘激戦地だった糸満市と八重瀬町から採取する計画を立てた。遺骨の混じった土砂が使われるかもしれないということだ。具志堅さんは「どうしてこんなことができるのか。戦死者に対する冒涜だ」と強く反発し、今年3月に続き、6月、8月に3回のハンガーストライキを行った。

 彼の戦いは人々の心を動かした。沖縄から遠く離れた大阪府の茨木市議会では今年6月、辺野古埋め立て工事に糸満市などの土砂を使用しないよう求める意見書を全会一致で可決した。他地域の市議会で出された決議ということで、大きく注目を集めた。議会に意見書を提出したのは、同地域出身の20代の大学生である西尾慧吾さんだった。具志堅さんの闘争の知らせを聞き、微力ながら力添えをしようと行動に出たのだ。西尾さんは「これは辺野古埋め立てに対する賛否ではない。人道主義的問題だ」と説得し、自民党議員の同意も得た。

 これだけでなく、日本全国から約3万3千人が反対署名に参加した。韓国の太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ代表も「遺骨が埋まっている土砂を軍事基地に利用しようとする非人道的な行為は許せない」とし、具志堅さんに励ましの連帯メッセージを送った。

 「無念の死を遂げた方たちの身元をを明らかにして、遺族に返さなければならない。そうしなければ彼らの無念を晴らすことはできない」。具志堅さんがよく言う言葉だ。14日に予定された日本政府との交渉では、辺野古の土砂問題だけでなく、韓国人を含め遺骨返還に対する幅広い論議が行われる。関心と連帯が必要な時だ。

//ハンギョレ新聞社

キム・ソヨン|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1011143.html韓国語原文入力:2021-09-10 02:34
訳C.M

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