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[インタビュー]「ベトナム戦争虐殺の痛みを治癒して『平和の種』育てよう」

登録:2019-08-28 08:28 修正:2019-08-28 11:59
済州作家会議会長 詩人のイ・ジョンヒョン氏
今月11日、ベトナムのクアンガイ市で開かれた「済州・ベトナム 詩の朗唱の夜」で、済州作家会議のイ・ジョンヒョン氏(最前列左端)、ベトナムのタン・タオ氏(最前列中央)などの参加者が同席した=済州作家会議提供//ハンギョレ新聞社

 「私の友達」。ベトナム最高の詩人として評価を受けるタン・タオ氏(73)は、今月11日、イ・ジョンヒョン済州作家会議会長(64)をこのように呼んだ。夕方、ベトナム中部のクアンガイ市で開かれた「済州・クアンガイ 詩の朗唱の夜」でのことだった。1979年、詩集「草原を渡る足跡」でベトナム作家会議の「最高文学者賞」を受賞したタン・タオ氏が、去年、詩集「花より先に訪れた名前」で「5・18文学賞」を受賞したイ氏を呼ぶのに適切な呼称である。

 しかし「友達」という言葉には、二人の詩人の間の個人的友情を飛び越える何かがある。まさに1960年代後半のベトナム戦争時、韓国軍による民間人虐殺を経験したベトナムと戦闘兵を送った韓国が、その痛みを飛び越えて「友達」になろうという望みが込められた言葉でもある。

2008年にソウルに来たベトナム詩人の証言
「韓国軍民間人虐殺の『憎悪の碑』がある」
すぐにクアンガイ省を訪問し、現場検証
従軍記者出身の詩人タン・タオ氏らと出会い
8回に渡り「済州・クアンガイ 詩の朗唱の夜」
「二人の詩人の友情のように、閉じた心が開くことを」

 「韓国軍によるベトナム民間人虐殺」問題は、韓国社会では相変わらずタブーに近い。1999年「ハンギョレ21」の通信員だったク・スジョン「韓ベ平和財団」常任理事の勇気ある報道によって知られ始めたが、相変わらず韓国政府レベルでの実態調査さえ行われていない。その被害規模について、ク常任理事が現地調査を通じて「ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺が約80の村で起こり、9千余名が犠牲になった」と推定する程度である。

 その後、ク常任理事などを中心に「ベトナム平和紀行」を進行し、民間レベルの謝罪と和解の動きが続けられてきた。平和紀行団は、ベトナム中部の虐殺現場を訪ねて慰霊祭を行い、虐殺被害の村の子どもたちに奨学金を与えている。しかし、まだ韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題は、韓国社会で全面化することができない。

 イ氏はこのような状況で、2008年から両国の文学者の交流を通じて、この問題と関連した和解の糸口を作っていこうと提案した。きっかけは2008年夏、ソウル国際文学行事に参加したベトナムの詩人チム・チャン氏(1938〜2011)との出会いだった。

左からク・スジョン韓ベ平和財団常任理事、タン・タオ氏、イ・ジョンヒョン会長=済州作家会議提供//ハンギョレ新聞社

 「当時、済州島に来たチム・チャン氏を通じて、ベトナムのクアンガイ省に韓国軍虐殺に関連した『憎悪の碑』があるという事実を確認して、大きな衝撃を受けました」

 イ氏は同僚で詩人のキム・スヨル氏などと共に、直ちにその年の12月にベトナムを訪問し、チム・チャン氏の紹介でクアンガイ省が故郷である詩人タン・タオ氏と初めて出会った。ベトナム戦争に従軍記者として参戦したタン・タオ氏は、1975年にベトナムが統一された後、故郷のクアンガイ省でずっと作品活動を行っていた。

 その出会いをきっかけに、イ氏とタン・タオ氏を中心に、済州とクアンガイの文学交流が始まった。計15人の韓国作家会議所属の詩人と5人のクアンガイ作家会議の詩人が参加した今回の「済州・クアンガイ 詩の朗唱の夜」は8回目の行事だ。

 これまでの交流を通じてタン・タオ氏は「済州鎮魂の儀式のムーダン」など、済州4・3事件の痛みを抱く詩を作り、イ氏はベトナム虐殺を素材に「目と手」「カイ カイ カイ」などの詩を出した。2015年には「昼にも夢を見る者がいる」というタイトルの済州・クアンガイ共同詩集も発行した。

 済州の詩人たちはベトナムを訪問する度に、さまざまな交流プログラムと共に、クアンガイ省ビンホア村、クアンナム省フォンニィ・フォンニャット村などの虐殺現場を訪問して、犠牲者に対する追悼行事も一緒に進行している。去年初めに済州作家会議の会長に就任した詩人のイ氏はそれまで、済州作家会議事務局長、済州文学の家事務局長としてこの交流事業を主導してきた。

 このような努力が果たして韓国人とベトナム人を「友人」にすることができるだろうか?イ氏は「できる」と答える。実際、文学は長期間隠されてきた偽りを明らかにし、痛みを治癒する役目を果たしてきた。権力が頑なに隠そうとした済州4・3虐殺までもが、1978年に作家の玄基栄(ヒョン・キヨン)氏が季刊 「創作と批評」に中篇小説『順伊おばさん』を発表して、初めて韓国社会にその姿を明らかにした。

 イ氏は、済州とクアンガイの詩人の努力も「和解と平和の種」になることができるはずだと考える。イ氏はまず「両国の文学者交流を通じて、韓国人とベトナム人が戦争の時に起きた悲劇について、よりいっそう真剣な見解を持つようになるだろう」と見通した。ベトナム戦争の虐殺が、孤立した一つの地域の問題ではなく、20世紀的野蛮が引き起こした全世界的問題だという点を喚起させ、成熟した市民意識を造成することができるということである。イ氏は「さらに、詩に昇華させた虐殺の痛みは、加害と被害を超え、お互いを治癒して閉ざされていた心を開く触媒になりうる」と見る。

 現在、韓国と日本は過去の問題で経済戦争を行っている。もちろん、韓国とベトナムの状況とは異なる。何よりベトナムは「過去を閉じて未来に出よう」というスローガンの下で経済発展に重点を置いている。しかし、ベトナムも、いつか近い未来に経済成長が軌道に乗った時、過去の門をまた開こうとするだろう。イ氏の言葉通り「傷が治癒されていない状態では、過去の門は、政権が閉ざそうとしても閉ざせるものではないから」である。

 その時の韓国とベトナムの関係は、今の韓日関係とは異なる姿になれるだろうか?未来を予断することはできない。ただし確かなのは、両国の詩人が一緒に植えている「友達の心」を込めた平和の種が、今も育っているという事実だ。

クアンガイ(ベトナム)/キム・ボグン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/907394.html韓国語原文入力:2019-08-27 19:19
訳M.S

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